2020-07

11・10(土)尾高忠明指揮札幌交響楽団(マチネー)

  札幌コンサートホール kitara

 福岡からの直行便では3時からのマチネーにぎりぎり、という危険性無きにしも非ずというわけで、早朝小倉を発ち、北九州空港から8時15分のスターフライヤーに乗り、羽田で11時のANAに乗り継ぎ、1時過ぎに札幌に入る。ホテルでシャワーを浴びるくらいの時間は捻り出せる。

 今回の尾高=札響の定期は、ドビュッシーと武満徹を組み合わせたプログラム。
「牧神の午後への前奏曲」で始まり、「ファンタズマ/カントゥス」(ソロはポール・メイエ、相変わらずすばらしい)、「クラリネットと管弦楽のためのラプソディ」(同)、休憩後に「遠い呼び声の彼方へ!」(ソロは堀米ゆず子)、最後に「海」。
 極めていい流れの曲目編成だと思う。同質にして異質、共に精妙かつ瑞々しい感性が全く異なった形で立ち現われている二人の作品が、それぞれに水の流れの形態を変えつつ、しかも一つの清流として美しく流れて行く。それは不思議な快さであった。

 私は、この日の尾高と札響の演奏を聴いているうちに、ドビュッシーと武満とが並列に置かれているのでもなく、もちろん武満をドビュッシーの後継者として位置づけるものでもなく、むしろ武満の音楽が基本に置かれ、そのパースペクティヴを通して見たドビュッシーの音楽がそこに加わっている、というイメージを感じてしまっていた。
 これは、いうまでもなく尾高と札響が日本人音楽家であり、その演奏もいろいろな意味で日本人演奏家の特質を感じさせていたことからも生まれる印象かもしれない。両者は武満の作品を手がけてすでに充分な実績があり、しかも広く定評がある存在だし、特に尾高はこの日の武満の作品2曲を初演した指揮者でもある。

 「遠い呼び声の彼方へ!」での堀米ゆず子のソロも、この曲を初演した時のアイダ・カヴァフィアンのそれとはかなり趣を異にして、オーケストラに同化した、落ち着いた表情と音色を備えた演奏であった。その日本的ともいうべき淡彩な色合いが、ドビュッシーの「海」にも影を落す。何か曇り空の下の光景を思わせるような、憂いを持った響きだった。
 といってこれは、決してつまらない演奏だったという意味ではない。それどころか、日本の演奏家なら、そのような解釈を採ってもいいはずなのである。「波の戯れ」でのオーケストラ全体の響きの溶け合い、リズムの乗りの良さと推進力、「風と海との対話」でのクライマックスにおける響きの美しさなどは、わが国のオーケストラでは滅多に聴いたことがないほどの水準の高さを示していたのだった。
  北海道新聞11月19日 (掲載は上記の一部)

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