2017-10

4・28(水)デュトワ&フィラデルフィアVSポゴレリッチの怪演

  サントリーホール  7時

 ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」で始まったが、これは昨夜とは打って変わって、リズムや響きを引き締めた古典的なアプローチ。今回のプログラムの中で、ベルリオーズはこういう位置づけだったのか、とデュトワの解釈に納得が行く。
 弦の編成は昨夜と同じ16型なのに、オーケストラ全体が編成をやや縮小したような錯覚に陥る。このあたりが、オケの鳴らし方というものの面白いところ。

 しかし休憩後の、ラフマニノフの「交響的舞曲」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」では、再び文字通りの豊麗絢爛な演奏が展開され、デュトワとフィラデルフィアの音色の雄弁さが余すところなく示された。
 音の美感に頼りすぎる云々という件を忘れたわけではないけれども、この最後の2曲での演奏を聴いていると、あれやこれや言わずとも、もうこれで十全のものではなかろうか、という気持にさえなってしまう。
 所用のため「ラ・ヴァルス」が終ったところで失礼したが、ドアを閉めた途端にホールの中からアンコールの「ダフニスとクロエ」の終曲が聞こえて来た。これもきっと豪壮華麗な演奏だったことだろう。

 当初の予定通り、2曲目にアルゲリッチがラヴェルのピアノ協奏曲で協演していれば、今回の来日公演はデュトワが自他共に許す得意の――フランスとロシアのレパートリーでまとめられたことになるのだが、彼女が「娘のお産のため帰国」したとかで、代わりにイーヴォ・ポゴレリッチがショパンの「2番」で協演することになった。
 これがそもそも、騒動の元。
 なにせ名にしおう「作品解体同然の奇抜な演奏」の大家ポゴレリッチだ。協奏曲ではどうするのか、実はそれにも興味があって今日も聴きに来たわけである。

 案の定、大変な演奏になった。デュトワは速めのイン・テンポで曲を開始したが、ポゴレリッチは我が道を往く感の、遅く、かつ崩したテンポで開始する。デュトワは、ピアノが入る個所だけはテンポを極端に落して、何とかポゴレリッチに合わせる。
 ショパンが好きだったという「左手のイン・テンポと右手のルバート」の理論を援用すれば、左手はオーケストラで、右手はピアノ・ソロに相当する――という屁理屈も成り立つだろうが、実際の協演では、そんな話は絵空事だ。

 それにポゴレリッチは、極端に言えばすべての音符をフォルテ3つで豪打するという演奏だから、彼が弾いている時には、オーケストラの音はどこかへケシ飛んでしまい、ピアノと合っているのかいないのか、そんなことも全く判らなくなってしまうのである。
 第2楽章中間部、弦の長いトレモロの上にピアノが激情的なカデンツァを弾く個所など、ポゴレリッチはもはや、おのれ以外は舞台にいないといった調子で、延々たるテンポで、怒号するような演奏を続けている(それ自体は凄まじい豪演といえよう)。トレモロが終り、音楽が白昼夢から醒めたようになる個所でも、彼はあれこれの音をゆっくりと弾き続けていて、いつまでたっても戻ろうとしない。デュトワとオーケストラは仕方なく、その間じっと待っている、という具合だ。

 演奏時間合計37分だったから、全体は度外れて遅いというほどでもなかろう。デュトワがテュッティでイン・テンポに戻していなければ、演奏時間はもっと延びていたかもしれない。

 それにしても、デュトワもオーケストラも、よく合わせたものである。
 しかし、楽員たちは一応ちゃんと演奏したものの、どうやら怒り心頭だったらしい。演奏が終っても、コンサートマスターと、あと2、3人を除いては、ソリストに対し誰一人として拍手をしない。ただじっと冷たく押し黙ったまま座っているばかり。
 指揮台にいたデュトワにポゴレリッチが「一緒に答礼を」というジェスチュアを見せたのに対し、デュトワが指揮台から降りようともせず、「どうぞあなただけ」と慇懃な身振りをした光景は、まさに珍妙であった。

 ポゴレリッチだけは、独り満足げな表情である。その後も泰然自若たる(緩慢な?)動作と足取りで、3回もカーテンコールを繰り返し、四方八方に会釈をしていた。
 コンマスだけは最後まで拍手を続けていたものの、弦の他の首席連中が彼を見て「もういい加減に引っ込もうぜ、合図をしろよ」という表情を見せていたのも可笑しかった。そこで客電が上って、どうやら一巻の終りと相成った。だが、そのあと休憩後にデュトワが指揮台に上った時、楽員たちはあたかも「ご苦労だった」と言わんばかりに、デュトワに大きな拍手を贈ったのであった!

 こんな不思議な協奏曲の演奏は、滅多に聞けないだろう。
 かの有名なグレン・グールドとバーンスタインのブラームスの「協奏曲第1番」(1962年)では、バーンスタインはオーケストラだけの個所でもグールドに合わせたテンポを採っていた。それにグールドは、極端に遅いテンポではあったが、それを滅茶苦茶に動かしたりすることはしなかった。従って、遅いなりにも、まとまった演奏になっていた。ところが今回は、そういうタイプの演奏でもなかったのである。

 しかし、これこそがナマの面白さ、というものである。
 こういう出来事にめぐり合えることがあるから、コンサート通いは止められないのだ。
 ポゴレリッチをソリストに起用することを誰が発案したのかは知らないが、そのマネージャーは、愚か者でなければ、相当なシャレのわかる知恵者に違いない。

 ショパンにのめり込んでいる聴き手にとっては、ポゴレリッチの演奏は、著しく神経を逆なでするものになろう。彼はこのあと、「ラ・フォル・ジュルネ」(3日)やサントリーホールのリサイタル(5日)でも弾く。また腹を立てることになるかもしれないが、聴きに行きたいと思っている。

 

コメント

怪人の怪演

アルゲリッチがキャンセルしてくれて良かったです。
永遠に語り継がれるべき怪演です。凡百のコンチェルトにうんざりしていたので。

東条さん、こんばんは。

私もアルゲリッチのキャンセルに感謝しています。
先日のN響&ブロムシュテットのブルックナー「5番」の名演とは、また違った意味で、深く感動しました。

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