ジョージ・セル 〜練習もすべて本番同様〜
1970年、大阪万国博開催中のある日、大阪フェスティバルホールで、来日中の巨匠ジョージ・セルと、ヘルベルト・フォン・カラヤンが鉢合わせした。
カラヤンがベルリン・フィルとリハーサルの最中、「今は入れません」と止める人を「構わん構わん」と振り切ってズカズカと入り込んだセル。カラヤンが「おお、マエストロ!」と手を差し伸べれば、セルは「やあ、ヘルベルト!」と応じ、二人は抱き合って再会を喜んだ・・・・。
その時セルのアテンド役をつとめ、この場面を目撃したCBS・ソニー(当時)の大西泰輔氏を通じ、この話はあっという間に広まった。
われわれスズメどもが特に面白がったのは、楽壇の帝王カラヤンをファースト・ネームで呼ぶ指揮者がいた、という一点だった。セルの方が11歳も年長なのだから別に不思議はないわけだが、なにかそれは、曰く言いがたい可笑しみを感じさせたのである。セルって偉いんだねェ、などと皆で笑い合ったものであった。
巨匠セルは、それまで、日本ではあまり人気がなかった。それが一転したのは、CBS・ソニーが「セル=クリーヴランドが超一流であることは、今や世界の常識である」とかいうキャッチ・コピーを使って、猛烈なPRを展開してからである。
そういう触れ込みは概してあてにならないものだが、この場合は驚異的だった。ナマで彼らの演奏を初めて聴いた私たちは、例外なく震撼させられた。オーケストラ美の極致ともいうべき完璧なバランスのアンサンブル、しかも冷たさなど微塵もないヒューマンな演奏の表情。
大阪フェスティバルホールで間近に見たセルとクリーヴランド管弦楽団のリハーサルは、噂に聞くとおり、徹底的だった。「Ladies and gentlemen、オハーヨウ」と呼びかけ、冒頭から楽員たちを爆笑させたセルだったが、あとはひたすらシリアスなリハーサルが続く。特に驚かされたのは、ベートーヴェンの『英雄交響曲』の二つの和音を、いつ果てるともなく繰り返して練習させることだった。われわれが聴いていて、もうこれ以上の完璧な演奏はないと思えるほどだったのに、セルは満足せず、執拗に最初の2小節を繰り返させるのである。雑誌で読んだクリーヴランド管の楽員の「われわれの演奏は、リハーサルだろうと本番だろうと、同じである。たまたま最後の1回にはお客が入っているだけのことである」というコメントは、決して誇張でもなんでもなかったのだ。
かくしてジョージ・セルは、その最初の来日で日本のファンを圧倒した。東京での最終の演奏会で彼は、惻々として心に迫る第2楽章を含む『英雄交響曲』を聴かせてくれた。あの演奏にあふれていた、一種の凄まじい魔性のようなものを、私は今でも忘れることができない。わずかその2ヵ月後に彼が世を去ることになるなどと、その夜東京文化会館に集っていた聴衆の、だれが予想したろうか。
『ArtGaia CLUB MAGAZINE TC』2007年7月号掲載「マエストロへのオマージュ〜ジョージ・セル」より転載
カラヤンがベルリン・フィルとリハーサルの最中、「今は入れません」と止める人を「構わん構わん」と振り切ってズカズカと入り込んだセル。カラヤンが「おお、マエストロ!」と手を差し伸べれば、セルは「やあ、ヘルベルト!」と応じ、二人は抱き合って再会を喜んだ・・・・。
その時セルのアテンド役をつとめ、この場面を目撃したCBS・ソニー(当時)の大西泰輔氏を通じ、この話はあっという間に広まった。
われわれスズメどもが特に面白がったのは、楽壇の帝王カラヤンをファースト・ネームで呼ぶ指揮者がいた、という一点だった。セルの方が11歳も年長なのだから別に不思議はないわけだが、なにかそれは、曰く言いがたい可笑しみを感じさせたのである。セルって偉いんだねェ、などと皆で笑い合ったものであった。
巨匠セルは、それまで、日本ではあまり人気がなかった。それが一転したのは、CBS・ソニーが「セル=クリーヴランドが超一流であることは、今や世界の常識である」とかいうキャッチ・コピーを使って、猛烈なPRを展開してからである。
そういう触れ込みは概してあてにならないものだが、この場合は驚異的だった。ナマで彼らの演奏を初めて聴いた私たちは、例外なく震撼させられた。オーケストラ美の極致ともいうべき完璧なバランスのアンサンブル、しかも冷たさなど微塵もないヒューマンな演奏の表情。
大阪フェスティバルホールで間近に見たセルとクリーヴランド管弦楽団のリハーサルは、噂に聞くとおり、徹底的だった。「Ladies and gentlemen、オハーヨウ」と呼びかけ、冒頭から楽員たちを爆笑させたセルだったが、あとはひたすらシリアスなリハーサルが続く。特に驚かされたのは、ベートーヴェンの『英雄交響曲』の二つの和音を、いつ果てるともなく繰り返して練習させることだった。われわれが聴いていて、もうこれ以上の完璧な演奏はないと思えるほどだったのに、セルは満足せず、執拗に最初の2小節を繰り返させるのである。雑誌で読んだクリーヴランド管の楽員の「われわれの演奏は、リハーサルだろうと本番だろうと、同じである。たまたま最後の1回にはお客が入っているだけのことである」というコメントは、決して誇張でもなんでもなかったのだ。
かくしてジョージ・セルは、その最初の来日で日本のファンを圧倒した。東京での最終の演奏会で彼は、惻々として心に迫る第2楽章を含む『英雄交響曲』を聴かせてくれた。あの演奏にあふれていた、一種の凄まじい魔性のようなものを、私は今でも忘れることができない。わずかその2ヵ月後に彼が世を去ることになるなどと、その夜東京文化会館に集っていた聴衆の、だれが予想したろうか。
『ArtGaia CLUB MAGAZINE TC』2007年7月号掲載「マエストロへのオマージュ〜ジョージ・セル」より転載
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