2020-05

12・1(火)ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団
ショスタコーヴィチ・プロ

   サントリーホール

 1曲目は、オペラ「鼻」からの「間奏曲」。
 ところが、これが問題。招聘元を通じて届けられた「鼻」第2幕の前奏曲というインフォメーションを基に公演プログラムの解説を書いておいたら、実際に演奏されたのは、何と第1幕の中にある打楽器のみによる「間奏曲」だった。演奏が始まった途端に、仰天して慌てた。こちらの責任ではないけれども、責任が生じたような気がして困った。

 もう一つ、3曲目に予定されていた「ムツェンスク郡のマクベス夫人」よりの「間奏曲」は、事前の情報では複数になっていたものの、たくさんある内のどの間奏曲をやるのかマリインスキーにいくら問い合わせても返事がないというので、一応その旨をプログラム解説に書いておいたのだが、これも何と、公演直前になってデニス・マツーエフが弾く「ピアノ協奏曲第1番」に変わってしまった。
 大騒ぎして解説を書いた方としてはボヤキの種だが、しかしプログラムは一層華やかになり、マツーエフの超技とともに聴衆が沸きに沸いて、コンサートとしてはむしろ、この方が良かっただろう。良かったけれども、しかしプログラムは長大になり、オーケストラのアンコールなしだったにもかかわらず、終演は9時半を回った。

 その他のプログラムは、2曲目に「交響曲第1番」、4曲目に「交響曲第10番」。
 いずれも壮烈な演奏で、凝縮した力感ともいうべき音楽が創られた。そして、いずれも弱音の個所、あるいは旋律的な個所での陰翳に富む表情と、強い緊張感にあふれた演奏が印象に残る。

 弦楽器の歌は艶があってしなやかだが、90年代のこのオーケストラに比べると、音色はやはり明るくなっている。ゲルギエフとこのオーケストラは、紛れもないロシアの楽団としての強い個性を残しつつも、旧いロシアとは訣別し、インターナショナルな特徴をも備える現代ロシアのオーケストラとしての性格を打ち出しているようだ。何よりゲルギエフ自身、その活動が西欧各地に拡がるにつれて、彼の個性も昔とは大きく変貌して来ているのだろう。

 マツーエフは、協奏曲のフィナーレで猛烈高速テンポの演奏を披露して聴衆を沸かせたあと、シチェドリンの「ユモレスク」という小品を弾いた。
 人づてに聞くところによると、彼はこの直前に突然ゲルギエフから「お前、いい経験になるからこのコンチェルトを日本で弾いてみろ」と言われ、急遽東京に飛んで来たのだそうな。ゲルギエフの腹の中には、前からそういう計画があったに違いない。いいアイディアが湧くとすぐに予定を変更してそれを実行してしまうのはゲルギエフのお家芸だ。サンクトペテルブルクの「白夜祭」ではそんなことは日常茶飯事で、予定はしばしば突然変更になる。

 なお今夜、協奏曲でトランペットを吹いたのはチムール・マルティノフ。このオケの優秀な若手楽員である。
 

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12月1日公演(サントリーホール)

今回のゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団来日公演で最も聴きたかったのがこの日のショスタコーヴィチ・プログラム。広島から日帰りで聴いた。

もともと意欲的なプログラム構成であったが、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」より演奏するはずの曲が直前にマツーエフのソロによる「ピアノ協奏曲第1番」になった。「鼻」を除くと私にとっては初めて聴く曲ばかり。

マツーエフとしては急遽呼ばれたという訳だが、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団は日本公演の前にシベリア公演を行っており、11月21日にはマツーエフの故郷であるイルクーツクで(複数のチャリティ)公演をしており、これにはマツーエフも出演した(ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第1番」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」、シュトラウス「交響詩≪英雄の生涯≫」、ストラヴィンスキー「カルタ遊び」、ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」)。ゲルギエフにしてみれば、そう「唐突な提案」でもないのかも知れない。ペトレンコも言っていたが、「ゲルギエフと仕事をすると1分先も分からない」ということには変わりないか。

この日は1曲目のオペラ「鼻」からの「間奏曲」(パーカッションのみ)から最後の「交響曲第10番」まで一つのつながった曲であるかのようなプログラムであり演奏の仕方であった。

ゲルギエフはもともとプログラム作りには凝る人ではあるが、これだけ考え抜かれたプログラムというのはそうそうないのではないか。極めてよく練り上げられたプログラム。
11月29日のチャイコフスキー・プログラムは売り切れ・満席だったが、ショスタコーヴィチとなると誰もが好きという訳でもないのか、これだけの練られたプログラムに観客は6割くらいの入りと言うのは残念なところ。

1曲目は、パーカッションのみが演奏するのに、全オーケストラ団員も入場・着席していて、第1ヴァイオリンなどは自分たちが入るタイミングを計っているがごとくの集中力で4分間パーカッションの方をじっと見つめていた。「この曲は、いつか、他の楽器も入ってくるのだったっけ?」と思っているうちに終わってしまった。
パーカッションの魅力全開のこの曲は観客に非常に受けたが、ゲルギエフは一度退席するというような儀礼的なことはせず熱狂的な拍手には簡単に応えただけで、「交響曲第1番」に突入。

「交響曲第1番」は(たぶん)私自身は初めて聴く曲だが極めて魅力的な曲。ソリストが活躍し、アンサンブルも非の打ちどころがない。ただし、マリインスキー・レーベルから発売されているCDで聴いた時の方が満足度が高かったのはなぜだろう。CDの方が更に緊張感ある演奏だったような気がする。
「交響曲第1番」はピアノも入った交響曲で、かなり目立つ形でピアノが活躍する。その印象も残ったままで続けて「ピアノ協奏曲第1番」が演奏された。この曲は「ピアノ協奏曲」と言うよりは「ピアノとトランペットのための弦楽協奏曲」という感じの曲。トランペットが弦の間に入って演奏。オーケストラとピアニスト(そしてトランペット奏者)とのバトルとも言うような非常にダイナミックで遠慮のない演奏。マツーエフの強烈なソロ(カデンツァ含む?)にコンサートマスター他第一ヴァイオリンはニヤニヤして観たりしてマリインスキー歌劇場管弦楽団らしいなごやかな雰囲気がよく出ていた。これは11月29日のユンディ・リとの、ある意味距離感がある共演とは全然違っていた。

カーテンコールではマツーエフとトランペットのマルティノフが登場。マルティノフがマツーエフに「アンコールに応えたら」と促して、マツーエフがシチェドリン「ユモレスク」を弾いた(あの演奏の後、この曲は適切だったのだろうか。私にはなんだかふざけているように聞えた)。

この日の私の席は2列目24番。交響曲の演奏では弦楽器の各トップの表情なども見えてなかなか良い席ではあったが、ピアノ協奏曲ではピアノの蓋部分がじゃまでゲルギエフの指揮は全く見えない(そもそもゲルギエフの指揮を「観に」来ているにもかかわらず…)。
ピアノ協奏曲だと、下手側に席を取りたくなるが(実際、11月29日はそのような席を選んだが)、2列24番はピアノの音が極めて綺麗に聴こえて来て、「たまにはこういう席も悪くないか」と感じた。

会場では、前日(11月30日)にマツーエフと同様の激しい演奏をしたトラーゼが聴きに来ていた様子。ゲルギエフとトラーゼが舞台に載ると視覚的には「どうなんだろうか」と思わなくもないが、ゲルギエフとトラーゼが作り上げる音楽はいつも素晴らしい。特にプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」は何度でも聴きたくなる。NHK交響楽団との共演による前日の公演はFMで聴いたのみだが、ラジオで聴いてもこの演奏は素晴らしかった。マツーエフとトラーゼを比べると、個人的にはトラーゼが好きである。同じ激しいタイプだが、マツーエフのやや乱暴な演奏はトラーゼの激しさとは違うものかと言う気はする。

(結果論ではあるが)一連の来日公演でユンディ・リ、デニス・マツーエフ、アレクサンドル・トラーゼと3名のピアニストと共演し分けるなどと言うことは、ゲルギエフ以外は考えつかないのではないか。

ここまでが前半。前半で既に8時15分過ぎとなった。
私は広島から日帰りで聴く予定だったので終演時間が非常に気になる。最後の曲は54分とのこと。休憩が少しでも長引くと最後の曲の開始が遅くなるし、また、ゲルギエフが楽章間の間をたくさん取ると第4楽章の途中で帰らなければならないかも知れない…と落ち着かない気分になって来た。

後半は「交響曲第10番」
これも初めて聴く曲。
滅多にない名演で目を見張るところはたくさんあった。まだCD録音されていないが、「次の録音はこの曲なのだろうか」などと思いながら聴いた。
ソリストの活躍、アンサンブルの妙は「交響曲第1番」と同じ。ヴィオラと第2ヴァイオリンのトップ同士がニッコリ笑って音を合わせている雰囲気なども楽しかった。しかし、心震える感動というところにまでは行かなかった。ゲルギエフは大きく音楽を創る人だと思うが、この演奏を聴いても情景や作りたい世界が浮かぶという感じにはならず、細部の音作りの方が気になってしまった。そこで気になったのが次のことである。

昨年初めて、英国の音楽誌「グラモフォン」が世界のオーケストラ・ランキング・トップ20を発表し、ゲルギエフが指揮する2つのオーケストラはロンドン交響楽団が4位、マリインスキー劇場管弦楽団が14位であった。ゲルギエフは常々「私にとってマリインスキー劇場以上に重要なものはない」と言っているが、彼はマリインスキー歌劇場管弦楽団をどうしたいのだろう。ロンドン交響楽団に近づけたいのだろうか。私はマリインスキー歌劇場管弦楽団には14位のままでよいので彼らにしかない音を出して欲しい。完成し切った綺麗な音楽を演奏するオーケストラでなく荒々しいままでいて欲しいと感じる。ロンドン交響楽団は世の中に2つは必要ない。マリインスキー歌劇場管弦楽団ならではの音が世の中からなくならないで欲しい(トップ3は、1位ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、2位ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、3位ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)。

演奏を聴いている間は集中していたので、時間のことは気にしていなかったが演奏し終わると9時30分。休憩時間には「アンコールが2-3曲あれば終演は10時か」との会話も聞えたが、私自身は「『鼻』からスタートし最後は60分近い曲を演奏し、いったいどんなアンコール曲があると言うのだろうか。それは蛇足でしょう。おまけを演奏すれば良いと言うものではない」と思っていたが、その通りになった様子。とは言え、本当にアンコールをやってしまうと席が立てなくなるので、2回のカーテンコールに拍手をした段階で退席し当日は名古屋泊で翌朝広島まで帰り朝から出勤。

いつも「ゲルギエフの体力について行くのはファンもたいへんである」と思うのだが、いろいろな意味で「無理して聴いて良かった」公演であった。
2つの交響曲は日本から永久貸与しているフルートを使っている二人のソリストがそれぞれ活躍したのも喜び。

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