2020-04

2・17(水)新国立劇場 ワーグナー:「ジークフリート」

  新国立劇場オペラパレス

 温故知新――というほど旧いプロダクションではない(2003年3月・新国立劇場でプレミエ)が、ここ何年かあちこちの「指環」の舞台を観て来たあとでは、この演出はえらく新鮮で、やたら面白いものに感じられる。
 それに、世界の歌劇場で上演されているワーグナーものの中でも、これほど手の混んだ――あらゆる発想や仕掛けやマジックやジョークがこれでもかとばかり詰め込まれた、しかも華やかな色彩にあふれた舞台は、今では非常に稀な存在になって来たのではなかろうか。

 どこの歌劇場でも予算難に喘ぐ今日、「指環」といえども舞台は(あえて言えば)みじめったらしいほど簡素になって来て、せっかく高い飛行機代や宿泊代やチケット代を費やして外国へ観に行っても、拍子抜けして帰ってくるのがオチだ。
 その意味でも、今にして思えば、この新国立劇場が制作したキース・ウォーナー演出の「指環」は、良き時代の一つの記念碑であったように思われる。

 7年前のプレミエの際の舞台をすべて覚えているわけではないけれど、基本的には同じだろう。
 ジークフリートが冷蔵庫から林檎か何か(実はノートゥングの破片だったそうです。訂正)を出してジュースを作り、それを基にしてノートゥングを鋳るというシャレ、ナイトヘーレのペンション・バンガローで、アルベリヒの隣の部屋にヴォータンが泊まりあわせるといったジョーク、吊り装置を使って宙を舞う小鳥、映画のフィルムが散乱するエルダの世界など、いずれも記憶にあるとおりだ。

 総じてこの演出は、演技のニュアンスがすこぶる細かく、ドラマの伏線をありとあらゆる個所に見せて行くといった、目の離せない舞台である。そして、新国立劇場は実はここまで多様な舞台機構を擁しているのだということを披露してみせる演出でもあるのだ。
 装置と衣装はデイヴィッド・フィールディング、照明はヴォルフガング・ゲッペル。いずれも卓越したコンセプトを備えている。

 歌手陣が揃っていたのも、今回の上演の収穫の一つであろう。
 タイトルロールはクリスティアン・フランツで、このパワーは相変わらずである。最後の二重唱の中で「Ha!」を落すといった予想外の出来事もあったが、これだけの力強いジークフリートは、かのヘップナーもグールドも及ばぬところだろう。

 ヴォータンのユッカ・ラシライネンも強烈だし、ミーメのヴォルフガング・シュミットの巧さはいつもどおり、アルベリヒのユルゲン・リンも馬力充分だ。エルダのジモーネ・シュレーダーはまず手堅い出来。ブリュンヒルデのイレーネ・テオリンは、昨年バイロイトでイゾルデを聴いた時には少々辟易させられたが、今回は声域の違いもあり、あまり力まずに張りのある声を聴かせてくれたので、ありがたかった。

 ファーフナーは妻屋秀和で、スピーカーを通して聞かせた大蛇の声があまりに堂々としていたため、いざ「正体露見」して舞台上で歌った時には、少々ワリを食ったかもしれない。
 「森の小鳥」は安井陽子。いい声だが、ワーグナーということで力んだのか、リズムが崩れて重くなった。もう少し得意の軽やかなコロラトゥーラを利かせた方が、この役には合うのではなかろうか。

 最大の収穫は、ダン・エッティンガー指揮する東京フィルハーモニー交響楽団。
 このオーケストラがここのピットの中で、かくも重厚かつ豊かな音で、轟々たる壮大なワーグナーを響かせようとは、だれが予想しただろう! 弦も管も、全てにおいて目を見張らされるばかりの水準にあった(それゆえ、角笛にはあえて触れないことにしよう)。
 少なくとも今日の演奏に関する限り、私がこの2ヶ月間に聴いたウィーン国立歌劇場管弦楽団やベルリン・ドイツオペラ管弦楽団などのルーティン公演での演奏を、はるかに上回る出来だった、といっても誇張ではない。
 カーテンコールが終る頃、お客さんのだれかがピットの傍で「オーケストラ、ブラヴォー」と声をかけていたが、その気持はわかる。このオケが、この劇場のピットでいつもこういう演奏をしてくれたら、どんなにいいか――。

 「指環」の指揮は今回が最初のものになるというエッティンガーの力量も、なかなかのものであった。
 ただ疑問を言えば、テンポをしばしば極度に遅く採りすぎることだけは、必ずしも成功しているとは思えない。特に第2幕全体と、第3幕での「ブリュンヒルデの岩山」の場面がそうだった。
 遅いテンポそれ自体は決して悪いものではないが、オーケストラが緊張感を保ちきれず、演奏に弛緩が感じられるという欠点を生むのである。かつてのティーレマンにもそういうところがあったが――。
 

コメント

初日(2/11)に参りましたが、オケへの賛辞、全く同感です。エッティンガーは、
ジークフリート初指揮とは思えぬ充実ぶりで、オケ・歌手との一体感が素晴らしい公
演をもたらしていました。2幕の森の囁きでのスローテンポはフランツの柔らかな歌
唱とあいまって思春期の揺れる不安定さをうまく表出しており個人的には大いに感銘
を受けました。しかし、3幕はご指摘の通りティーレマン張りのGPも散見されまさに
「弛緩」する瞬間が多く、初日ではその崩れかけた緊張感をフランツとテオリンの
ベッドの軋みが聞こえんばかりの肉厚の声の競演が逆にひっぱる形で救っていた印象
を受けました。バイロイト以上とはいいませんが、こうした一体感が観客を巻き込み
感動的でした!ことフランツだけに限れば、ティーレマンの指揮のもと居心地の悪い
印象だったのが、エッティンガーの許容力のある棒のもと一層自由闊達な歌いっぷり
で、まさにジークフリートと感じいりましたが、いかがでしょうか?

なお、演出面でもウオーナーの名前がプレミエ・スタッフ(演出)と一回り小さな印
字でプログラムに掲載されているのはご愛嬌としても、やはり演出家が直接立ち会っ
ていないせいか、原コンセプトが若干失われたような印象もあります。
殊に、前回衝撃的だった、ミーメが身重のジークリンデ(血の付いた下着)をレイプ
して首を絞めその様子をジークフリートが2階から暗い顔で見つめ養父殺意の発端を
暗示する演技や、大詰めでブリュンヒルデが自らジークフリートをベッドに大胆に誘
い込むといった演技付けが希薄になった印象で(こうした演技がなくともテオリン様
の目チカラには降参ですが・・・)、セクシャルなインパクトが少し失われたのが残
念です。

しかし、これほどのクオリティのプロダクション(演出・装置・演奏)を持っていな
がら、このプロダクションが廃棄されてしまうとは、無念でなりません。
これを目玉商品として中国・韓国・東アジア地域からの富裕層旅行者誘致や、プロダ
クション(日本人含むアジア人歌手中心付きで)の輸出で文化交流(さらに収益獲
得)で貢献すれば、「事業仕分け」での予算削減に強く抵抗できるのではないでしょ
うか?


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