2020-04

11・20(火)ドレスデン・オペラ「タンホイザー」(準・メルクル指揮)

  東京文化会館

 準・メルクルの指揮に替わっての2日目。
 先週のガボール・エトヴェシュの時には惨憺たるものだったオーケストラも、流石に復調していた。粗っぽいクラリネットも今日はまずまずだったし、弦のpp での持続音のふくよかさなどでもこのオーケストラらしい味を出していた。
 ただ、演奏全体に、余情というか、情感というか、そういったものが全く感じられず、音楽が終始乾いていたのがなんとも不思議だ。シュターツカペレは本来こんな演奏をするオケではないし、メルクルもこんな音楽をやる指揮者じゃない。喧嘩でもしたのか? オーケストラ・ピットももっと上げてもいいと思うのだが、如何なものか。

 ちなみに今回のスコアは、今年5月ドレスデン上演の際と同様、パリ版を基本に、第2幕の一部にドレスデン版(ワルターの歌を復活)を挿入したものが使用されていた。第2幕での合唱のパートの一部を除き、基本的にノーカットで演奏していたことは、まず良心的な姿勢というべきだろう。

 ギャンビル(タンホイザー)は、最近よくも悪くも、往年のヘルデン・テナー的な歌いぶりに近づいてきたような気がする。つまり、リズム感が甘くなり、野放図な歌唱になってきたということ。
 もっとも今日は、主役歌手のみなさんは何故かお疲れのようで、このギャンビルも、タイトゥス(ヴォルフラム)も、中一日で登板したシュヴァンネヴィルムス(エリーザベト)も、それからシュナウト(ヴェーヌス)も、なにか所々で歌唱が不安定になる。
 その中では、これも中一日登板のリドル(領主)が、オックス男爵の時とは別人のごとくビンビン響く声で気を吐いていた。とはいえ彼のパートのところはオーケストラが薄いので、ある程度割引して考えなくてはなるまいが。

 しかし歌手たちは、みんな演技の表情が細かい。歌合戦の場など、双眼鏡でアップで観ていると、その芝居の巧さはド迫力である。ヴォルフラムの歌にエリーザベトが退屈しきってうんざりする表情、女性たちがそれぞれ歌に反応して見せる表情など、見事なものだ。
 そういえば、エリーザベトが自らヴォルフラムの剣で手首を切り、死を選ぶくだりは、至近距離かオペラ・グラスで見ていないと判然としない個所だが、ここは先日のニールンドよりも、今日のシュヴァンネヴィルムスの方が明確に演じていたように思われた。
 一方、タイトゥスの泰然としたヴォルフラム表現は、私の考えでは、どうも変化に乏しくて面白みがない。というのは、今年5月のドレスデン上演で歌っていたマーカス・バッターの、甚だしく気弱で優柔不断で、エリーザベトの前に出ると常に取り乱してしまうヴォルフラムという表現が実に印象深かったからでもある。同じ演出でも、演じる歌手によってこうも異なるという見本。どっちがコンヴィチュニーの原案か知らないけれど、こういうことがあっていいものなのか? 

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