2018-06

8・7(土)ザルツブルク音楽祭
 グルック:「オルフェオとエウリディーチェ」(新演出)

   ザルツブルク祝祭大劇場  8時

 規模からいえば大劇場向き作品ではないが、指揮するのが巨匠リッカルド・ムーティとあれば、彼の圧倒的な観客動員力で商策を優先するのも、音楽祭当局としては自明の理か。

 さすが大ムーティ、貫禄の指揮ぶりだ。ピットをやや高めに設置してオーケストラの存在感を強調し、雄弁に音楽を展開する。ウィーン・フィルも、昨夜とは別もののように――メンバーもかなり違っているらしい――引き締まった響きを出し、グルックの音楽の劇的な推進性と端正な造型を美しく表出して、聴き応えのある演奏をしてくれた。

 第1幕でエコー・パートを舞台裏で受け持っていた数人の弦楽奏者たちは、第2幕以降はピットの中に移って弾いていた。したがって、弦は結局最大14型くらいになっていたのではなかろうか。オルフェオと悪霊たちの応酬の音楽など、合唱(ウィーン国立歌劇場)の強力さも加わって、演奏には重厚な迫力もみなぎっていた。
 ただし今回の上演は「1762年ウィーン版」だから、激しい曲想のバレエ音楽はなく(もちろんあのフルートの旋律も出て来ない)、したがって全体としては抑制された音楽づくりになっている。

 ムーティ自身も、こういうレパートリーではノン・ヴィブラート奏法を取り入れるようになった。彼といえども、時代の流れには抗しえないらしい。
 ともあれ、休憩無しの全3幕、1時間40分、音楽の緊張が些かも失われることがなかったのは、さすがムーティの力量というべきだろう。

 ソロ歌手は3人。オルフェオにエリーザベト・クルマン、エウリディーチェにゲニア・キューマイアー、アモーレにクリスティアーネ・カルク。
 いずれも若手の清新な顔ぶれで、特にクルマンは容姿、歌唱力と声量、演技力も含めて存在感充分の歌手だ。

 演出はディーター・ドルン。予想していた通り、何とも低調きわまる。音楽を邪魔しないといえば聞こえはいいが、こう無策で単調な舞台では考えものであろう。
 序曲の途中で幕が開き、オルフェオとエウリディーチェの幸せを寿ぐ人々の輪の中で、突然エウリディーチェの姿がセリで奈落に消える。そして、そのまま第1幕の全員の悲嘆の合唱場面に続く――というテは、些か常套的ではあるものの、スタートとしてはまあまあだったかもしれない。

 しかし、第2幕でオルフェオが歌うアリオーゾ「何という澄み切った空」の個所で、「天国を浮遊する」人々が夢見るような表情をしながらいつまでも同じ調子で歩き続けていたり、第3幕大詰めの「愛の神が勝つように」の合唱とバレエのさなか、男女の諍いと仲直りが繰り返される光景が延々と続いたりするというのは、いかにも策がない。
 その喧嘩も、少しは変化をつけようという意味か、時に突然暴力的な行動(花束で女を打ち据えるとか、くだらない!)をとらせるが如き小細工も。――エクサン・プロヴァンス音楽祭の「アルセスト」でクリストフ・ロイがやっていたのと同じテだ。なさけない。

 まあ、悪くなかったのは、トビアス・レッフラーの照明だろう。第2幕の地獄の場でうごめく群集をゾンビのように見せる光を当てて効果を出したのは面白かったし、そのあとの天国の場での、明るいブルーを基調とした光の配合も素晴しく美しかった。
 これは7月31日にプレミエされたもの。8月24日までの間に計7回上演される。

 朝から降っていた雨も、幸いに夕方までにはあがっていた。しかし相変わらず寒い。風邪を引きそうになる。明日はやっと晴れそうだが・・・・。

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