2019-05

11・9(金)北九州国際音楽祭最終日 パリ管弦楽団

  九州厚生年金会館 ウェルシティ小倉

 新幹線で夕方小倉に着き、1時間ほどホテルで休息してから、7時の演奏会を聴く。
 10月7日に開幕した音楽祭が、今日最終日を迎えた。会場もほぼ満席、カーテンコールなどでの熱い盛り上がりはさすが南国のお客さんというべきか、これなら演奏者も気分的に高揚するだろう。

 指揮がエッシェンバッハ、ソロはラン・ランという顔ぶれは11月7日の東京公演と同じだが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が、こちらの音楽祭では「4番」になっている。
 作品ごとにさまざまなスタイルで新鮮なアプローチを試みるラン・ランは、この日もその本領を発揮、息を潜めなければ聞き取れぬほどの弱音と最弱音を、スコアの指定をはるかに超えて多用する一方、第1楽章と第2楽章では、今にも止まってしまうのではないかと思えるほどの遅いテンポを採り、この叙情的な協奏曲から、驚異的な緊迫感を引き出した(先日リリースされたCDとは比較にならぬほど極端である)。あたかも音符の一つ一つを慈しみつつ陶酔に浸るような、時にはデフォルメに近い弾き方さえ聴かれる演奏であり、これだけの強い自己主張を打ち出せる彼は、やはりただものではないピアニストというべきであろう。
 エッシェンバッハもまたそれを愉しむがごとく、第3楽章でのピアノ・ソロの副主題の下のチェロを極度に鋭い響きで演奏させるなど、先鋭的な音色の効果を聴かせてみせた。教条主義的な聞き手や、ベートーヴェンはかくあるべしという先入観に固まった聞き手なら激怒しそうな演奏だが、200年前の名曲に新鮮なイメージを見出したい聴き手には、実に面白いものといえるだろう。

 なおアンコールでは、この音楽祭の独自企画により、ラン・ランとエッシェンバッハがシューベルトの「4手のための性格的な行進曲」第1番を演奏した。これは、けだし「見もの・聴きもの」であった。エッシェンバッハはいうまでもなく、かつては名ピアニストとして鳴らした人であり、またラン・ランにとっても師匠格にあたる人だ。今回は「師弟協演」というわけだが、ピアニストとしての最近のキャリアのせいか、弟子の方が主導権を取り、先生が必死に追いついていくというような雰囲気である。音楽祭企画アドバイザー・奥田佳道さんの話によれば、弾いてくれと頼まれたエッシェンバッハは、「気持の準備はできているが、指の準備ができていない」と言って、必死で練習していた由。

 後半は東京公演と同じ「幻想交響曲」。ホールの音響がドライなため、あまり「パリ管」的な音色は味わえなかったが、その代わり、サントリーホールでの演奏では気づかなかった細かいエッシェンバッハの仕掛けが聴き取れて、これはこれで興味深かった。特に第2楽章後半からはオーケストラのアンサンブルが非常に引き締まり、これがパリ管かと思えるような緊密な合奏になっていったのにも驚いた。アンコールは「道化師の踊り」。

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