2020-04

6・16(火)クリスティアン・アルミンク指揮 新日本フィル
マーラー:交響曲第9番

   サントリーホール

 聴く前からすでに予想されていたことで――などと言ってはミもフタもないが、アルミンクのマーラーは、粘ったところが全くない。

 素っ気ないとか、無機質だとかいうことではない。それどころか、音楽の隅々にいたるまで非常に細かいニュアンスや、彫琢された音の響きには事欠かない演奏だ。
 が、じわりと襲いかかって来るような圧迫感とか、底知れぬ深淵に引き込まれるような恐怖感といったものは皆無なのである(あくまで私にとっては、である。それを感じる人もいるかもしれない)。

 ただ、そういう演奏は、ワーグナーの音楽の場合にはどうにも隔靴掻痒の思いにさせられるのだが、マーラーの場合には、それはそれでまた別の面白さを引き出してくれる。
 第1楽章など、たとえばワルターの指揮したディスクで聴くと何か背筋がぞっとするような絶望感を抱かせられるけれども、アルミンクのそれは、まだ前途に希望の光を垣間見つつ、不安と動揺の大波を突っ切って行くような感覚に浸らされる、といった演奏なのである。

 第4楽章は、実に美しかった。新日本フィルの弦の良さが発揮された演奏といっていいだろう。
 弦の響きは軽やかで爽やかだが、力がある。テュッティでのハーモニーは豊麗だが、むしろ飽和的というか、和声のすべてが一体化して響くという感だ。
 第56小節と57小節のごとき、スコア通りに1音符ずつアクセントを強調してぐいぐいと下行させる指揮者も多いけれど、アルミンクはそんな粘りのあるアクセントを与えず、ややレガート気味に押して行く。音楽は、凄みのある津波でなく、美しい大波という印象になる。

 最後の十数小節にしても、アルミンクの指揮はテンポを無理矢理落すという手法ではないので、モティーフの形が最後まで崩れずに保たれる。ここを今夜のように透明な音色で聴くと、ワルターが言った「あたかも澄み切った無限の碧空の彼方に溶け行く白い雲のように――」というニュアンスにも共感できるというものだ。
 なお新日本フィル、今夜はホルン群も見事だった。

 全曲に先立ち、アルマ・マーラーの「夜の光」という歌曲が、指揮者とオケは板付きのまま、舞台裏(下手の袖)でピアノ伴奏により歌われた。切れ目なしに「9番」に入るというアイディアはいいと思うが、歌曲そのものはさっぱり面白くなかった。それに、いかにも音が遠くて、2階席などでは、ピアニッシモの個所がよく聞こえないのである。
 が、歌ってくれた市原愛は――ソプラノとあったが、メゾ・ソプラノといってもいいほど中低域の声に濃い陰翳のある人だ。出番は少なかったが、魅力を感じさせた。ピアノは丸山滋。

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