2021-06

2021・5・23(日)田中祐子指揮日本フィルハーモニー交響楽団

      サントリーホール  2時

 昨日の朝、二子玉川近くに設営されている世田谷区の仮設庁舎で1回目のワクチン接種。親切丁寧に対応してくれた医療従事者たちのみならず、会場の内外で手際よく来場者を案内している若いスタッフたちにも、本当に頭が下がる思いであった。おかげで接種は実にあっけなく終了、夜になって肩に軽い筋肉痛を覚えたものの、一夜明ければほぼ違和感なしという状態で切り抜けられたようだ。となれば、あとは当面の自分の役割を果たすのみである。

 今日の演奏会は定期ではなく「名曲コンサート」。プログラムは、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」、ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストは神尾真由子)、ベートーヴェンの「交響曲第5番《運命》」。コンサートマスターは田野倉雅秋。
 指揮は、当初の予定ではピエタリ・インキネンだったが、来日不可能となったため変更されたもの。曲目とソリストは予定通りである。客入れ数は50%規制の範囲だったが、P席を使用していないため、1階席は最後方を除きほぼ満杯、2階席前方も結構な入りという形態に見えた。

 田中祐子がシンフォニー・コンサートで指揮するのを聴いたことは、私はこれまで一度しかない(→2015年3月9日、オケはやはり日本フィル)。だが今日の指揮は、その時に比べると、更に進境著しく、更に自己主張の強いものになったように思われる。それは強烈で濃厚で、聴き手を否応なしに引きずって行くような、超個性的な演奏だった。

 ブラームスの協奏曲では、管弦楽による提示部からして、挑みかかるような、異様なほど攻撃的な響きを日本フィルから引き出していたのに驚かされたが、それはそのあとに入って来た神尾真由子の強大で切り込むように鋭いソロに対決するに相応しいものだったということに、すぐに気づかされるだろう。

 その後も、オーケストラとソリストとの丁々発止の応酬は壮烈を極めたが、特に第3楽章の、ソロとの対決が一段落し、管弦楽のみがフォルティッシモで咆哮する個所(第83~93小節)でのティンパニの煽りなど、往年のライナーやテンシュテットのそれを彷彿とさせるような迫力を感じさせた。ブラームスが稀に迸らせる情熱と気魄を一段と強調した演奏だったと言えよう。
 ただ、このようにソロとオケとの完璧な一体化を求めるなら、神尾も叙情的な世界に徹していた第2楽章でのオーボエ・ソロは、もう少し繊細なイメージになっていてもよかったかもしれない━━。

 ベートーヴェンでは、田中祐子の解釈はさらに強烈になった。モティーフのみを際立たせる指揮ではなく、音型の反復の一部を突然激しく強調するといった手法である。古典的な端整さと、表現主義的な瞬間的爆発とを交錯させたような構築━━とでも言ったらいいか。2か月ほど前、鈴木秀美が新日本フィルを指揮した時に、やはりこれに似た手法を使っていたのを思い出した。だが田中の場合は、これにデュナーミクの対比だけでなく、音色の絶え間ない変化を織り込んでいたところが凝った所以である。

 ともあれこの演奏には、良い意味での傍若無人な性格が顕れているので、そこが私としては実に面白いところだった。ただ人によっては、こういう演奏は、やはり「やり過ぎ」という感を抱くかもしれない。私も、第4楽章も再現部後半になって来ると、少々心を乱されたのは事実である。演奏が如何に強烈過激だったかを示す証拠だろう。

 彼女のこの細かく複雑な構築の指揮に、日本フィルもよく応えて、ブラームスにせよ、この「運命」にせよ、なかなか凄い演奏を繰り広げていた。このオケがこういう大技小技を満載した演奏をするのを、私は初めて聴いた。おそらく、リハーサルも大変だったのではないか? 
 もっとも、日本フィルとしては、こういう演奏で彼女との相性を悪くでもしたのか? 彼女がオケの各パートを起立させて讃えることは怠りなかったのに、コンサートマスターをはじめオケの方は「指揮者を讃えるセレモニー」を一切行わぬまま答礼して解散してしまったことは、異様な感を与えた。かりに裏で何があったにしても、日本フィルともあろうものが、ステージ上のマナーという点で、プロとしておとなげない。

コメント

指揮者を称えるセレモニー

やるかどうかはコンサートマスターの判断でしょう。
コンサートマスターが「俺の指揮者に対する評価」を明らかにする場になってしまっている気がします。
在京御三家と言われるうちのあるオケが、いつも露骨にそれを見せて来るので不快に思ったことがありました。
日本人若手指揮者の時の「不満表明率」が高かったのも、良い感じがしませんでした。

カーテンコール

田中さんのベートーベンは仰る通り、アコーギクを効かせすぎて、まとまり感のないベートーベンでしたので、最近多いソロ・カーテンコールさえ無かったのは仕方ないかと思います。一方で、オケはワーグナーからベートーベンまで金管の初歩的ミスが目立ち、こちらも褒められるほどの演奏ではなかったと思います。

カーテンコール

初日の神奈川では、ちゃんと指揮者に対するオケ側からの称賛がありました。今回それがなかったのには理由がある。演奏にまとまりがないというのは、音型の立体的な強調と不可分であり、今回の演奏会の会場での評判はとてつもないものだった。一面的な見解への反論として提起しておきます。

ジェンダー

30年くらい前、まだ若手指揮者だった広上淳一さんが、山下一史さん、大野和士さんとの鼎談の中で「日本人指揮者は欧米の指揮者の10倍の実力があって初めて彼らと同等に扱われる」という趣旨の発言をしていたのを思い出します。今では「女性指揮者は男性指揮者の・・・」ということになるかもしれませんね。いずれ田中さんは大マエストロになるでしょう。昨年の8月に米沢の置賜文化センターで山響と演奏した田園と古関作品は見事なものでした。阪哲朗さんを凌ぐ出来でした。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

ブログ内検索

最近の記事

Category

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」