2021-06

2021・6・3(木)ダニエル・バレンボイム・ピアノ・リサイタル

       サントリーホール  7時

 突如開催されたダニエル・バレンボイムの来日ピアノ・リサイタル。コロナ禍のため疎らと化していた「巨匠の来日公演」が、せめて少しでも復活されてくれれば、それは喜ばしい限りである。
 今回は東京3回、大阪・名古屋各1回の公演で、全てベートーヴェンのソナタ集によるプログラムだ。うち東京は、2日と4日が「最後の3大ソナタ」、今日が初期のソナタ(1番~4番)というプログラムで、私はその初期のソナタ集におけるバレンボイムを聴きたくて、今日を選んだのだったが━━。

 満腔の期待の中に聞こえて来た第1音は、何と後期のソナタの「第30番作品109」。聴き慣れたこの曲とは随分違う雰囲気の演奏ではあったが、それでも一瞬ギョッとした。自分は間違えて、異なる日の演奏会に来てしまったのか、ついにあの病気に陥ってしまったのか、もしかしたら、今演奏されているのは「作品2の1」なのに、それが自分には「作品109」に聞こえているのだろうか、などと突拍子もないところまで思いを巡らせ、慌てて周囲を窺ったほどであった……。

 結局、間違えたのはバレンボイムのほうで、今日はそのまま「作品110」「作品111」という順に演奏されて行った。
 最後にバレンボイムみずからマイクを持ってステージに現れ、1曲目が終った後にマネージャーから「曲目が違うよ」と知らされました、本当にゴメンナサイ、という主旨の極めて丁重な詫びがあって、満席の聴衆からの大拍手で終演した、というわけである。

 裏の事情はあとからいろいろ聞いたが、まあそれらの真偽を云々したところでどうにかなるものではない。「今のバレンボイム」のベートーヴェンをじっくり聴かせてもらっただけでも貴重な機会だったと思いたい。
 特別仕様のスタインウェイ「クリス・マーネ・ストレートストラング・グランドピアノ」から彼が紡ぎ出す音は澄んだ色彩感に溢れてこの上なく美しく、とめどなく深々と沈潜して行く表情は、あのバレンボイムが80歳近い年代になって到達した芸風はこういうものなのかと、少し怖ろしくさえ感じられるほどの演奏だったのである。

 「作品111」の第1楽章主部では、もはや(作曲者が指定した)「コン・ブリオ」も、「アパッショナート」も聴かれない。むしろ落ち着いた微笑をたたえたような雰囲気の演奏ではなかったか? それに「作品110」の第3楽章が、これほど哀感を滲ませた歌として感じられた演奏は、これまで聴いたことがなかった。

 ただ、こういうスタイルの演奏は、以前のバレンボイムのそれとは違う。それどころか、所謂ベートーヴェンの後期のソナタへの多くのピアニストとのアプローチとも全く違う種のものだ。多分、異議を唱える人も少なくないだろう。私も、バレンボイムに対しては感動したけれども、それはベートーヴェンのソナタに対する感動とは、ちょっと違う。
 こうなるとますます、これでバレンボイムは初期のソナタをどのように演奏するつもりだったのか、という思いをかき立てられるが、それは措く。

 ともあれ、前代未聞の出来事として、楽しい思い出の一つにしておけば済むものを、終演後のロビーでは、プログラム変更を「ひとを馬鹿にしている」といきり立ち、主催者を相手に怒鳴りまくっている爺さん婆さんの一団がいた。いまどきレトロな表現の憤り方をするものだ。クラシック音楽の会場に来る若い人たちはみんな礼儀正しいのに、爺さん婆さんの中にはすぐ切れる連中が多くて、見苦しい。同じ高齢者として、なさけない。いいトシをして何だ、若い人たちを見習え、と言いたくもなる。今日の連中は、もしかしたら私より年下ではないかと思うが?

コメント

聴きたい演目でないものを聴かされたのだから、怒るのも無理はないです。
私自身もガッカリどころかゲンナリしました。
どんな名演でも聴きたい曲じゃない!という気持ちしか残りません。
スタッフに怒鳴り散らすのはよくないが、記念に思えないのは老人だけではないですよ。

コンサート会場だけでなく、電車内や街角でも、明らかに若い人の方がマナーが良いですね。ノーマスクで無遠慮な咳をしたり、若い店員さんに身勝手にいきり立ったり、たいていは一定以上の年齢の方です。東條さんのこういった文章を見て、少しでも反省して頂ければ良いのですが。と同時に、このような老害にはなるまいと、人の振り見て我が振り直そうと改めて襟を正す日々です。

円熟の至芸

4日の公演(30番~32番)を拝聴いたしました。特製ピアノによる円熟の至芸を堪能させていただきました。

前日の公演でアクシデントがあったことはネット上の書き込みにて承知しておりましたが、(3日と4日を比較して、今のバレンボイムだからこそ初期のソナタを聴きたいと思った方も多かったでしょうし、そのような方の不満は十分理解できるものの)今回のアクシデントについて主催者を責めるのは少しお門違いではないでしょうか。

曲目・演奏順を記憶できないほど認知能力の衰えた音楽家を招聘したとか、曲目変更を事前に知らされていたのに聴衆への通知を怠ったといった事情があるなら別ですが、今回の原因は演奏者の単純な勘違いなんでしょう。とするなら、当日の対応としてもっと適切なやり方があったのか、①30番の演奏が始まったところで強引に演奏を中止させ、正しい曲を演奏させる、②30番ないし31番が終わったところで、演奏曲目を1番~4番(ないしその後半)に変更させる、そのいずれかを求めるべきだったのでしょうか?

個人的には、いずれのやり方も演奏会の総合的完成度が大きく損なわれるリスクがあるように思われ、したがって、演奏者の意向を最大限に尊重し、そのまま演奏を続けさせたというのはやむを得ない判断だったと考えます。そもそも曲目の変更はどのようなコンサートでもあり得る(主催者側も事前に告知している)ことですし(と言って開き直るつもりもありませんが)。

もちろん、3日と4日の双方を購入されていた方にとっては看過できない大問題であっただろうと思います。ただ、その点についても、(ホームページへの掲載がもっと迅速であるべきとは思いましたが、)主催者からチケット払い戻しに応じる旨の通知がなされており、主催者は一応果たすべき義務は果たしていると言えるのではないかと。

以上、このコロナ禍で大変な経営上の打撃を被っている音楽事務所の内情を慮り、必要以上に寛大な内容になっているかもしれませんが、僭越なコメントに諸賢各位がご気分を害されることのなきよう祈っております。

4日のサントリーホールは久しぶりに見る、ほぼ満席状態。払い戻しを求めて来場されない方が結構おられるのではないかと思ったのですが、そうでもなかったようです。バレンボイムの特製ピアノの響きの違いは耳の悪い小生にはよくわからなかったのですが、少し豊麗さ、重厚さに欠ける反面、清浄ですっきりした音色のように思いました。開演前にピアノをスマホで撮影しようとして会場のお姉さんに叱られました(確信犯でしたが・・・笑)。

ゲルバーの最後の来日が中止となって落胆する中、バレンボイムの実演に接することができたのは幸いでした。10月のレーゼルの(やはり最後の)来日が実現しますように。

プログラム

お疲れ様です。
昔リヒテルは当日までプログラムを発表しなかった。それで、聞いたこともないスクリャービンばかり聴かされた、と怒っている人がいたが、アパッショナータばかりやるわけないのに、とその時思った。このバレンボイムのアクシデントは、聴衆には好運だったかも。それよりも、ムーティやバレンボイムは特例で来日出来ても、他のマイナーと思われている音楽家は出来ない。早く元通り海外演奏家を聴けるようになってほしい。

堪能したいです!

7日の大阪公演を拝聴する予定です。東京公演は、ハプニングがあったのですね。私は、クラシック若葉マークなので、曲が違っても気付かずに、ブラボー!になると思います。ソリストとしては、16年ぶりの来日公演。次はいつになるかわからない貴重な公演。堪能したいです!

部外者ですが驚きました!

「演奏曲目が事前の知らせもなく変更されることには納得できません!」と言いたいのですが、事前の知らせなどできるわけありませんよね。私は大のバレンボイムファンで、これまでにもワーグナー等の来日オペラ公演や、ブルックナーやブラームスの交響曲連続公演など感動的な演奏に酔ってきました。ブルックナーの連続公演時はモーツァルトの協奏曲の弾き振りもあって大感動でした。確か前回のブルックナーのチクルスで最後の来日と言われていましたので、今回の突然の来日公演には少々抵抗感があったので出向かなかったのですが驚きました。会場の雰囲気は全体としてはよかったようですが、不満か残った方も少なからずいたはずです。何しろ聴きたい曲でなかったのですからね。部外者が言えることではないと承知しながらも、今回のようなことが万が一起きた場合に対応してもらいたいことは、曲が違っていることに気づいたときにすぐ演奏者へ伝えてほしいです。いかに偉大な演奏者だとしてもです。一曲が終わってしまった後では、プログラムビルディングに影響が出るのでもう手遅れです。そうしていれば、バレンボイムにとっても演奏後のコメントなども不要になり良かったのではないでしょうか。ともあれ、ファンにもバレンボイムにも残念なこととして記憶に残ること大であったことと思います。勝手なコメント失礼いたしました。

年長者として、鑑賞者としての品位

 上記、さまよえるオランダ人様と同じく、私も部外者、ということになるのですが、東条先生をはじめ、6人の方々のコメント、ご意見も含め、どれも七人七様のご意見、大変、参考になる内容だと思いつつ読ませていただきました。
 オペラの代役、指揮者やソリストの変更などとは、また違う今回のケース、これをどう考えてゆけば良いのか私も、いろいろ試行錯誤したいと考えています。
 ただ1点、確実に言えるのは、やはり、東条先生やボート様のおっしゃるように、「怒鳴りまくる」ようなファンは鑑賞者として、もはや、クラシック・ファンたる資格はない、ということでしょう。残念ながら、私も、こうした人々(特に高齢者)を近年よく見かけます。
 5日は、大阪で見る予定の「どろぼうかささぎ」が延期になったため、首都圏の、ある劇場に行ったのですが、この公演は3部(3作?)あって、前売りのみ限定でセット売りしたようなのですが、売り場に先頭で並んでいた、70くらいのタバコくさい、黒ずくめの男性が、なぜ当日券もセットで売らないのか、と大声で怒鳴りまって、10分近くも粘り、お陰で後ろに並んでいた我々、あとの順番の者は、それに付き合わされ、開演前かける予定の電話ができないなど不都合に見舞われました。加えて、1作目の終演後もこの男性はしつこくロビーで大声で劇場関係者にわがままを言っていました。
 こうした本当に情けない高齢者は、名作、名演を見ても、おそらく不十分な理解しかできないでしょうし、それを自らの人格や生活、経験に還元することも、最初から、あるいは年齢的に、この先も期待できないレベルの方々、と言っていいかと思います。
 不手際、アクシデントがあった場合、状況に応じての意見、ひと言はよろしいかとは思いますが(上記の演劇の場合は関係者の不手際は全くないのですが)、芸術鑑賞に相応する品位は常に保って欲しいものです。元より、コロナで必要以上の大声は禁止の今です。上記のような、怒りまくる高齢者の方々には年長者らしい分別を求めたいと思います。

感想。

「私も、バレンボイムに対しては感動したけれども、それはベートーヴェンのソナタに対する感動とは、ちょっと違う。」 ――私の聴後感も言葉にすれば同様の、もやもやしたものだった。(6/2 サントリーホール、後期ソナタ)
 30番の出だしから、5年前のモーツァルトの協奏曲で聞かせた典型的なジュー・ペルレのタッチ音。今回はピアノも特注品を持ち込んで響きの純度を追求すること(―果たして、素人に聞き分けられる差異がどれほどあったか)に主眼を置いた印象だけが残った。言ってしまえば「耽美的」。或いは音との純粋な邂逅に森羅万象を見出す資質の齎した表現、と言えば言い過ぎか。(更に言えば、こういう資質は対象となる素材を選ばない。)
 演奏の美しさは際立ったが、浄化され切った音の連続からは、ベートーヴェンが楽譜に仕組んだ音の振幅あるドラマは捨象されてしまっていた。ただ、それをどうこう論じたところで意味を成さない。バレンボイムが培ってきた資質が、確かに人口に膾炙したこれまでのベートーヴェン弾きの先達のそれとはまったく違うということなのだ。勿論是も非もありはしない、のだが。

主催者を相手に憤っていた人達について…

主催者を相手に怒鳴りまくっている爺さん婆さんの一団は団塊の世代の方々でしょうね。
私が小さい頃は団塊の世代が若者の中心で、ずいぶんと激しい抗争などあったのを思い出します。
とにかくあの世代は自己主張が激しすぎる。自分の利権が侵害された時の激昂ぶりは凄いものだったけど、あの世代の人間は年を取っても中身は変わらずそのままということです。

それ故に、主催者を相手に怒鳴りまくっている爺さん婆さんの一団は自分のお金でチケットを買って聴きに来たのだから、何の前ぶれも無く予定曲プログラムとゼンゼン違う曲を聴かされたのでは黙っているはずがありません。団塊の世代の彼らの利権が侵害されたからです。
そしてもうひとつ大事なのは東条さん、貴方が憤らないのは貴方自身のお金ではチケットを買っていなくて貴方は招待券で聴きに行ったという事実です。
今回はピアノリサイタルのチケットとしては高額です。
東条さんが主催者を相手に怒鳴りまくっている爺さん婆さんの一団を批判するのであれば、今後は自分のお金でチケットを買ってコンサートに行くべきです。
東条さん、貴方は昔のドイツの評論家シュトゥッケンシュミットを見習うべきです。

川沿いの方へ。

時ならぬ椿事とその顚末、興味深く見守っておりましたが野暮を承知で一言。「私が小さい頃には団塊の世代が若者の中心」と云われるなら恐らく当方と同年代…ワクチン優先接種の案内がぎりぎり届くほどの方と推察いたしますが、ならばさらに年長であられる東条氏への発言に今少しの配慮が必要では?無礼極まりない団塊世代ではあるまいし。ましてここは「東条氏の庭」なのですから…。

そういえば、

少し前、サントリーホールのロビーで、チケット記載の開場時刻を過ぎているのになぜホールに入れないのか、とスタッフの女性に詰め寄っている初老の男性がいました。ロビー開場とホール開場の時刻が異なっていたわけですが、そんな怒らなくてもええやんか、と思いました(よっぽど「東京芸術劇場など他の会場では、ロビー開場とホール開場の時刻が異なることは珍しくありませんよ」と言ってやろうかと思いましたが、人のふり見て・・・です)。

ところで、萩谷由喜子さんのブログによると、曲目違いのハプニングの後、招聘元の社長に「曲目違いによる払い戻しがたいへんですね」と言ったら、その社長から、「(バレンボイム氏からは)自分が勝手に思い違いをしたせいだから、全額自分に負担させて欲しい、との申し出があったが、それに甘えるわけにはいかない」との返事が返ってきたとのこと。ちょっといい話ですね・・・。

超人バレンボイムにもこんな事があるなんて、面白いですね。幼少期からベートーベンのソナタを弾き続けて70年の彼もやはり我々と同じ人間なんですね。ハプニングを含めてコンサートの醍醐味です。ジョン・ケージなら、主催者に詰め寄る人たちを笑い飛ばすかもしれませんね。

主流派としての団塊世代と消費財意識

高齢のバレンボイムがピアニストとして来日するとは信じられなかったため、買わずにいたら、このベートーヴェン初期ソナタのリサイタルしか残っておらずチケットを買うのはのを断念しました。こんな椿事で最後のソナタが聴けるとは、椿事の語り草も含めて行っておけばよかったと強く後悔しています。バレンボイムの実演はシカゴ交響楽団やベルリン国立歌劇場の指揮者としての公演しか実演で接していなかったので、高齢で引退する前にピアニストとしての実演を聴きたかったのですが。内容変更のトラブルといえば、30年ほど前の最後のバーンスタイン来日のさい、東京公演で死期が近づいたバーンスタインは肉体の限界で曲目の一部しか振れず、大半を弟子の大植さんに任せたため、複数の客が主催者に怒鳴り込むという事態があったことを思い出します。バーンスタインは癌をおしての公演で、バレンボイムもおそらく知力が衰え始めているのでしょう。券を2枚買っていたら払い戻してほしいと考え要求するは当然ではありますが、主催者の瑕疵でない以上、怒鳴り込むのはいささか行き過ぎ、品がないと思います。音楽を聴くことを消費財、サービスと断じ、アーティストへの敬意が足りないとは思います。「団塊の世代」前後の層がクラシックの演奏会場をほぼ席巻している中では、彼らの行動が目立つのは仕方がありません。数が多く敗戦後の貧しい時代に生まれた団塊の世代。集団就職、立身出世競争や学園紛争、極左セクト間の抗争、劣悪な労働環境、インフレ、ストライキなど動乱の季節を過ごした世代は、前後の世代よりも我が強い傾向があります。テレビなどで急に知って目覚めて、マナーを知らず、鑑賞の妨げになることを平気でする人や会場で主催者やスタッフを高飛車に難詰する人も、この世代には確かに多いような気がします。どこの演奏会場も大半が65歳以上と思しき高齢者ばかりで、この世代が日本のクラシック音楽の最大の消費者であり、彼ら抜きでは演奏会が成り立たないのは事実です。主流派である以上、主流派意識を持つ彼らのふるまいを止めるのは難しいのかもしれません。やや話がずれますが、この世代が鬼籍に入った後の日本のクラシック界はどうなるのか心配と常日頃思っています。職がなく人材は海外流出、音大や交響楽団、歌劇団は淘汰されるかも知れません。経営の安定したN響や都響、読響、京響なども安泰ではなくなるでしょうね。

無題

今、礼儀正しい若い世代も、じいさんばあさんになったら怒りっぽくなるかも知れないし、ましてや団塊云々の問題かどうかなんて、証明も出来ないな。私も団塊嫌いだけど(笑)。ただ、怒った人は、本当にその曲を聴きに来てる人なのかも知れませんね。演奏家目当ての人なら、あまり怒らないかもという推定は有り得る。本当にその曲を愛して聴きに来てる客にも支えられているというなら、バレンボイムさんはむしろ幸せですよ。作曲家が主人公であるなんてみんな建前では言いながら、結局客は、やはり演奏家目当てで行く訳ですから。それを良いことに、手前勝手な珍解釈をやって拍手喝采の演奏家も結構いる。これは案外、考え出すと終わりのない問題かも知れません。演奏会の主役は本当は何なのかという事を、その了見の狭いらしきじいさんばあさんが提示してくれたのかも知れない。

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