2019-05

7・31(土)佐渡裕プロデュース バーンスタイン:「キャンディード」

    (兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール  2時)

 兵庫県立芸術文化センター開館5周年と、レナード・バーンスタイン没後20年とを記念し、同文化センター芸術監督の佐渡裕が満を持して制作した「キャンディード」。
 演出はロバート・カーセンで、2006年シャトレ座制作版による上演。この版は、1989年にバーンスタイン自身がロンドンで演奏会形式により上演したもの(市販映像あり)とは、曲順やセリフなどにかなりの相違がある。

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      ラス・ヴェガスのギャンブルの場面
      写真提供:兵庫県立芸術文化センター ©飯島隆

 今回の公演は、同文化センターで7月24日に幕を開け、8月1日までの間に7回行なわれた。東京ではオーチャードホールで、8月6日~8日に上演される。
 私は東京公演の時にはザルツブルクに行っている予定なので、今のうちに観ておきたいと思って西宮まで足を伸ばした次第。舞台機構設備が整っているこちらの劇場で観た方が有利、と踏んだためもあったのだが。

 結論から先に言うと、これは予想を遥かに超えた出来のプロダクションである。実に楽しい。ノリも良く流れも良く、演奏にも舞台にも所謂「隙間」のようなものがない。よくまとまっている。

 成功の理由として、第一に佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏を挙げるべきだろう。
 聴く前には、もう少し重い演奏になるのではないかと危惧もしていたのだが、これほど闊達でリズミカルで劇的で、胸のすくような演奏を聴かせてくれるとは、嬉しい驚きであった。佐渡特有のダイナミックで豪快な音楽づくりも、こういう作品にはぴったり合っているだろう。
 誰だったか、「キャンディード」の音楽は「ウェストサイド・ストーリー」を遥かに凌ぐ水準にある――と言った人がいるが、こういう演奏で聴けば、まさしくその意見に共感できるというものだ。恩師バーンスタインに捧げる佐渡の熱烈な想いが噴出するような演奏であった。

 ソロ歌手陣はすべて外来組で、歌も演技も本当に達者なのに感心させられる。
 特に、狂言回し役のヴォルテール(原作者)を演じたアレックス・ジェニングズの巧さ。彼はまた、楽観主義者の哲学者パングロスと、悲観主義者マーティンとをかけ持ちで演じたが、これも鮮やかな演じ分けだった。舞台上で自ら扮装を替える場面など、その洒落た手際にはニヤリとさせられる。
 この3役を同一の人物が受け持つという演出は、当を得ているだろう。このドラマがオプティミズムとペシミズムの間を揺れ動きつつ生きる人間を描いているがゆえに、その両側面を端的に象徴するという意味にもなる――丁度ワーグナーの「タンホイザー」でのエリーザベトとヴェーヌスを、女性の両側面を象徴するものとして同一の歌手が演じ分ける手法がよく使われるのと同じように。

 その過酷な運命に翻弄される主人公の一人が、青年キャンディードだ。ジェレミー・フィンチが歌い演じていた。もちろん安定した出来だが、あえて言えば周囲の達者なキャラクター連に圧され、やや常套的な存在に留まった感もある。
 その恋人の美女クネゴンデを演じたのは、マーニー・ブレッケンリッジ。演出に従い、時にマリリン・モンローばりの扮装で演技を展開、聴かせどころの「きらびやかに華やかに」も決めた。もう少し速いテンポでコロラトゥーラを利かせてくれれば(前出ロンドン演奏会上演でのジューン・アンダーソンのように)という気もしたが、しかし、あんな姿勢でよく歌えるものだとは思う。
 もう一人目立ったのは、オールド・レディ役のビヴァリー・クライン。これは「自称苦労人」の3枚目役で、主役を食う迫力で大暴れ。お見事でした。

 その他、脇役、端役に至るまで、いろいろな役を掛け持ちしながら歌い演じる人たち、みんな巧い。
 合唱は、ひょうごプロデュースオペラ合唱団で、これも健闘していた。

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      「きらびやかに華やかに」を歌うクネゴンデ(ブレッケンリッジ)
      写真提供:兵庫県立芸術文化センター ©飯島隆

 カーセンの演出は、マイケル・レヴィンによる洒落た舞台装置も含め、なかなか好い。
 舞台のプロセニアムは、1956年(初演時)頃のテレビ受信機を模して作られ、序曲や間奏曲の場面ではその中に当時の映画「ジャイアンツ」のタイトルや、見せかけのオプティミズムを謳歌していた時代のアメリカの豪奢な社会の光景が映像で流れる。
 これで物語の時代と場所の設定が予想されるというわけだが、しかし実際にその「ブラウン管」の中で展開して行くドラマは、現代までの普遍的な時代に拡げられている。石油成金としてシェルやテキサコの名が、あるいは往年の政治家たちがパンツ1枚で日光浴をしながら後継者たちを嘆く場面でサルコジやオバマの名が出るくだりなどは、もちろんバーンスタインの原作には無い、カーセンとイアン・バートンの改訂台本による現代風刺的な読み替えだ。

 いったん死んだはずの者が生き返って登場したり、場面が滅茶苦茶に飛んだりする不条理な物語の進行を巧みにまとめ上げるのは、終始ブラウン管の外に自身を置くヴォルテールの語りと、洒落た手法で転換される舞台装置である。
 振付(ロブ・アシュフォード)も、ダンサーの数はそう多くはないけれども、要を得たものであった。
 ただし、中にはギョッとさせられるシーンもあって――それはキャンディードやパングロスらの主人公たちが絞首刑に処せられる場面で、一歩誤ればただ事ではなくなるような手法が使われており、観客も愕然としてしまい、音楽が終ったにもかかわらず拍手も起こらない状態になったほどであった。

 オプティミズムを完膚なきまでに打ち砕かれながらも、ペシミズムに陥ることを拒否、真実はその二つの間のどこかにあるだろう――「ただ自分の畑を耕すのみ」と発想を転換するキャンディードたち。
 それはバーンスタインの音楽とヒュー・ウィーラーの台本で既に語りつくされているものだが、カーセンはそれをかなりストレートに再現していた。悲惨さや惨酷さがユーモアを以って描かれるその「コミック・オペレッタ」の精神も、比較的忠実に生かされていた。このような作品の場合、そういう演出が、何よりありがたい。

 休憩1回を含み、終演は5時10分。
 西宮北口から阪急電車に乗り、大阪でJRに乗り換え、次の目的地・大津に向かう。びわ湖畔のホテルに投宿。

コメント

 私は7/27日に聞きましたが満員で、すごい。
 カーセン演出はTV画面の中にすっぽり入れるものでTVメデアに飲み込まれている現代社会を映像化したのかと思いました。
 あの絞首刑のところどうなっているのかと私も本当に心配でした。
 ソリストの声が依然聴いたびわこホールの公演(日本人キャスト)に比べて数段上で,演出はびわこも素朴でよかったとも思いましたが、やはり佐渡さんはこの曲の伝道者だけのものを見せてくれました。荒唐無稽な面のあるこの曲の良さをよくひきだしていたと思う。オーケストラも若々しくて。
1月の定期のベルデイ「レクイエム」ではアンコールにクライマックスの「僕らの畑を耕そう」を演奏する周到さでした。

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