2019-06

2・17(火)大植英次と大阪フィルの東京公演

  サントリーホール

 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第9番」とマーラーの「交響曲第5番」というプログラム。ピアノのソロはあのすばらしい若手、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェである。

 大植が指揮する大阪フィルの音色は、以前には最強奏の際に管と弦の音がダンゴ状態になって、濁りも生じるケースも少なくなかったが、昨年の東京公演(「幻想交響曲」他)でそれが解決されていたのには、嬉しい思いをしたものである。
 きれいになったとは言っても、いわゆる彫琢された清澄な音色とか、艶麗な美感とかいうタイプのものではない。喩えて言えばナニワ的な感じのもの(?)だが、それはそれで関西のオーケストラたる大阪フィルらしい良さを出しているだろう。

 今夜のモーツァルトなど、大阪フィルも随分変わったものだと感じさせるほど、清涼で軽快な演奏になっていた。ヌーブルジェの澄み切った溌剌たる、しかも端正さを失わないピアノとの対話もバランスよく、魅力的であった。

 マーラーの「5番」も、今日はあまり怒号しない演奏だったため、オーケストラの音も柔らかく保たれたようだ。比較的余裕を持って鳴っていた、と言ったらいいか。無理に凶暴に絶叫しない演奏だったのは好ましい。この作品の叙情的な側面の良さを、120%発揮させた演奏と言えよう。
 だが――テンポは異様に遅い。時計を詳しく見ていたわけではないが、普通なら68~70分程度の総演奏時間が、今夜は90分近くかかっていたのでは? 師バーンスタインの87年盤(75分)のそれをすら、はるかに上回る遅さである。

 このテンポを大阪フィルが完全に持ち応えていたとは、言いがたい。特に第1楽章では葬送行進曲の悲劇的様相が、時に沈滞して疲れ切った足取りのようになることもあった。最弱音も極端であり、しかもそこでは更にテンポが落とされる。
 3年前に彼らがこの曲を取り上げた際にどう演奏したのか、聴いていないので何とも言えないけれども、今夜の演奏を聴く限り、大植もいよいよこのような独善的で極端なマーラー解釈に足を踏み入れたか、と驚かされたのは事実である。

 もっとも、この超遅テンポのおかげで、これまでの猛烈型演奏では聞き逃していたような和音の美しさ、旋律の意外な魅力、楽器の交錯の面白さなどに気がつかされ、ひいてはこの「5番」が何と美しい曲なのだろうと、改めて感じることができたのは有難かった。善いこともあるものだ。

 かように長い長い「5番」のあとに、さらに沈潜したテンポの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(モーツァルト)がアンコールで演奏された。マーラーの交響曲のあとにアンコール曲を演奏する感覚には、私にはとても共感できない。終演は9時55分。

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