2020-04

1・22(土)読売日本交響楽団第500回定期演奏会 下野竜也指揮

  サントリーホール  6時

 「腰と脚に悪い」ダブルヘッダーを2か月ぶりに再開。各駐車場との距離(まだ脚が痛く、歩くのにも時間がかかる)も考慮してオーチャードホールを早めに飛び出したのだが、土曜日夕方とあって、15分足らずでホールに入れてしまった。これならアンコールを聴いてからでも良かったな、などと言うのは結果論。首都高3号線上りが渋滞でもしていたら、精神衛生上、悪い。

 記念すべき500回定期を、正指揮者の下野竜也が指揮する。
 リストの「ファウスト交響曲」が入っているこの定期は、以前から聴きたいと思っていたものだ(昨日の沼尻=京都市響のこれも、体調さえ良ければ当然聴きに行っていたところだ)。
 
 前半には、読売日響の委嘱作、池辺晋一郎の「多年生のプレリュード」が初演された。演奏時間約15分の、大編成の曲である。
 作曲者はプログラム・ノートの中で、「地を這うような、あるいは重く沈潜していくような頑迷な『現代音楽』でなく、明快なエネルギーが噴出し、多年生植物の上に更に広がる未来を感じさせるような音楽にしたいと思った」と書いている。いかにも氏らしい表現だ。
 曲は、晴れやかな序奏で始まり、次に勢いよく「本題」に入る。このあたりはTVの大河ドラマのテーマの手法にもそっくり。あれこれ考えずに、いっとき楽しめる曲であろう。その点で、後半の晦渋な「ファウスト交響曲」と一対を為す。

 そのお目当て、「ファウスト交響曲」は、下野と読売日響の総力を挙げた演奏となった。
 下野は、彼らしく、些かも手を緩めることなくがっちりと構築した。そのため、ただでさえ渋い大曲が、いっそう厳めしく聞こえる。第3楽章で、ファウストの「理想と高揚」を象徴する主題がメフィストフェレスにより完全に茶化された形になってしまう個所では、下野は激しいテンポを採って効果を上げるが、しかし基本的には、やはりシリアスなアプローチである。

 第1楽章でのファウストの苦悩は、今回の演奏ではいよいよ深刻に描かれており――「苦悩」というより「絶望」に近くなっていたか?――、しかし下野氏ご本人は楽屋で「ちょっとやり過ぎかとも思ったけど、でもあのようにやった」と確信を以って語っていた。その意気や好し。
 ともあれ、聴き応えのある熱演であった。
 男声合唱は新国立劇場合唱団、テノール・ソロは吉田浩之。

 終演後、下野竜也、江川紹子、西村朗、片山杜秀の各氏および読売日響の横田理事長(進行役)によるアフタートークが舞台で行われ、少なからぬ聴衆を集めた。
 「今日のオーケストラに何を求めるか」というのがテーマだったらしいが、もともとこのような大問題を4人が50分程度で論ずるのは至難の業だ。少なくとも、すぐさま本題に入った方がいい。「今日の日付を答えるのに暦の歴史から説き始める」ような構成では、尚更時間が足りなくなる。
 所謂「名曲」でない珍しいレパートリーや現代音楽を積極的に取り上げていることについて下野氏が述べた「僕はそれらを『今』のために演奏するよりも、『次代』のために演奏するのです」という言葉が強く印象に残った。

 進行役は締めの中で、オーケストラをやって行くには「こういう難しい問題」が存在することを聴衆に理解して欲しいというニュアンスの言葉を述べていた。が、私はむしろ、今日の状況の中で読売日響側がどう考えているのか、この日の下野氏や江川氏の意見をオーケストラがどのように受け取るのか、といったことの方を知りたいと思った――。

  ⇒モーストリー・クラシック4月号 オーケストラ新聞
 

コメント

わ~い、東条先生、ついに一日ダブルの演奏会通い、再会されたとのこと、がんばれ~!!!(猫、旗を振る。)

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