フェリクス・アーヨとその仲間たち 〜またまた火事騒動〜
フェリクス・アーヨといえば、人も知るイ・ムジチ合奏団の初期のリーダーとして大活躍した名ヴァイオリニスト。その彼が独立して結成したのが「ベートーヴェン・ディ・ローマ四重奏団」だった。
この団体は、1972年7月に初来日、モーツァルトやベートーヴェンやフォーレのピアノ四重奏曲を聴かせてくれた。私は、21日の演奏会をエフエム東京の番組のためにライヴ収録したのだが、その会場は、「火事騒動で超満員」のマリナー&アカデミーの公演(前号参照)と同じ神奈川県立音楽堂。招聘元も、同じ神原音楽事務所だった。
いよいよ開演時刻が迫り、それを告げる「1ベル」が鳴り出した。当時あのホールの開演告知は、チャイムではなく、無愛想なブザー音だった。
ふつう、この種のブザーは、せいぜい10秒も鳴れば終るものである。ところがなぜかこの日は、不思議に長かったのだ。20秒、30秒、40秒と過ぎても止まらない。客席もざわつき出す。われわれスタッフも顔を見合わせ、「ブザーが壊れたな、ムハハハ」と面白がって中継室の外を見に行く者もいた。
ところがやがて、舞台袖が何かえらく騒々しくなった。なんと、鳴り続けているのは1ベルのブザーどころか、火災報知機の非常ベルだったのである。だれが押したのだ、と楽屋も舞台事務所も大騒ぎになった。
犯人はただちに判明した。四重奏団のメンバーの一人が、出番を待っている間に、ステージ横の火災報知機のボタンを「これ何だい」と悪戯半分、弓の先で押してしまったというのである。彼はそのあと、気の毒なくらいに恐縮していたそうだ。
この非常ベルを一度鳴らしてしまったら、事態は容易なことでは納まらない。「間違いでした済みません」では済まないことは、ご承知のとおりである。
とはいえ、「外人じゃ解るまい」で、代わりに招聘元の神原音楽事務所が消防署だか防災センターだかからアブラをしぼられることになった。
が、ひょんなきっかけで、これが3ヵ月前に火災発生をいち早く通報、感謝状をもらった事務所と同一だったことが、先方に判明したのである。
途端に状況は一転、「おお、あの時の・・・・いやその折はどうも」となって、「それでしたら、まあ、今回のことは、まあ」と、何とか穏便に済ませてくれたのだという。
それにしてもウチはなぜこんなに火事に縁があるのだ、と、神原音楽事務所側も、県立音楽堂側も、苦笑いしていた。
当日の演奏会は、そんなわけで開演は少し遅れたが、これも無事に、すばらしく行なわれた。アーヨと共に演奏してくれたメンバーは、彼と一緒にイ・ムジチを退いたエンツォ・アルトベルリ(チェロ)、サンタ・チェチーリア国立アカデミー教授のアルフォンゾ・ゲッディン(ヴィオラ)とカルロ・ブルーノ(ピアノ)である。本当にいい四重奏団だった。でも、だれがボタンを押したのだろう?
『TICKET CLASSIC』2006年8月号掲載「演奏家今昔物語〜フェリクス・アーヨ」より転載
この団体は、1972年7月に初来日、モーツァルトやベートーヴェンやフォーレのピアノ四重奏曲を聴かせてくれた。私は、21日の演奏会をエフエム東京の番組のためにライヴ収録したのだが、その会場は、「火事騒動で超満員」のマリナー&アカデミーの公演(前号参照)と同じ神奈川県立音楽堂。招聘元も、同じ神原音楽事務所だった。
いよいよ開演時刻が迫り、それを告げる「1ベル」が鳴り出した。当時あのホールの開演告知は、チャイムではなく、無愛想なブザー音だった。
ふつう、この種のブザーは、せいぜい10秒も鳴れば終るものである。ところがなぜかこの日は、不思議に長かったのだ。20秒、30秒、40秒と過ぎても止まらない。客席もざわつき出す。われわれスタッフも顔を見合わせ、「ブザーが壊れたな、ムハハハ」と面白がって中継室の外を見に行く者もいた。
ところがやがて、舞台袖が何かえらく騒々しくなった。なんと、鳴り続けているのは1ベルのブザーどころか、火災報知機の非常ベルだったのである。だれが押したのだ、と楽屋も舞台事務所も大騒ぎになった。
犯人はただちに判明した。四重奏団のメンバーの一人が、出番を待っている間に、ステージ横の火災報知機のボタンを「これ何だい」と悪戯半分、弓の先で押してしまったというのである。彼はそのあと、気の毒なくらいに恐縮していたそうだ。
この非常ベルを一度鳴らしてしまったら、事態は容易なことでは納まらない。「間違いでした済みません」では済まないことは、ご承知のとおりである。
とはいえ、「外人じゃ解るまい」で、代わりに招聘元の神原音楽事務所が消防署だか防災センターだかからアブラをしぼられることになった。
が、ひょんなきっかけで、これが3ヵ月前に火災発生をいち早く通報、感謝状をもらった事務所と同一だったことが、先方に判明したのである。
途端に状況は一転、「おお、あの時の・・・・いやその折はどうも」となって、「それでしたら、まあ、今回のことは、まあ」と、何とか穏便に済ませてくれたのだという。
それにしてもウチはなぜこんなに火事に縁があるのだ、と、神原音楽事務所側も、県立音楽堂側も、苦笑いしていた。
当日の演奏会は、そんなわけで開演は少し遅れたが、これも無事に、すばらしく行なわれた。アーヨと共に演奏してくれたメンバーは、彼と一緒にイ・ムジチを退いたエンツォ・アルトベルリ(チェロ)、サンタ・チェチーリア国立アカデミー教授のアルフォンゾ・ゲッディン(ヴィオラ)とカルロ・ブルーノ(ピアノ)である。本当にいい四重奏団だった。でも、だれがボタンを押したのだろう?
『TICKET CLASSIC』2006年8月号掲載「演奏家今昔物語〜フェリクス・アーヨ」より転載
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