2020-04

11・26(木)新国立劇場 ベルク:「ヴォツェック」 最終日

    新国立劇場(マチネー)

 故・若杉弘芸術監督の選んだシーズン・ラインナップが如何に巧みで的確なものだったか、それを私たちは再び認識する。観客の関心をひきつける演目を新制作として随所に散りばめ、印象深いプログラムとする若杉の手腕は――それは彼の読売日響常任指揮者時代、東京都響音楽監督時代にもすでに充分発揮されていたものでもあるが――実に非凡なものであった。「黒船」「軍人たち」のあとにも、「修禅寺物語」や「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、そしてこの「ヴォツェック」――。
 かけがえのない人を失ったという思いが、またしてもこみ上げてくる。

 今回は最初に、ハルトムート・ヘンヒェンが東京フィルから引き出した、表情の豊かな演奏を讃えたい。このオーケストラがこの劇場のピットで響かせた音色の中では、これはベストに入るしなやかなものだろう。
 マリー殺害直後に2回奏されるロ音の猛烈なクレッシェンド(「真の恐怖はあとから襲って来る」と言われた個所)は、比較的あっさりしたものだったが、しかしこれはヘンヒェンの意図だったのかもしれない。

 終結近く、一つの悲劇を絶望的に描き出すニ短調の間奏曲は、ぞっとするほどの強い慟哭を以て演奏された。弦のハーモニーの響きは、東京フィルとしてはめずらしいほど厚いものだった。
 そのあと音楽は、ひたすら沈黙の中へ、恐ろしいほど白々とした静寂の中に向かって進んで行く。ラストシーンでの子供が「跳ねながら退場」でなく、動かぬ姿勢を保っていた演出のせいもあって、オペラの最後は緊張の静寂で結ばれて行ったのである。このあたりのヘンヒェンの指揮は圧巻だった。東京フィルもよくそれに応えていた。

 その演出はアンドレアス・クリーゲンブルク、舞台美術はハラルド・トアーで、バイエルン州立歌劇場との共同制作の由。
 宙に浮いたまま前進と後退を繰り返す巨大な箱型の部屋と、水をたっぷりと湛えた平舞台との対比は、かなり凝った造りだ。「じめじめとして冷たく厭わしい水」(クリーゲンブルク)に浸かって動き回る、亡霊の姿にも似た貧困の群集の姿が凄まじい。大尉や医者は「異常な人間」を象徴するように、怪物じみた姿の男たちである。
 演出は、彼らの中で破滅に追いやられて行くヴォツェックとマリーとその子供の悲惨さを痛切に描くが、また貧困の群集の悲惨さをも看過してはいない。

 一つ難をいえば、登場人物たちが水をびちゃびちゃとはねながら歩き回る音は、音楽の山場を避けながら立てられるように巧みに演出されてはいたものの、それでもなお、音楽の息詰まる最弱音の瞬間を妨げることがあった。演出家はこの水の音を重視していたらしいが、稀にならともかく、全篇にわたってこのようにしつこく入る音となると、もはや度を過ぎた雑音というべく、賛同しかねる。

 ヴォツェックのトーマス・ヨハネス・マイヤー、マリーのウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン、大尉のフォルカー・フォーゲル、医者の妻屋秀和、鼓手長のエンドリック・ヴォトリッヒら、歌手陣も優れた力量を示していた。
 新国立劇場のニュープロダクションとして、これも成功作に含まれるだろう。

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/617-4e62f4f2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」