2017-03

9・11(金)ミラノ・スカラ座来日公演 ヴェルディ「アイーダ」

   NHKホール

 これがあのフランコ・ゼッフィレッリの演出?と疑いたくなるほど、おっとりした舞台だ。

 以前にはゼッフィレッリの演出といえば、主人公たちはもちろん、端役や群集の一人一人まで、細かい演技をしていたものだった(例えば映像に残っているMETのライヴ「トスカ」「ラ・ボエーム」「トゥーランドット」での演技を観られたい)。だからこそ、舞台全体が生き生きと躍動して、人間のドラマが展開されていたのである。

 しかし、今回の「アイーダ」は、全く、何ということだろう。主役たちも僧侶も兵士も、ただ立って、類型的な身振りをしているだけだ。
 アイーダ、アモナズロ、ラダメス、アムネリスの主役4人の構図が大きく動くという、最も緊迫した場面であるはずの第3幕の幕切れなど、彼らの演技の何という表情不足な、しかも緩慢なことか――ラダメス説得に失敗したエチオピア国王アモナズロは、逃げるどころか悠々と歩いて退場、エジプト兵士たちもそれを見ながら追うこともしない。ラダメスもあまり慌てた様子もない。
 これは2006年にプレミエされたプロダクションだという。多分日本公演での歌手たちには、演出家の意図が全く伝えられていないのだろう――と考えるしかあるまい。

 舞台装置もゼッフィレッリだが、以前の「アイーダ」の舞台に比べると、また10年前の新国立劇場のプロダクションのための舞台に比べても、「よく言えば」やや抽象的なデザインになった。
 壮大ではあるものの、概してくすんだ暗い色調の舞台である。良い意味にこじつければ、登場人物の心の暗部と、戦争により引き裂かれる主人公たちの悲劇を象徴したのだ、ということになるのか。

 ダニエル・バレンボイムの指揮にも、疑問がある。この人はワーグナーの作品のように幅広く滔々と流れる音楽をやらせると実に巧いが、ヴェルディの後期のオペラのように1小節ずつニュアンスが細かく変化して行く音楽を指揮すると、どうもあまり小回りが利かないのだ。
 例えば第2幕第1場、アイーダがアムネリスに向かい、
 「あなたが私の恋敵ですって? ええ、結構ですとも、私もそうありましょう!」
と激情に駆られて宣言したあと、ハッと奴隷の身である己が立場に気がつき、
 「ああ! 私は何を言ったのでしょう。お許し下さい!」と懇願する場面。
 あるいは第4幕第1場、恋人ラダメスを想うアムネリスが、
 「あの人は、あの女と逃げようとした! 裏切り者には死を!」
と叫んだ直後に、
 「ああ! 私は何を言っているのでしょう。私はあの方を愛しているのに」と自制する場面。
 前者では、オーケストラは彼女の感情の高まりに従い、1小節間激しく上昇したあと、瞬時にpとなって、アイーダの自制の強さを表わす。
 また後者では、「死を!」の言葉と共に最強音で上昇したオーケストラが、次の小節で瞬時に中断し、強いリズムの8分音符で下降して「私は何を――」の歌詞に続く。

 こういった感情の変化や、2人の女の性格の違いを、ヴェルディがオーケストラで如何に巧みに、しかも簡潔に、一瞬の裡に描いているかは驚くばかりである(トスカニーニの指揮では、それらがはっきりと再現されている)。
 ところが、こういう個所をバレンボイムが指揮すると、ただイン・テンポで鷹揚に曲が流れるだけになってしまい、細かい感情の揺れといったものがさっぱり表現されないのだ。それゆえ、音楽のドラマとしては、いささか単調にならざるをえない。

 出演者は、ヴィオレータ・ウルマナ(アイーダ)、アンナ・スミルノヴァ(アムネリス)、ステュアート・ニール(ラダメス)、ホアン・ポンス(アモナズロ)他。この人ならもっと上手いはずなのに、と首をひねるところもいくつかあった。

コメント

9月6日に観ました

東條先生。今回もえらくお怒りのようですね。私は9月6日に観ましたが、観ているうちに段々つまらなくなって参りました。やはり歌手や合唱団の動きや演技のせいです。ただ私はこの演目を数年前にミラノで観ましたが、あのアラーニャの事件当日ですっかりしらけてしまいました。今回はそれに比べればマシとはいうものの、やはり不満が残ります。バレンボイムは巧い指揮者ではありますが、何かワーグナーをやっても、ヴェルディをやっても、モーツァルトをやっても同じ音作りをしているような気がして、しらけています。

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タイトルなし

9月11日の「アイーダ」を観ました。

良い公演は良い観客がいて初めて成立すると感じますが、残念ながらこの日はそうではない観客が少なくありませんでした。

今回の公演は第1幕と第2幕が続けて上演されました。
「アイーダ」は弱音で転換したり、幕が下りたりする場面の多い作品ですが、第1幕、第2幕で一部の観客が弱音を無視した早めの拍手。オペラ鑑賞に不慣れな人はその間違った拍手を合図につられて拍手…となり、魅力的な場面のいくつかが体験できず、「ここで気持ちよく拍手したい」というところで拍手出来ませんでした。
指揮者のバレンボイムが高く手を上げて観客の早過ぎる拍手を制止し一部の観客がシーッの声でこれを助ける場面もありましたが、それを無視しての拍手とつられた拍手があり、その後、指揮者の指示の意味を理解している観客が最初の拍手が収まった頃に改めて正しい場面で「拍手し直す」などの応酬がありました。

弱音に重ねての拍手に怒った一部の観客が主催者のNBSに申し入れした様子で第3幕、第4幕の前にはそれぞれ「音楽が『完全に』終わってから拍手をするように」との放送がありました。
NBSは以前は配役表下の注意事項でこのことを記載したり、上演前の字幕で拍手のタイミングをリマインドしたりしていましたが今回はいずれもありませんでした。
第1幕の前にも正しい拍手について放送してくれれば、多くのまともな観客がいやな思いをしなくて済んだのにと非常に残念でした。放送があってもなくても、そもそもまだ長い弱音が続いているのにもかかわらず、幕が降りかけたらすぐに拍手をするという人はオペラを観ているだけで全く聴いていないということでしょう。

ヴェローナではオペラ好きのイタリア人が観光客だらけの2万人の観客をコントロールします(シーッの制止で)。2万人が同じ気持ちで「ナブッコ」の「行け我が想いよ、金色の翼に乗って」の消え入るハミングを最後まで静聴するのは間違いなく最高に贅沢な一瞬の1つです。

この日のバレンボイムの音楽作りが好きか嫌いかは別にしてオペラで音を作るのは指揮者の役目ですから、指揮者の「料理法」に乗っかって観て聴く方がオペラは気持ちが良いでしょう。どこで拍手しようかと迷ったら指揮者をチラチラ観て欲しいものです.(先般の東フィルの「椿姫」でのチョン・ミュンフンの拍手タイミングの「指示」はやややり過ぎですが)、指揮者の手が上がったままなら明らかにそれは指揮している最中。拍手には早過ぎです。

サッカーの応援で「アイーダ」の凱旋行進曲の部分のみが有名となり、この日初めてオペラを観に来た人も少なくなかったのでしょう。実際、終演後は「このお話って三角関係の話なんだね。サッカーの応援歌の部分のような派手な曲ばかりかと思ったけど、華やかなのはあの場面だけで他は随分暗い曲ばかりだね」と事前に粗筋も読まず音楽の予習もしていないような観客もいました。

この日は実は更に不愉快なことがありました。平日の16:00からの開演と言うこともあってか開幕に間に合わず、第2幕から多くの人が入ってきたようです。私は1階の前の方の席だったので途中で入る人には気付かなかったのですが、この途中入場の方を係員が案内しきれず、なかなか席に着かない人がいた様子。2階席か3階席のある男性の観客が大声で「早く座れ。迷惑なんだよ」と叫びました。この声は歌手の声同様に、あるいはそれ以上にNHKホールによく響きました。その怒鳴り声の余韻がある中で直ぐに「アムネリスの寝室」の場が始まったため、第2幕第1場は最後までこの観客の怒鳴り声が私の頭の中で通底音のように鳴り響いていました。他の多くの観客も同様だと思います。

幕間に案内した客を正しく席に付かせるのはNHKホールの係員と主催者の役目だと思います。3600名の観客に不快な思いをさせるべきではないと思います。それにしてもオペラを観に来て「叫ぶ」お客というのもどういうものでしょうか。そのうち座るのだから、主催者が指揮者と連携を取って全員が座るまで待ってから上演開始とすれば問題ないと思います。

改めて良い観客と鑑賞を共にしたいと感じます。

なお、翌日の「ドン・カルロ」では「アイーダ」での不幸な出来事を受けて、第1幕前と第2幕前で拍手についての放送がありました。私の後ろの席の人が「そうなのよ。昨日の拍手がひどかったからね」とひそひそ話していました。この放送のお陰で「ドン・カルロ」の第1幕、第2幕の鑑賞環境は良かったので、続けて上演される第3幕・第4幕の前では放送がありませんでした。しかし、第3幕では一部、残念な拍手もありました(目くじら立てるほどではないものの)。

肝心の「アイーダ」の上演ですが、次のような感想です。
バレンボイムは前奏曲の第1音から弱音を大切にしている演奏。全体に綺麗に流れ、凱旋行進曲でも鳴らさず高揚感が得られない点はやや残念でしたが、弱音は魅力的で私自身は全体としては演奏を楽しみました。

歌手は悪くないものの、アイーダ(ウルマーナ)を除くとラダメス、アムネリス、アモナスロはそれぞれ私の描くイメージと少し違っていました。演出らしい演出がほとんどないということも影響したかも知れません。
ウルマーナはやや一本調子かという気はしましたがアイーダという役のイメージには合っていると感じました。
ラダメスは予定のフラッカーロから非常に体格の良いスチュアート・ニールに当日変更となりました。元横綱の曙に顔と雰囲気が似ていて、ニールが出る度に「相撲」のイメージが頭に浮かんでしまいました。
アムネリス(スミルノヴァ)はもう少し威厳が欲しい感じでした。アモナスロ(ポンス)にはもう少し品格が欲しい感じでした。

過去、NBSは外国の多くの豪華絢爛な舞台を日本に紹介してくれています。今回の「アイーダ」もそのサービス精神の流れの中にある選択だったかと思いますが、既に日本人は同じゼッフィレッリ演出による新国立劇場の「アイーダ」を知っているので、今回のミラノ・スカラ座程度の舞台では驚かず、67000円の設定にしてまで同じゼッフィレッリの演出・装置による「アイーダ」を持ってくる必要はあったのだろうかとの疑問はありました。凱旋の場面の豪華さは新国立劇場版の方が上ですし、ラストシーンの深刻さも新国立劇場の方が上です(プログラムの写真によれば、ミラノ・スカラ座ではラストシーンで舞台の昇降を使っているようにも見えたのでオリジナルは新国立劇場と同じ趣向かも知れません)。

私自身は新国立劇場の「アイーダ」を3回観て、毎回涙が出そうになり、更にまた観たいと思いますが、今回の上演では涙は出ず、また観たいとの思いには至りませんでした。また観たいと思った場面はワシリエフ振付のバレエのみです。この振付はこれまで観た「アイーダ」の中でも最も魅力的なバレエシーンでした(ダンサーの質も含めて)。

ミラノ・スカラ座から始まる新しい「オペラ・フェスティバル」シリーズの演目はややポピュラーのものに偏り過ぎかとの印象。歌手も指揮者も、「また、この歌手、指揮者か」という感じになっています。特に、演目選択ではもっと大胆に観客を驚かせて欲しいと感じます。

2011年にマリインスキー・オペラが「カラマーゾフの兄弟」を持ってくるのはかなりの大胆な計画ですが、NBSの新シリーズ企画にはそういう大胆さはないのですね。

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