2019-09

6・7(日)ペーター・コンヴィチュニー オペラ演出ワークショップ最終日

   東京藝術大学音楽学部第6ホール  午前10時半~

 6日間にわたったワークショップ(演出指導講座)の、今日は最終日。都合で午前の部のみ見学させていただく。

 今日は「魔弾の射手」からの「アガーテとエンヒェンの場」がテーマ。
 その前半では、エンヒェン(熊田彩乃)がアガーテ(竹多倫子)を元気づける「ロマンツェとアリア(第13番)」が素材で、2人に魔法をかける悪魔の役をソロ・ヴィオラ(阿部春花)に演じさせる趣向。3人とも藝大の専攻生だが、ヴィオラ奏者がなかなかの役者ぶりであった。

 しかし、やはり面白かったのは、後半の「アガーテとエンヒェンの二重唱(第6番)だ。
 演じていたのは、アガーテを橋爪ゆか、エンヒェンを吉原圭子。いずれも二期会の若手第一線歌手だけあって、学生とは違って呑み込みも早く、指示されれば自ら演技を工夫して展開して行く力のある人たちだから、観ていても楽しい。

 ここではコンヴィチュニーが、この2人の女性の性格の違いや心理の動きを分析する前提として、作品の性格や時代背景や音楽の構成を綿密に解説して行く。
 (大詰め場面に登場する謎の「隠者」と、ギリシャ劇や旧いオペラで最後に登場して物語を大団円にひっくり返す「神」との共通性を、そこでの転調と関連させて分析して行く話は、とりわけ面白かった)
 歌詞のキーワードから、音楽の転調、和声の動きにいたるまで、あらゆる要素をもとにして2人の心理を分析しつつ演技を創り上げて行く指導の手法は、さすがのものがある。
 
 自らピアノを弾いての序曲のアナリーゼなどは、なまじの指揮者よりもよほど専門的だ。
 序奏のアダージョの冒頭は「神のいない世界への悲痛な呼びかけ」であり、「良き時代への想い」(有名なホルンの主題)を経て悲劇的な世界が始まる――といったように、序曲の中に描かれた政治観や宗教観や人生観を分析、それらを基盤にしてドラマ全体の演出を組み立てて行く考え方も、実に興味深い。それは、まさに「音楽の視覚化」といってもいいほどである。
 このようにして創られた演出は、オペラというものの可能性をいっそう拡げることになるだろう。

 コンヴィチュニーが実際にドイツで行なっている演出がすべて納得できるものとは必ずしも言えないし、またこのような演出コンセプトを持つ演出家は必ずしもコンヴィチュニー独りではないけれども、少なくとも今回の彼の「オペラ演出ワークショップ」は、わが国のオペラ演出界や歌手たちにとって、非常に有益なものだったはずだ。
 なぜなら、残念ながらわが国のオペラ演出家や歌手たちの中には、ただ客席を向いて両手を拡げたり、無意味に片手を差し延べたりするだけのような、昔ながらの類型的な身振り――つまりドラマトゥルギーの欠如としか思えないような演技――のみを善しとする傾向が、未だにあまりに多く見られるからである。

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