2020-04

2007・8・20(月) ザルツブルク音楽祭
 ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」

       モーツァルトハウス  3時

 今回のザルツブルク音楽祭における出色のプロダクションの一つ。

 ファルク・リヒターによるこの新演出では、悪魔ザミエル(イグナツ・キルヒナー)が重要な役割を持ち、手下(助手)2人と共にしばしば舞台に登場して、長いセリフをも喋る。
 ザミエルは、夜の帳が降りればたちまち悪魔の本性を現わす男でありながら、日常は白服でステッキを携えた粋なオヤジの姿で、一般の人々の中に紛れ込んでいる。クーノー(ロランド・ブラハト)の「射撃大会の由来」の説明をさえ、途中で引き取って喋り出すという知恵者でもあるのだ。真の悪役は思いがけず大衆の中に潜んでいるものだ、という現代的な寓話なのであろう。

 しかもこのザミエルは、狂言回し的な役割をも受け持つ。第3幕では突然英語で「それでは皆さん、ドイツ・クラシックが誇る名曲、狩人の合唱をどうぞ!」と派手にアナウンスして観客を笑わせ、終ると「この世の喜びはこれで充分。ではまた少しシリアスなものに戻りますかな」といった調子だ。
 
 ザミエルの手下2人も、同様に通常人の姿で動き回る(うち1人はカッコいいパンク・ファッションで、冒頭からすこぶる目立つ存在だった)。彼らはカスパル(ジョン・レリア)やマックス(ペーター・ザイフェルト)やエンヒェン(アレクサンドラ・クルツァク)に対し、さかんに「悪魔の囁き」を繰り返す。ただしこれは、悪魔に魂を売り渡した人間だけに聞こえるものらしい。
 第1幕最初の場の群衆は、村人でなく、軍隊の射撃大会を見物にきた観光客という設定だ。

 舞台装置はアレックス・ハーブ。序曲の間、舞台はオフィスか病院の待合室みたいな殺風景な光景だったが、実はこれは、内舞台の幕の役目。左右にドアが開いてみると、奥はすこぶる深い。

 深夜の狼谷の場面では、奥の方で、静的なワルプルギスの夜ともいうべき光景が展開される。バーナーで放射される本当の「炎」が終始活用され、7つの弾丸が出来上がるクライマックスの瞬間には、巨大な炎が舞台にあふれる。客席にさえその物凄い熱気が吹きつけてくるほどだから、炎に囲まれて芝居をし続けるカスパルらは、さぞや熱かったのではないかと心配になってくる。

 照明によるマジックは第3幕、少女たちが魔力に襲われる場面などで使われるが、これが実に不気味で、巧妙だ。第3幕第1場では映像も使用され、その中でカスパルの運転するクルマに同乗したマックスが「もう一発タマを俺にくれ」とゴネるシーンなど笑いを誘う。こういう場面での欧州のオペラ歌手の芝居の巧さは、羨ましくなるほどである。

 リヒターにより追加されたセリフは多く長く、こちらはなるべく早く音楽を聴きたいと思うのだが、マルクス・シュテンツの指揮はいつもながらに味も素っ気もない音楽だから善し悪しだ。もっとも、ドイツ・ロマン派の神秘的な雰囲気を一切取り払ったこの演出には合うといえるのかもしれない。
 演奏はロマンティックな性格を極力排除、むしろグロテスクな面を強調している。弦の硬めの音色、ピッコロの強奏などがそれだ。ウィーン・フィルにしては随分・・・・と思わせるような響きも少なからず聴かれるが、もちろんこれは意図的なものであろう。

 主役歌手陣は男声が強力で、ザイフェルトは相変わらず絶好調だし、レリアの悪役ぶりはその演技といい、声の迫力といい、屈指の存在だろう。アガーテ(ペトラ・マリア・シュニッツァー)とエンヒェンは無難な出来だ。4人の少女のうちの一人にウエノ・ヨウコという人がいたが、容姿も歌もよく、踊りも愛らしい。
        東京新聞9月15日

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