小澤征爾 〜N響事件も良き巡り合わせ〜
前号に書いたバーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックの初来日(1961年春)の際、副指揮者として加わっていた若き小澤征爾は、その直後にNHK交響楽団の指揮者(常任ではない)に指名された。
その発表を聞いた時には、すでに熱烈な小澤ファンをもって自認していた私でさえ仰天したものである。あのドイツ音楽至上主義の、しかも巨匠指揮者礼賛主義で鳴るN響に、まだ弱冠27歳そこそこの、しかもスクーターで欧州武者修行をやってのけるような奔放な性格の若い指揮者が就任して、果たしてうまく行くというのか。目の利いた音楽ファンなら、だれもがそう感じたはずである。
就任最初の夏、メシアン立ち会いのもとに彼が指揮した《トゥーランガリラ交響曲》日本初演は、それはたしかに凄いものだった。私はテレビで観たのみだったが、一つの楽章が終るたびに盛大な拍手が巻き起こるという客席のフィーバーぶり。それはわが国音楽界の一大イベントとなり、小澤征爾の評価はいやが上にも高まった。が、秋のシーズンのさなかに、早くもオーケストラとの間に亀裂が生じてしまう。行き着くところ、年末の楽員側のボイコットによる《第9》中止事件に発展したことは周知のとおりである。
ちょうどその年の秋、学生だった私は、当時はまだ内幸町にあったNHKの音楽資料課でバイトをしていた。そこへ立ち寄って雑談を交わしていくNHKの洋楽関係者たちの口から漏れるのは、猛烈な小澤批判ばかり。中には個人的な問題まであげつらう人までいて、小澤ファンの私はすこぶる心を痛めたものであった。
私は資料課の上司の許可を得て、隣接するNHKホールへ、小澤とN響の練習や本番を時たま聴きに行った。チャイコフスキーの《第4交響曲》など、演奏は整然と行なわれていたものの、ホールや楽屋の雰囲気には、傍目にもそれとわかるほど落ち着かないものがあった。この分では、もうすぐ両者は本当にケンカ別れするんじゃないのか。私のような素人さえ、そんな予感を抱いた。それが11月中旬頃だったと思う。
年末、ガランとした東京文化会館大ホールの舞台で独り楽員の到着を虚しく待つ小澤の写真が各新聞に大きく掲載され、世論はいっぺんに彼の味方となる。越えて1月には日本フィル出演により、小澤を励ます演奏会が行なわれ、これも大きく報道された。
この時、演奏会の司会者に高橋圭三アナ(少し前にNHKをケンカ状態で辞めたといわれる)を起用してNHKへの復讐戦にしたらいい、とか言った人もいたらしい。さすがにそんなばかな話は、主催者から一蹴されたようである。「音楽の友」誌上で評論家の故・宮澤縱一が「ふだん交響楽団に無縁な人たちが調子に乗って思いつきの発言をしているのは苦々しい限りである」と書いていたのは、そのへんとも関係があるのかもしれない。
小澤は、再び北米に去った。かりにあのままN響との仕事に忙殺されていたら、たぶん今日の小澤はなかっただろう。今となってみれば、すべてが一つの巡りあわせだった。
『ArtGaia CLUB MAGAZINE TC』2007年4月号掲載「マエストロへのオマージュ〜小澤征爾」より転載
その発表を聞いた時には、すでに熱烈な小澤ファンをもって自認していた私でさえ仰天したものである。あのドイツ音楽至上主義の、しかも巨匠指揮者礼賛主義で鳴るN響に、まだ弱冠27歳そこそこの、しかもスクーターで欧州武者修行をやってのけるような奔放な性格の若い指揮者が就任して、果たしてうまく行くというのか。目の利いた音楽ファンなら、だれもがそう感じたはずである。
就任最初の夏、メシアン立ち会いのもとに彼が指揮した《トゥーランガリラ交響曲》日本初演は、それはたしかに凄いものだった。私はテレビで観たのみだったが、一つの楽章が終るたびに盛大な拍手が巻き起こるという客席のフィーバーぶり。それはわが国音楽界の一大イベントとなり、小澤征爾の評価はいやが上にも高まった。が、秋のシーズンのさなかに、早くもオーケストラとの間に亀裂が生じてしまう。行き着くところ、年末の楽員側のボイコットによる《第9》中止事件に発展したことは周知のとおりである。
ちょうどその年の秋、学生だった私は、当時はまだ内幸町にあったNHKの音楽資料課でバイトをしていた。そこへ立ち寄って雑談を交わしていくNHKの洋楽関係者たちの口から漏れるのは、猛烈な小澤批判ばかり。中には個人的な問題まであげつらう人までいて、小澤ファンの私はすこぶる心を痛めたものであった。
私は資料課の上司の許可を得て、隣接するNHKホールへ、小澤とN響の練習や本番を時たま聴きに行った。チャイコフスキーの《第4交響曲》など、演奏は整然と行なわれていたものの、ホールや楽屋の雰囲気には、傍目にもそれとわかるほど落ち着かないものがあった。この分では、もうすぐ両者は本当にケンカ別れするんじゃないのか。私のような素人さえ、そんな予感を抱いた。それが11月中旬頃だったと思う。
年末、ガランとした東京文化会館大ホールの舞台で独り楽員の到着を虚しく待つ小澤の写真が各新聞に大きく掲載され、世論はいっぺんに彼の味方となる。越えて1月には日本フィル出演により、小澤を励ます演奏会が行なわれ、これも大きく報道された。
この時、演奏会の司会者に高橋圭三アナ(少し前にNHKをケンカ状態で辞めたといわれる)を起用してNHKへの復讐戦にしたらいい、とか言った人もいたらしい。さすがにそんなばかな話は、主催者から一蹴されたようである。「音楽の友」誌上で評論家の故・宮澤縱一が「ふだん交響楽団に無縁な人たちが調子に乗って思いつきの発言をしているのは苦々しい限りである」と書いていたのは、そのへんとも関係があるのかもしれない。
小澤は、再び北米に去った。かりにあのままN響との仕事に忙殺されていたら、たぶん今日の小澤はなかっただろう。今となってみれば、すべてが一つの巡りあわせだった。
『ArtGaia CLUB MAGAZINE TC』2007年4月号掲載「マエストロへのオマージュ〜小澤征爾」より転載
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/74-b386b312
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)