2020-04

2・6(土)藤原歌劇団公演
プーランク:オペラ「カルメル会修道女の対話」

   東京文化会館大ホール (マチネー)

 大阪より早朝の新幹線で帰京。大阪と東京は快晴だが、途中、京都から名古屋にかけては大変な雪だ。新幹線も20分以上遅延する。午後、東京文化会館へ。

 「カルメル会修道女の対話」は、これはもう、何度観ても聴いても、すこぶる気の滅入るオペラではある。同じフランス革命を背景にしたオペラでも、開放的な「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ)や、作りものめいた「マリー・ヴィクトワール」(レスピーギ)とは全く異なり、リアルで陰惨で、哀しい物語だ。

 第1幕の終結、高潔なはずのクロワシー修道院長が死に臨んで恐怖に耐えられぬまま悲惨な最期を遂げる(森山京子の迫真の演技と歌唱)場面など、特に凄まじい。
 オペラでの「死の場面」はたいてい虚構として視られることが多いものだが、ここは妙にリアルで息を呑ませるものがある。演出と演技の見事さもあろうが、プーランクがオーケストラをことさらオーバーに鳴らして誇張していないことも、かえってリアルさを高めているだろう。

 今回の演出は松本重孝、美術は荒田良。演技は細密であり、舞台装置は居間も教会の礼拝堂も写実的なつくりだ。
 したがって大詰めの断頭台のシーンも、さっきの「クロワシー修道院長の死」の場面に呼応するようにリアルに演出されるのかと思ったが、違った。
 ここでは、背景高所にギロチンが聳えており、修道女たちはその前に一列に並んで歌い、「象徴的に」一人ずつ倒れて行く。

 最近はこのような演出が多いようだが、しかし思えば1998年、サイトウ・キネン・フェスティバルでフランチェスカ・ザンベロが見せた、修道女たちが祈りを捧げながらギロチンのある壁の中に一人ずつ入って行き、ただちに刃の落下する轟音が響く――というあの演出は、随分スリリングなものだったと思う。
 私はあのスタイルの方がずっと泣けるのだが、いかがなものだろう。

 また今回は、その処刑の間じゅう、断頭台のイメージの両側の壁面にさまざまな処刑と殺戮の映像を投影し、いわば汎時代的な悲劇といったものをアピールする手法が採られていた。涙に浸るより、理性で歴史を視る――といった手法である。
 それは説得性のある一つの解釈であることは事実だ。とはいうものの、私には少々煩わしさの方が強く感じられた――。

 今日(初日)のキャストは、森山京子の他には、出口正子(修道女ブランシュ)、中鉢聡(その兄、騎士フォルス)、佐藤美枝子(修道女コンスタンス)、佐藤ひさら(リドワーヌ修道院長)、鳥木弥生(マザー・マリー)ら。
 演技の表情は比較的おとなしい。ただ、女声陣の歌唱がおしなべて叫ぶような声になってしまうのが少々気になる。フランス語の発音に関しては、昨夜の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」同様、私には云々できる力は無いが、ただしみなさん、あまりフランス語っぽく聞こえなかったのでは?

 指揮はアラン・ギンガル、オーケストラは東京フィル。
 後半は多少改善されたとはいえ、前半のスカスカの歌謡曲伴奏オケみたいな音は、とてもクラシックのプロ・オケとは言えまい。特に金管のお粗末さは酷い。
 それでも、晩年のプーランクの音楽に特有の暗い音色と魔性的な表情は再現されていたから、とりあえず拍手は贈ったが――。

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/664-3b800eea
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」