2020-04

9・20(日)新国立劇場シーズン開幕公演 ヴェルディ「オテロ」初日

   新国立劇場

 マリオ・マルトーネの演出は、なかなか興味深い。
 水をなみなみと湛えた掘割のような舞台装置は明らかにヴェネツィアの運河を連想させるが、事実、彼の演出ノートを読むと、台本の舞台となっているキプロス島にはこだわらず、イアーゴの心の暗部を象徴する蜘蛛の巣=張りめぐらされた運河=ヴェネツィア=イアーゴの街という発想のもとに、ヴェネツィアに舞台を設定したと判る。

 「運河」の水の色は、イアーゴが奸計を練ったり、オテロの心が濁ったりするのに応じて、さまざまに変わる。第2幕冒頭の「クレード」では、イアーゴは水の中から緑色のヘドロをすくって壁に十字架を描き、それを無造作に水で流し消し去る。そしてオテロは、このイアーゴの悪事の象徴ともいうべき「運河」の中に倒れて息絶える――という具合に、辻褄は合っている。

 第2幕で、さまざまなグループ(声部)のコーラスを舞台の下手や上手に分けて配置し、一種の音響的な面白さを作り出しているところなどは、面白いアイディアだろう。
 ただし、オテロの心に浮かんだ嫉妬の邪念を、安易に舞台上に具現化するのは――デズデーモナに蓮っ葉な行動をさせたり、彼女とカッシオの不倫の現場を見せたりするといったものだが(最近こういうテが流行だが)――どうもそこだけ取って付けたみたいで、ほとんど意味を成さないように感じられるのだけれど、いかがなものか。
 マルゲリータ・バッリの舞台美術、川口雅弘の照明は、よく出来ているだろう。

 オテロのシュテファン(スティーヴン)・グールドは、ドミンゴのような情熱的な演技ではないけれども、体躯が立派なので見栄えがするのは事実だ。ヴェルディのオペラらしい言葉とリズムの歯切れのよさに少々不足するのは彼のキャリアから来る問題だろうが、そのうち改善されるだろう。
 イアーゴはルチオ・ガッロが歌った。以前新国立劇場に出演した時の「西部の娘」の保安官ジャック・ランスを思い出させるようなメイクで、声はそれほど好調ではなかったようだが、しかし結構な悪役ぶりだった。
 デズデーモナを歌ったのは、グルジア出身のタマール・イヴェーリ。私は多分、この人を聴くのは初めてのような気がする。なかなか可憐で清純だし、声も美しく、第4幕での「アヴェ・マリア」など実に情感がこもっていて好ましかった。

 指揮は、リッカルド・フリッツァ。新国立劇場には「マクベス」「アイーダ」に次ぎ3度目の登場。東京フィルを良くリードして、とりわけ美しい弱音を見事につくる。劇的な盛り上げにも過不足はない。
 東京フィルは、ティンパニを加えた最強音が爆発する個所などでは引き締まった音を出したが、しかし第4幕でオテロが寝室に入って来るくだりのコントラバス群のフレーズは何とも下手糞で、この場の不気味な緊張感を台無しにした。こういういい加減な演奏をすることがあるのが、東京フィルの悪い癖だ。このオケに「東京国立歌劇場」を任せておくわけには行かないという非難を蒙るゆえんである。

 なお、新国立劇場合唱団は、ふだんに比べ今日は何故か音が薄い。第1幕冒頭の嵐の場面では、迫力を欠く。メンバーが変ったのか? もっとも、聴く席によって印象が異なるという人もいたので、判断は避けることにしよう。

 細かいところは措くとして、ともあれ今年のシーズン開幕公演、成功と見た。
 

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