2019-09

2・7(土)リゲティ:オペラ「ル・グラン・マカーブル」日本初演

   新国立劇場中劇場

 東京室内歌劇場40周年記念公演。大掛かりな力作である。

 「グラン・マカーブル(大いなる死)」は、架空の淫蕩な国ブリューゲルランドを舞台にしたアイロニーの荒唐無稽な喜劇だ。歌詞はドイツ語。

 筋書は措くとして、ジェルジー・リゲティ(1923~2006)はここに伝統的なオペラのあらゆる形式――アリア、二重唱、合唱、大団円のアンサンブルといった要素――とともに、パッサカリアなどの楽曲形式、オペラならではの非合理的な物語展開手法、娯楽性などをも持ち込んだ。かくして彼は「アンチ・オペラ」の風潮に対する更なる「アンチ」というコンセプトに立ったと言われる。
 だがそのついでに彼は、オペラ独特の長々しさ、くどさ、同じ言葉のうんざりするほどの反復、といったものまで持ち込んだのも事実であった。こんな要素をオペラへのオマージュとして持ち込む愚か者はいないだろうから、結局これはやはりオペラへのパロディなのであり、オペラの伝統に従っていると見せながら、実は痛烈に「伝統的オペラ」をシャレのめしているのだと見た方がいいだろう。いわばこれは、リゲティ版「古典交響曲」なのである。

 ウリ・セガルが指揮するアンサンブルは、多様複雑な打楽器や効果音楽器(?)を巧みに扱って優れた演奏を聴かせてくれた。歌手陣も松本進(ネクロツァール)、高橋淳(大酒飲みのビート)らをはじめ、精一杯の熱演である。

 やや戸惑うのは藤田康城の演出で、演劇性を追及したとはいうものの、結局は「中途半端なオペラの舞台」に留まってしまった。これまた非合理的で、いかにも日本の舞台だな、という感。世界のオペラ演出には、これよりもはるかに演劇性に富んだものが山ほどある。非合理的なものを合理的に見せてしまうようなものだってあるのだ。もちろん、合理的なもの即ち演劇性であると言っているのではない。

 それに難しいのは、こういう「笑い」を表現することにかけては、残念ながらわれら日本の歌手たちは、およそ不向きだ。今日の上演でだって、客席に笑いが(それもほんの微かに)起こったのは、演技に対してではなく、痔民党とか公迷党とか「アナタトハチガウンデス」とかいった政治ギャグを取り入れた字幕に対してだけだったのである。
 ついでに、今日の字幕に対しては、あまりに言葉が多いと読む方は眼が疲れるものです、という提言だけ申し上げておきたい。

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