2020-07

5・5(水)イーヴォ・ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル

  サントリーホール  2時

 第1部では、ショパンの「ノクターン作品62の2」(演奏時間は普通なら6分程度)を13分、「ピアノ・ソナタ第3番」(26分程度)を40分、リストの「メフィスト・ワルツ第1番」(11分程度)を25分かけて弾く。
 この第1部が終った時、時計はすでに3時半を過ぎていた。

 客席の照明をほぼ全部落し、舞台のみほんのり明るくした状態のままこのテンポで延々と1時間半続けざまに弾かれては、精神的な疲労感もいや増しに増すというものだ。
 アレグロやプレストの部分ではテンポも極端には引き延ばされないのだが、「ソナタ第3番」のラルゴ楽章や、「メフィスト・ワルツ」のアレグレットの部分などでは、それこそ音を一つずつゆっくりと弾いて行くといった調子の、極端に遅いテンポになる。
 たとえばソナタのラルゴ楽章――特にホ長調の中間部に入って以降の個所では、微かに波打つ8分音符6つずつの、それぞれ最初の音符のみ極度に強く響かせつつ、しかも全体を非常に遅く弾くという具合なので、もちろん音楽は聴き慣れたものとは全く違った様相になってしまう。

 印刷された譜面そのものに即して判断した場合、ポゴレリッチのこのような演奏が、全く根も葉もない捏造になっているのかといえば、必ずしもそうではなかろう。
 楽譜そのものからは、確かに彼のような解釈も引き出し得るのである。彼の演奏と譜面とを比較しながら綿密に検討してみると、ある音符やデュナーミクやテンポが無制限に強調されているところがあるにしても、楽譜から逸脱している部分は意外にそれほど多くない、ということが理解できる。
 ただしかし、それがショパンという作曲家が頭の中で響かせていた音楽――それは彼の伝記などで辿る他はないのだが――と同じであるかどうかは、大いに疑問であろう。そのあたりが、ポゴレリッチの演奏をどう受け止めるかの分岐点になるのではないか。

 如何に遅いテンポの最弱音で弾こうと、彼の演奏は、そこに弛緩というものを生じさせない。それは驚くべき点である。
 そして速いテンポの箇所での強靭な最強音では、和音さえも聴き慣れた響きから一変し、魔性と言ってもいいほどの音楽となって現われる。これまた常人離れした大わざであろう。

 もっとも、こういう演奏を、続けざまに聴く体力と精神力は、今の私にはとても無い。プログラムの第2部に組まれていたシベリウスの「悲しきワルツ」と、ラヴェルの「夜のガスパール」のような曲を、こういうホールの状態で、このタイプの解釈と演奏で、さらに1時間ものあいだ聴くのは、私にはすでに耐え難かった。
 

コメント

僕も帰りました。

疲れてしまい帰りました。
作品を’解体新書’に載せたような怪物のような恐ろしさを聴く演奏した。
けど、美しい演奏というより、現代曲を聴くようなつらさから、帰りました。
演奏家の方には、すみません。ついていけなくて。

どうでしょう?

「ある音符やデュナーミクやテンポが無制限に強調されている」というのは、逸脱以外の何物でもないのではないかと思うのですが、どうでしょう。
それに、確信犯的にやっているであろうポゴレリッチに関する限り、「楽譜からの逸脱度合い」というのは、一種のアリバイ証明みたいなもので、この演奏の是非を問う上ではあまり有効な論点にならないような気がしますがどうでしょう......
仮にその逸脱を言っても、きっとヤツは「私はこう読み取ったのだ」とか言って終わりにするような気がします。

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