2019-06

レナード・バーンスタイン ~まだ満席にはならなかった初来日演奏会~

 レナード・バーンスタインが、手兵ニューヨーク・フィルハーモニックを率いて初来日したのは、1961年の春のことだった。

 その東京公演は、「東京世界音楽祭」の目玉として、落成したばかりの東京文化会館で行なわれた。旬の指揮者とアメリカ随一のオーケストラの初来日だから、さぞや人気を集めたろう、と思うのが普通だが、実はどれも寂しい入りだったようである。同時期に来日した巨匠フランツ・コンヴィチュニーとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン・チクルスにすっかり客を持って行かれた、ともいわれる。やっぱりアメリカよりはドイツだぜ、という当時の日本のクラシック・ファンの好みの表れだろう。
 それに、持ってきたプログラムも、いかにも斬新だった。ハリスとバルトークとラヴェルの日があるかと思えば、ヒンデミットとベルクとチャベスと黛敏郎とコープランド、という日もあったのだ。これでは当時の日本では、客は入るまい。

 私は彼の指揮する「春の祭典」が聴きたくて、5月6日のマチネー公演の、5階L側「ろ15」という、一番安い500円の席を買った(当時は列の表示もABCでなく、「いろは 」だったのだ)。オープンしたばかりの東京文化会館大ホールは広大で美しく、とにかく感動的だった。
 だが客席は(よく覚えていないが)半分程度、よくて6割程度の入りではなかったろうか。前半の曲目からして、当時はほとんどだれも知らなかったアイヴズの作品なのだ。最初の「答えのない質問」では、拍手は情けないほどパラパラ。続く「第2交響曲」は、今聴けば実に面白い曲なのだが、これもそこそこの拍手。私にしたところで、当時はさっぱり解らなかった、というのが偽らざる告白である。だから、どんな演奏だったのかも全然記憶に残っていない。
 さて、期待を集めた「春の祭典」だが、これほど肩透かしを食らった演奏はなかったといってもいい。特に後半、オーケストラは闊達に鳴り響いていたが、音がただ素通りするだけで、音楽は全く燃えず、白々とした雰囲気に包まれたまま、演奏は終りを告げた。バーンスタインのしなやかな身体の躍動だけが目立っていた。しかも曲の第1部が激しいリズムの高揚で終った瞬間、バーンスタインが指揮棒を高く揚げた陶酔の表情のまま動きを停止していたにもかかわらず、オーケストラはさっさと楽器を下ろし、譜面をめくったり、チューニングを始めたりしていたのが、実に異様な光景であった。これはその頃のNYフィルの流儀だったのだろうか? 
 レコードで聴くバーンスタインとNYフィルの演奏のすばらしさや、アメリカでの彼らの評判の凄さを思えば、両者の関係が悪かったなどとは、とても考えられないのである。とすればあの日の演奏のつまらなさは、なにか他の理由によるものとしか思えない。

 彼らが日本のステージで聴衆を心底から震撼させたのは、その9年後、1970年の大阪万博来日公演で、マーラーの「第9交響曲」を演奏した時だった。最後の音が消えたあとも、バーンスタインもNYフィルも身動き一つせず、聴衆もまたじっと息をひそめて、東京文化会館大ホールは1分近くも深い静寂に包まれていた。

『ArtGaia CLUB MAGAZINE TC』2007年3月号掲載「マエストロへのオマージュ~レナード・バーンスタイン」より転載

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