2017-08

4・27(火)シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団

   サントリーホール  7時

 久しぶりに日本で聴く、華麗な所謂「フィラデルフィア・サウンド」。

 ストコフスキーの時代のそれは流石にナマでは聴いたことがないけれども、オーマンディの辛うじて後期の頃には、チラリと聴くことができた。あれはまさに光彩陸離といった表現がぴったりの音であったが、その後は音楽監督サヴァリッシュの指揮でも、ましてエッシェンバッハの指揮でも、あるいはその2人の前の音楽監督ムーティの指揮でさえも、あのサウンドを味わうことはできなかった。
 もちろんオーケストラというものは多彩な能力を持っているから、その間にも他の客演指揮者のもとではそのフィラデルフィア・サウンドなるものを発揮していたかもしれない。が、来日公演では久しぶりにデュトワのもとで――もちろんそれは「デュトワ色」のものではあるけれど――それが発揮されたということである。

 今回の来日では宮崎1回と東京2回の公演のみで、今日の東京初日はストラヴィンスキーの「火の鳥」全曲と「春の祭典」。
 豪壮で華麗、雄大で強烈な音響は、まさにアメリカのオーケストラでなければ出せないものだろう。PMFでもおなじみのダニエル・松川(ファゴット)をはじめ、弦にも東洋人の首席奏者が多いのに、なぜこんなに壮麗な音のオーケストラとなり得るのか、これはだれか知恵者に分析していただきたいような面白い問題である。

 「春の祭典」での、金管群の咆哮と弦楽器群の唸りは凄まじい。また「火の鳥」での最弱音においても実に艶やかな音色が満ち溢れていた。
 いわばオーケストラの音響美の極限の一例でもあるこの音響の洪水に身と心をゆだねるのは、それ自体スリリングで快いことではある。
 ただしそこには、これではあまりにも音の美感のみに頼りすぎた演奏ではないか、という一種の疑念のようなものが付いて回ることも事実なのだ。
 アンコールで演奏されたシベリウスの「悲しきワルツ」も、これほど「死神の陰鬱さ」を感じさせない、壮麗な演奏は珍しいかもしれない。もっとも、そこがデュトワのデュトワたるゆえんとも言えるのだが。
 

コメント

この日は行きました。

久しぶりに、フィラデルフィア管を聞きました。
このオーケストラは、やはり華やかな色彩感溢れる音楽の似合うオーケストラ
だと思います。
21年前に聴いた40代後半時のムーティ指揮のボレロと将来あってほしいデュトア指揮のボレロで聴いたらどっちが華やかに聞こえるのでしょうか。精緻さも違うかもしれませんが、その当時の前者の若さと後者デュトアのそれとは相容れないものとしても。チャイコの5番も。ロミジュリ(チャイコかプロコフィエフ)も。

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