2017-08

2・18(木)東京室内歌劇場 モーツァルト:「偽りの女庭師」

  紀尾井ホール

 アリアやカヴァティーナはイタリア語版で演奏され、レチタティーヴォ部分は日本語に直されてセリフで語られる。
 たしかに、プログラムで演出の飯塚励生も述べている通り、原曲のレチタティーヴォをそのまま演奏した場合には、上演時間は大変なものになったであろう――アーノンクールのCDでは正味3時間14分かかっており、これに休憩時間2回計1時間を加えれば、上演は4時間半にもなるだろうから。
 しかし今夜は6時半開演で、休憩1回を含み、総計3時間の上演時間。

 ヴィート・クレメンテが指揮した東京室内歌劇場管弦楽団(弦4-4-2-2-1、2管にティンパニの計24人)の演奏がいい。伸びやかで生き生きした表情に富んでいて、長い全曲を少しも弛緩せずに聴かせてくれる。バランスの良い響きがすべての部分に保たれており、軽快なリズム感とともに柔らかい叙情的なふくらみも兼ね備えた演奏が、実に快いものであった。

 歌手陣(Aキャスト)もなかなか聴き応えのある顔ぶれで、行天晃(市長ドン・アンキーゼ)、青地英幸(ベルフィオーレ伯爵)、和田ひでき(ナルド)ら男声組が勢いのあるところを聴かせ、女声陣の小笠朝美(アルミンダ)を筆頭に小林菜美(女庭師サンドリーナ=侯爵令嬢ヴィオランテ)、末吉朋子(セルペッタ)、高橋節子(騎士ラミーロ)も健闘した。

 音楽的な面では、かようにノリのいい上演ではあったのだが――。
 問題はやはり演技だ。
 例のごとく、類型的でいけない。特に男の歌手たち。相手にもの問いたげにする際に、どうして何時もいつもあのように、すぐ片手を体の前に差し出すのか。あの画一的な仕草を見るたびに、日本のオペラ歌手たちの演技の貧困さになさけなくなる。これは演出家のせいでもある。
 それからもう一つ、セリフを語る際の、頭の天辺から声を出すような、かん高く叫ぶような発声。これは女性歌手たちに多いが、男にも少なくない。もっと劇の性格に応じて、多様な表現が出来ないものかと思う。

 飯塚励生の今回の演出は、1905年の女権拡張運動――婦人社会政治連合の活動の時代に物語を設定、男連中をコテンパンにやっつけるアルミンダやセルペッタの性格をそこに投影しているという。
 なるほど、それは一つの解釈として興味深い。が、しからばそれが彼女らの舞台での演技の中に、どのように辛辣に正確に表現されていたろうか? 
 あえていえば、序曲のさなかに1905年の年表を映写するほどの「時代背景」は、実際の舞台ではほとんど意味をなさず、結局はごく普通の恋愛劇に終始してしまっていたのであった。観客の側が演出コンセプトを補充(?)しながら舞台を見なければならないようでは、何にもならぬ。これは、歌手たちの演技のせいでもある。
 

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