2017-10

12・25(土)新国立劇場 ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」初日

   新国立劇場  2時

 新国立劇場初の「トリスタンとイゾルデ」、しかも指揮は同劇場12年ぶり登場の大野和士となれば、盛り上がるのは当然であろう。客席は満杯、ロビーにも熱気が溢れた。

 この上演は大成功であった。
 成功の要因の第一は、やはり大野和士の指揮にある。
 彼の「トリスタン」を聴いたのは初めてだが、ここまで美しく、しかもエロティックな響きを備えた音楽をつくるとは、予想していなかった(もう少しクールに行くかと思っていたのだ)。ただしそれは、情緒に溺れたものではなく、殊更に濃厚なものでもない。極めてバランス感覚に富む音楽づくりなのである。

 特に気に入った部分をいくつか記しておきたい。
 第1幕では、トリスタンとイゾルデがこの「船」に乗ってから初めて正面から顔を合わせる場面(第5場)の長い管弦楽の個所。
 そして圧巻たる第2幕では、「愛の2重唱」全般での豊麗な柔らかい官能的な音色をはじめ、「ブランゲーネの警告」での管弦楽の夢幻的な転調の響き、さらに幕切れ近くトリスタンがイゾルデを「夜(死)の国」へ誘うくだりの沈潜し切った暗鬱な音色など――そこではすべて遅めのテンポが採られているために、よりいっそう陰翳の濃い音楽となっていた。
 また第3幕の「愛の死」前半および終結部分における管弦楽の耽溺的な柔らかい音色は、私が最近聴いた上演の中では、屈指の素晴らしいものであった。

 「トリスタン」の演奏において、こういう点がうまく行っていれば、それだけで私は、とりあえず満足してしまう。
 もちろん、大野の指揮は、起伏も大きい。第1幕最後の最後で船がコーンウォールの港に着く場面をはじめ、第2幕でのマルケ王たちの登場により恋人たちの「愛の夜」が崩壊する場面、そして第3幕「愛の死」の頂点の個所など、――いずれも作為的な劇的誇張はないが、しかしあくまで作品本来の性格にふさわしく、管弦楽は存分に昂揚している。

 これらをすべて含め、大野の「トリスタン」は、温かい人間性の表現に重点を置いたものであったことが聴き取れる。それは、疑いなく世界第一級の「トリスタン」解釈に属するものと言って良いだろう。

 今回は、東京フィルが見事な演奏をした。ホルンやトランペットに肝心な個所で綻びが無かったとは言えないけれども、これだけ緻密で豊饒な響きを聴かせてくれれば、まずは祝着ではなかろうか(しかも初日からこの水準に達していたというのは、概して立ち上がりの悪い新国のオペラ公演としては珍しい)。
 この劇場のピットで、わが国のオーケストラがこういう優しく美しい音を聴かせてくれた例は、少なくとも私の体験した範囲では、アルミンクと新日本フィルによるツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」(05年二期会公演)以来のことであった。

 歌手たちが手堅く、安定していたことも、この上演を成功に導いた要因の一つであろう。
 トリスタン役は、この数年来快調なシュテファン(スティーヴン)・グールド。歌唱は安心して聴けるタイプだし、それに容姿体格の面でも、漸く「騎士」らしい雰囲気のトリスタン歌手が出て来てくれたわけだ――他の某テノール歌手には失礼だが。
 イゾルデはイレーネ・テオリン。「愛の死」などで「叫ぶ」癖は未だ抜け切っていないけれど、以前に比べれば歌い方も女っぽくなって来たし、深い表情も加わって来ている。
 クルヴェナールはユッカ・ラシライネンで、今回はいつもより抑制して歌っていたようだが、力のある声である。ブランゲーネのエレナ・ツィトコーワは、成長著しい。
 マルケ王のギド・イェンティンスは、おそろしく老人に仕立てられていたのはともかく、歌はしっかりしていたとは言え、やや影の薄い印象だったのは否めまい。
 その他、メーロトに星野淳、牧童に望月哲也、舵取りに成田博之、船乗りに吉田浩之。

 演出はデイヴィッド・マクヴィカー、美術と衣装はロバート・ジョーンズだ。
 殊更に奇を衒ったものではなく――水夫や王の部下たちの国籍不明の風体と、些か騒々しく煩わしい動きを除けばだが――ごく中庸を得た演出で、その意味では、安心して観ていられる舞台と言えようか。

 第1幕では、演技は非常に細かい。このドラマの重要なポイントである「愛の魔薬による恋人たちの解放」にいたる過程も、解りやすく描かれていた。
 たとえば、「かつて傷ついたトリスタンの前で、その眼差しに射られて金縛りに遭った」ことをイゾルデが回想する瞬間に、2人が万感迫る思いで抱き合ってしまうという演出設定など、すこぶる気が利いているだろう。
 また、「気が済むように自分を殺せ」とトリスタンに迫られたイゾルデが、言い逃れの口実――それではあなたの主君に申し訳が立ちますまい――を必死で考える演技なども、筋が通っている。

 だが概してこういった微細な演技は、2人の女性――イゾルデとブランゲーネのみによって行われていた感がある。
 テオリンの身体的演技は雄弁で、とりわけ眼の表情は物凄い。またツィトコーワの演技は更に微細精妙であり、常におどおどしつつ周囲に気を遣っている様子を実に巧みに表現していた。
 つまり、この2人の女性がドラマの深層心理を明快に描き出しているのに対し、トリスタンとクルヴェナールはどちらかというと無表情で茫漠とした演技の雰囲気に終始していたのだ。
 そのあたりに、不思議なアンバランスがこの演出には生じていた。それゆえ、第1幕と第2幕では比較的リアルに心理描写が行われているのに、女性の登場の少ない第3幕になると、人物の動きに何か曖昧なものが感じられるようになるというわけである。

 なお、第2幕での「ブランゲーネの警告」を、舞台上で歌わせたのは、多分演出家の考えによるものだろうが、これは声楽的にも大いに疑問が残る。ここは、彼女の警告でさえ恋人たちにとっては夢の中の響きのように聞こえるというのが、ワーグナーの音楽の狙いだったはずだ。それをあのように同一空間で歌わせては、非常にリアルな響きになってしまい、ニュアンスが変わってしまう。それにここでは、大野と東京フィルが、絶妙な夢の世界を描き出していたのだから、なおのこと均衡が失われる――。

 各45分の休憩2回を含み、終演は7時40分になった。6時間近い上演時間は、バイロイト並みだ(28日は開演が5時のはず。どうなるのだろう?)。
 坐骨神経痛が未だ完治せず、長時間同じ姿勢で座っていると焼け付くような激痛に襲われるため、その意味からは「長すぎるよねえ」と知人相手にぼやいていたことは事実だが、実際は、ほとんど長さを感じなかったのである。大野和士の指揮が良かったからだ。

コメント

わあ、待望の新国トリスタンの日記!どんなだったかなあと思いながら、今年テレビで放送したバイロイトのトリスタン録画を見たりしてそわそわしていました。イレーネ・テオリンさん、そうですか、素敵になってよかったです。最初にテレビで見たとき、なんか声出すぎちゃって(贅沢な話)面白くないような感じでしたが、久しぶりに見ると、やっぱり余裕の声だし、楽そうで、見ていて安心、いいなあ、と思ったりしてました。大野さん指揮によるオケもそんなに魅力的だったのですか、これもテレビで放送するのでしょうか。是非お願いしたいです!それで東条先生、長丁場のあと、どうぞお大事に。

良かったです

28日公演、概ね満足しました。

東条さんが誉めているので、私はあえて憎まれ役を。

今回気になったのは(マイナス点)
・前奏曲や「愛の死」の場面における唐突なアッチェレランド(特に前者におけるティンパニのデリカシーのなさ)
・寸足らずなフレージング(これはオケの技量の問題かと。朝比奈と大フィルを思い出した)
・フレーズとフレーズの「繋ぎ」の悪さ(大野さんは古典派的過ぎる)
・肝腎なクライマックスでのオケの体力不足(あんな「愛の死」はないだろう)

あと
>この劇場のピットで、わが国のオーケストラがこういう優しく美しい音を聴かせてくれた例は、少なくとも私の体験した範囲では、アルミンクと新日本フィルによるツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」以来

アルミンクと新日がピット入りするのって、確か来年の「ばらの騎士」が初めてじゃなかったですか?こちらの記憶違いかもしれませんが・・・。

28日の公演を観ました。とにかくグールドのトリスタンが圧倒的な素晴らしさ。高音は輝かしく、低音も良く出ていわゆる重い声のヘルデンテノール。3幕に入ってもスタミナ切れせず、歌いくずしもほとんどせずに長丁場を歌いきってくれました。他の歌手もテオリン、ツィトコーワはじめ言うことなし。大野さんの指揮はハッとするような美しい箇所が多々ありましたが、もう少し緩急をつけてほしかったでしょうか。

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1月4日に観ました。

いろんな価値観・批評が出てきた12月25日・28日の公演を受けて1月4日および10日(10日今終わったから、すぐに書き込むのですが)思ったことです。
主要な諸役・演出を外人キャストで纏め上げていかなければならない新国立劇場にとって、<丁寧な音楽作り>を追求しつつ<再演上演可能な集客率の良い舞台作り>を目指す。ことの両立の上から、私はかなりの高水準だったと思います。

確かに、もっとこうして欲しいというリクエストは、あります。
しかし、音楽の流れの邪魔をしない安定した演出は秀逸でした。
また、オーケストラについても、ブラスセクションの不備を何とか補おうとする
他の楽器群の姿勢は好感を持ちました。
だからこそ、(本音の部分)ワーグナーに対する独特の思い入れって、
いったいなんなんだろうと思います。自分も含めて。

"höchst Lust!"

松の内明けて、いまさらの投稿でスイマセン!

年末年始の休暇をいいことにトリイゾ5連荘完走、目を閉じると「憧憬」の動機が耳に響く倒錯のなか、2011年を迎えてしまいました。以下、ドロドロ系の肉弾戦や恍惚系の焦らしをこの作品の理想とする者の偏向した感想です。

幽霊船にうずくまるイゾルデ姫は彼岸の西からの迎えの妖姫。人間界に一瞬開けた結界(2幕の塔(男)と妖艶に青く燃える複層のリング(女))では真に結ばれ得なかった二人は、終幕で血の流れを思わせる赤いドレスの裳裾として結びつき落日と共に彼岸の西に戻り本懐を遂げる。
そこでのテオリンの長く引き伸ばしたピアニッシモの"höchst Lust!(至高の喜び)"に解き放たれこの世ならぬ忘我の至福を味わった。これぞ熱い欲望の血潮が通う勁くて脆い理想のイゾルデ!文楽の心中ものを想起させる自我のはっきり役作りは極めて魅力的女性像。
トリスタンと共に私も「目ヂカラ」で“Lass mich sterben!(死なせてください!)”。実は昨年11月コペンハーゲンまで目ヂカラ・イゾルデ拝みに行ってしまいました・・・、まさに"vor deinen Augen süss zerronnen(あなたの視線に甘く溶かされ)" <-- ビョーキですね

ロールデビューのグールドのトリスタンは当初は誠実さが全面に出すぎの感があったが、回を重ねるごとに抑えがたい欲望(情)も迸る白熱化。幼い妹風ブランゲーネ、酔っ払いクルベナールも好演だが、隠者・仙人風のマルケはご愛嬌。

マエストロ大野指揮の東フィルは、日に日に2幕での冷涼な精緻さの背後に潜む熱い欲望の表出にも成功し、ワーグナーの聖と性(エロス)の混沌を、「肉食系(バレンボイム)」「老練系(シュナイダー)」とは違ったアプローチでを描き出し納得感充分であった。

ただ演出については、東条先生ご指摘のとおり、女性二人以外は所作による性格づけが弱く、グールドやラジライネンのような芸達者でないと間が持たない。舞台に張られた水面に揺れる月・太陽やイゾルデの姿が見えない平土間では薄暗くて動きが乏しすぎたかも?せめて舞台天井に揺れる水面の反射光でも写し出せばよかったのに・・・。

このまま、アイーダやオランダ人にも転用できそうなエコノミカルな舞台作りとの声もあるが、新国定番として長く再演を繰り返して欲しい。できればテオリンvsグールドで“nur einmal noch!"。

マエストロ大野がドクターストップで2月一杯静養とのこと。(楽日までご苦労さまでした!)
http://www.tpo.or.jp/information/detail-54.html
東条先生もこの寒さでの坐骨神経痛で大変かと存じますが、本年も当ブログの活躍・発展楽しみにしております。

新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」2010年12月25日(初日)

新国立劇場で初日からこのように集中力の高い公演を観て聴くのは初めてのような気がする。
また、演奏、演出、歌手が全てピッタリとうまく揃い非常に上質な上演となった。
同じ質の演奏をあと4回も上演するのだから、アーティストとは普通の人には出来ないことが出来る人たちであると改めて感じる。

特に大野和士指揮東フィルの演奏が素晴らしかった。
冒頭は演出も面白く、最初から非常に集中して聴くことが出来た。
新国立劇場のメルマガではリハーサルの模様を紹介しており、「筆舌に尽くしがたい美しさ」とあったが、それは実際に会場で観るとよく表現された紹介文。しかし、本当にその良さは実際に会場にいた人にしか分からない。

演出と演奏の一致も多くの場面で強く感じたが、プレミエでは演出、指揮者、歌手が意見を交わすことが出来ると想像するので、そのような意見の交換の結果による一致ではないかとも思う。

9列目中央で聴く限り、歌手は特にツィトコーワ(ブランゲーネ)とグールド(トリスタン)が良かった。拍手もこの2人に特に大きかったと感じた。
この公演の素晴らしさはスタンディング・オベーションに値すると感じたが、新国立劇場の観客はいつもクールである。「同じ質の公演が関西で行われれば間違いなく総立ちだろう」と感じながら拍手を続けた。実際、カーテンコールでの歌手たちは満足そうな表情ではあるものの、「このくらいの静かな反応?」というような表情も読めた。

今回の演出はブランゲーネの設定が非常に面白い。私自身のイメージでは、ブランゲーネは年配の分別のある侍女である。しかし、今回は若く人生経験もない全く未熟な侍女であり、常におどおどしている。これは最後まで変わらない。
「毒薬で死ぬ場面を観るのは自分自身が恐ろしくて耐えなれない。だから代わりの薬、しかも、何も考えずに媚薬を渡す」ということから死に向かって物語が進む。
新鮮な設定であった。

ラストのイゾルデの死は意外な方法。

この公演でただ1つ残念だったのは、静かに始まるこの作品で前奏曲が始まっているのにほぼ最前列に座る客のための客入れしていたこと。1階後方の仮の席に座ってもらえば良いのではないか。最初の重要なところで、遅れた観客と係員の動きや音など余計なことに注意が行ってしまった。

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