2017-05

2・12(土)ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー・オペラ
 来日初日公演  R・シュトラウス:「影のない女」

  東京文化会館大ホール  4時

 私のすぐ前の席に座っていた外国人の男は、本番中にペットボトルの水を飲んだり、足を組んで通路に突き出したり、頻繁に頭や体を左右に動かしたり、はては見せ場に来ると両腕を上げたり拡げたり、肩をすくめたり、腰を浮かせたり、とにかく無作法で騒々しく、迷惑極まりない。
 ところがどうもコイツが、このプロダクションの演出家ジョナサン・ケント本人だ、と途中で判明。自分の狙い通りに行かないので口惜しがっていたのか、それとも出来栄えに自ら酔っていたのか、――どっちでもいいけど、演出家が本番中に客席でそんな傍迷惑なことやるな、っての。

 そういうヘンなヤツだが、しかし、このジョナサン・ケントの演出は、思いのほか面白い。ポール・ブラウンの舞台美術およびティム・ミッチェルの照明ともども、なかなか好く出来ている。

 カイコバートが君臨する冥界の場面は怪奇で幻想的な光景として造られる一方、人間の世界たる染物屋バラクの家は冷蔵庫や洗濯機や乾燥機やオンボロのライトバンが(食卓の上にはヴォルヴィックのペットボトルが!)並ぶ現代の作業場になっていて、この対照も面白い。
 特に第2幕の幕切れでは、その場面のセットが舞台奥に移動して行き、前方の紗幕に巨大な波が投映されて、バラクの家が超自然的な力に呑みこまれて行く光景が効果的に暗示される(新国立劇場のような舞台機構の完備した劇場だったら、ここはもっとスペクタクルに造れたのではないかという気もする)。

 紗幕と映像が活用されるのは、最近流行の手法だろう。生命の意味とか、子供の誕生の意味などを考えさせるというほど哲学的な演出には見えないが、総じて悪くはない。
 大詰めでは、新しき時代を担う「生まれ来る者達」が登場するが、彼らに不思議に暗い表情と影を持たせているのも、近年の流行か。その中には軍人も(多分2人)いた。皮肉めいた光景である。

 歌手陣では、皇后を歌ったムラーダ・フドレイと、バラクの妻を歌ったオリガ・セルゲーエワが、やや絶叫気味だったものの、怒涛のごとく押し寄せる大管弦楽の波に対抗して気を吐いた。
 フドレイは「マリインスキー・リング」でのジークリンデや、「東京のオペラの森」の「タンホイザー」でのエリーザベトでもお馴染みの若手だが、芸域も広くなっているし、進歩も著しいようである。
 セルゲーエワも日本でブリュンヒルデを聴かせたことがあり、METにも同役で進出した馬力のある人だ。第2幕の幕切れでヒステリー状態になるところなど、大変な迫力を示していた。この作品における事実上の主役たるキャラクターを、精一杯演じていたと言えるだろう。この人の持ち味は、とにかく一所懸命歌い、演じるというところにもある。

 一方、乳母を歌ったオリガ・サヴォーワも日本でブリュンヒルデを演じたことのある人だが、今回はあまり冴えない。
 皇后に「影」を得させようと策動する乳母は、このオペラでは要ともいうべき役柄なのだが、それが残念ながら弱かった。この舞台がドラマトゥルギーの上でインパクトを欠いていたとすれば、最大の原因は、そこにあるだろう。しかしこれは、歌手ではなく、演出家の責任である。
 皇帝のヴィクトル・リュツクと、バラクのエデム・ウメーロフは、演技も歌唱も存在感も、未だしという段階のようだ。

 さて、ゲルギエフの指揮。
 まさに強力無双の趣きだ。こういう大編成でドラマティックな音楽の場合には、とりわけ凄まじい。
 冒頭に炸裂する「カイコバートの動機」があまりに粗っぽい怒号だったので、もしかしたら今夜も・・・・と一瞬不安が頭をかすめたが、幸いオーケストラは曲が進むにしたがってバランスを取り戻して行った。
 鳴らし過ぎとの感もなくはないが、音響に均衡さえ取れていれば、それも良かろう。豪壮な音づくりは、この指揮者の持ち味でもあるのだ。

 第2幕最後のスペクタクル場面では、ホールが崩れ落ちるかと思われるような大音響が悲劇的な光景を描き出した。
 第3幕での、皇后が石と化した皇帝の姿に気づく個所においても、「ヴォツェック」(ベルク)のあのシーンもかくやとばかりの強烈なクレッシェンドが恐怖の感情を描写して余すところがない。

 とはいえ、第1幕でバラク夫妻が言い争いの最中にわずかの間ながらそれぞれの思いにふける音楽や、同幕最後の「夜警の声」などでは、やはりもっと作品本来の叙情性が重要視されるべきではなかろうか。
 第3幕大詰めの大団円の場面にしても同様だ。今回はオーケストラの大音響と、女性歌手2人の叫び過ぎと、合唱団の位置から生じる音のアンバランスとのために、音楽が全体に著しく混濁してしまっていた。ただしこれは、こちらの聴いた席の位置にもよるだろう。
 いずれにせよ、「生命の泉」の場面などでのように、ゲルギエフは官能的で神秘的な響きを作ることでも天下一品の人なのだから、このフィナーレは、もう少し力を矯めた演奏でも良かったのではないか?

 8時半過ぎに上演が終った後、ジョナサン・ケントによるアフタートークが9時過ぎまで行われ、少なからぬ数の聴衆が客席にとどまって、彼の話に耳を傾けていた。終りの方で彼が、ゲルギエフの「野性的な指揮」に魅力を感じる、という意味のことを語っていたのには、こちらもついニヤリとさせられた。

     ⇒モーストリークラシック5月号

コメント

客席で動いていたという演出家の方、生徒の舞台を見守る先生みたいですね・・・笑・・・ ロシアの歌手の歌い方を批判するドイツの歌い手の意見を聞いたことがあります。概して、大音響のオーケストラと共に歌い演じて大喝采となる、という傾向の強い国だから、そういう歌い方が広まるのかもしれませんね、推測にすぎませんが、この日記を拝読してそんなことも思いました。ロシアは情熱ほとばしる国と思っていいんでしょうか。それともゲルギエフさんお一人の個性なんでしょうか。猫にはここまで・・・。

’第一次世界大戦が終わってたくさんの夫婦が引き裂かれ、多大な犠牲を払っても、今後はその困難を乗り越えて、夫婦仲良く子供はたくさん作りましょ’お説教がましい<影のない女>が実現できていたのではないでしょうか?
やはり、この作品とっても抽象的な作品だから、判りやすくやろうとすればするほど、’お説教がましい’のがなくなりつまらなくなる。 かといって、抽象的にやると眠くなる。
やはり、日本で一度、やるべき元々ジュネーブのアンドレアス・ホモキの出世作のこの<影のない女>、どうしても観たくなる。YOUTUBEでは、バルセロナかマドリードどっちかのの画像があるけど、この20年前の演出ヨーロッパ各地(ジュネーヴ2度・パリ・スペイン・アムステルダム)でこれだけ上演されるのだから、やはり観たい。

ともあれ、面白かった。と僕はそう思いました。
R.シュトラウスって、どうしてテノール歌手に主役の華を持たせないような作品ばかりなんでしょうね。

13日の公演を観ました。まずは充実したオケが印象的。複雑なオーケストレーションが良くときほぐされていて、対位法的な絡みや木管の複雑なフレーズなども充分に聴き取れました。ルーチンワークに陥っているという印象は皆無で、素晴らしい集中力。昨年の新国での東響も大健闘でしたが、やはり大きく水をあけられているという感じです。現在のウィーンフィル等にこれだけの演奏ができるのでしょうか?。
歌手はいろいろ凹凸ありましたが(皇帝役のバラショフが不調で2幕からリュックに交代)、ネベラ等良かったです。
演出は色彩的で、わかり易く、過去に2回体験した実演の中では最も公演終了後のモヤモヤ感がないものでした。映像やハイテク照明の活用が印象的。

「影のない女」(2011年2月12日・2月13日)

バイエルン国立歌劇場来日公演でこの作品を聴いた時は、耳障りとも言える程に聴きにくいオペラであるとの印象だったが、2010年の新国立劇場公演では「なんと美しい曲なのだろうか。美しすぎる程である」との印象に変わり、今回のマリインスキー・オペラの来日公演では「サロメ」と「エレクトラ」と「ばらの騎士」の要素が全て入ったオペラだったのだとの印象に変わった。美しい部分あり、またデーモニッシュな部分もある。

2月12日と13日の公演を聴いた印象をまとめてみる。

2月12日、歌手はセルゲーエワ(バラクの妻)、フドレイ(皇后)、サヴォーワ(乳母)、ウメロフ(バラク)、リュツク(皇帝)、プチーリン(王の使者)。
2月13日、歌手はポポワ(バラクの妻)、ネベラ(皇后)、ヴィトマン(乳母)、ウメロフ(バラク)、バラショフ(皇帝・第2幕からリュツク)、プチーリン(王の使者)。
歌手は両日とも全体に完璧とは言えなかったと思うが、歌の力強さや存在感では12日に軍配が上がる。

12日のフドレイは本調子とは言えないものの、強い意思を持った皇后であった。第1幕は何の苦労もないお嬢様で、乳母の助言がなければ何も出来ない雰囲気で登場するが、第3幕では誰の助けも必要とせず自分の意思で物事を決める1人の自立した女性に変わっていく。フドレイの歌唱力と演技力は、そういう成長の変化をよく表現していた。これまで観た「影のない女」にはなかった表現で、新国立劇場公演のマギーは美しい声ではあったが、最後まで人形のようであったのを思い出す。
13日のネベラは声の調子はフドレイより良かったが、劇中の成長や人物表現は充分出来ていなかった。ネベラは今年後半再度来日してフォーレ「レクイエム」やシェーンベルク「期待」を歌うので楽しみにしたい。

演出と歌手の演技により、バラクとバラクの妻の細かい心理表現が面白かった。新国立劇場公演の演出ではバラクの妻の態度変容の場面は突然訪れたが、今回の演出では、バラクの妻はずっとバラクとの関係修復の切っ掛けを捜しているような雰囲気であった。ウメロフとセルゲーエワ(12日)、ウメロフとポポワ(13日)の比較では前者の組み合わせの方が心理の綾が繊細に表現出来ていた。
セルゲーエワの歌や演技の強さも印象的。
ウメロフのバラクは適度に頼りなく、適度に良い家長の雰囲気であった。
東条さんからは「まだまだ」との評価を頂いているが、私としては好きな方に入る。

一方の演奏。12日の演奏も充分に良かったが13日はこれを更に上回っていたとの印象。座席の違いが大きいかも知れない。12日は2列目中央ブロック(S席)。13日は3階R1列中央席寄り(B席)。
12日は天上からの声、青年の幻影、合唱やバンダがどこからともなく聞こえて来て、特に合唱はオーケストラ・ピットの奥から聴こえてくるような印象だった。「いったいどこから歌っているのか」、「バンダはどこで演奏しているのか」と感じながら聴いたが結局どこからの音か分からないままだった。13日はこれらが4階中央席か5階中央席から聞こえてくることが分かった。休憩時間に主催者に確認すると4階中央席全てをソリスト、合唱、大きなバンダのために使い、歌手や奏者が入れ替わり立ち代り歌い演奏していると言う。休憩中に5階R側から観ると「なるほど」という状況であった。

この曲は大編成のオーケストラが必要だが、12日にオーケストラ・ピットを覗いたところではそれ程大きなオーケストラではない。「なぜ小さいのだろう」とは感じたがそのままとなった。13日にバンダの秘密を理解し、実はこの4階にかなりの大きさのバンダがあり、大音響となる部分についてはオーケストラ・ピットと4階の間で呼応して演奏されていたことが分かった。
第2幕のクライマックスでは12日は(全く破綻なく美しい演奏であると感じる以外には)特に大きな感動はなかったが、3階R席から聴くとホール全体が鳴り響き、これまで体験したことなのない音場となっていた。ソリスト、合唱の声もそれぞれに経験のない音場。

この体験は本当に素晴らしいもので、2日連続して聴いた公演だったが、3日目を聴きたくなってしまった。5階Rや5階Lで聴く人がこの4階中央席を視野に入れながら聴く雰囲気はどうだっただろう。演奏の点では一番安い席が一番良い席だったかも知れない(歌手の魅力は充分味わうことは出来ないが)。

ケント演出では場面転換は幕を下ろし雲の移ろいや鷹が飛ぶ様子を映像で表現している。場面転換部分は管弦楽演奏となるが、改めてこの曲は歌の部分と管弦楽の部分がバランス良く構成されている作品だということが分かる。こんなに管弦楽だけの部分があったとは…。

バラクとバラクの妻の関係(ギクシャクしている)と夜警による合唱(夫婦愛を歌う)は今回の演奏、演出の点で最も印象的な場面。
バラクが1人寂しくテレビをつけると同時に夜警が歌うのでテレビ番組の中の歌のようにも解釈出来る演出。4階中央席からの合唱が美しく響き忘れられない場面。

二組の夫婦で皇帝役はどんな公演もどうも存在感が薄い。2日目のバラショフは第1幕のみで降板。第2幕からはリュツクが前日に続いて歌った。今回の公演では皇帝は白塗りの化粧をしているので(声質は違うものの)途中で歌手が変わってもほとんど違和感はなかった。

乳母は先般の新国立劇場のヘンシェルがあまりにはまり役だった。今回、12日の乳母を歌ったサヴォーワは本来もっと良いはず。彼女の良さが充分出ていなかったような気がする。

カーテンコールで最後に登場するのはバラクの妻。バラクの妻が主役との設定だった。

東条先生、こんにちは。

日本の聴衆は、どうも「自分の聴いたものが最高」と信じたいようです。(私も、もれなく、その傾向にあるんですが。)

しかし、オペラに関しては、海外でそれこそウンザリするくらい公演が行なわれています。日本の聴衆は、吉田秀和が指摘するように、ことオペラに関する限り脆弱と言わざるをえません。

ゲルギエフ&マリインスキーの暴力的な「影のない女」を聴いた後、ザルツブルクでティーレマン&ウィーンを聴きました。そこで耳にしたものとは・・・?

ウィーンフィルが本気をだすと「ああなる」、ということはBSの放送からも明らかでしょう。最強音における美感など、マリインスキーが逆立ちしたって勝てません。また、ドイチュオパーを振らせたら、ティーレマンとゲルギエフでは大人と子供ぐらいの差があります。

みなさん、広い視野を持ちましょう。世界は広いのです。残念ながら、この島国ではオペラについて「語れる」だけの経験は積めません。アクセク貯金をして海外に出るしかないのです。(ホント、東条先生が羨ましい!)新国の尾高さんには失礼かもしれませんが・・・。

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