2021-06

2021・5・12(水)佐藤久成ヴァイオリン・リサイタル

      東京文化会館小ホール  7時

 久しぶりに聴くコンサートは、久しぶりに聴く佐藤久成(さとう・ひさや)のリサイタル。
 今日のプログラムは、かつて宇野功芳さんが絶賛して話題になったワーグナーものではなくて、フランスのソナタ集だ。「フランス三大ソナタ」と副題がついていて、ヴィエルヌ(1870~1937)の「ソナタ ト短調作品23」、サン=サーンス(1835~1921)の「ソナタ第1番ニ短調作品75」、マニャール(1865~1914)の「ソナタ ト長調作品13」というプログラムである。

 「フランス三大」は洒落なのかもしれないが、佐藤久成により再現されたこれらのソナタは、その重量感と表情の凄絶さにおいては、紛れもなく「三大」の名に値するかもしれない。

 彼の演奏はこの10年ほどの間にリサイタルを1回(→2012年5月3日)、コンチェルトを1回(→2016年5月21日)聴いただけだが、その強烈で超個性的な演奏には毎回震撼させられたものだ。今日のようなフランスものを手がけても、彼は些かも手加減せずに、自らの流儀で勝負をかける。
 その演奏は、フランスの作品の場合によく使われるような、端整さとか、優美さとか、洗練とかいう言葉とは全く無縁だ。むしろそこにあるのは、濃厚な音色、激烈な響き、攻撃的で暴力的なほどの荒々しい表情である。悪魔がヴァイオリンを弾いて人々を打ちのめす、などという変な表現は使いたくないが、しかし彼の演奏を聴いていると、何となくそんな言葉が脳裏に浮かんで来てしまうのはたしかだろう。

 サン=サーンスの「アレグロ・モルト」が、これほど狂乱の饗宴のごとく演奏されたのを、私はこれまで聴いたことがない。またマニャールのソナタでの演奏も鬼気迫る荒々しさで、これを聴いていると、この作曲家が第1次大戦のさなか、自宅の庭に侵入して来たドイツ軍を相手に窓から銃撃戦を展開し、結局壮烈な死を遂げることになる悲劇がその音楽に予告されているかのような錯覚に陥ってしまうほどであった。
 1曲目のソナタにしても、休憩時間にロビーで出会った井上道義さんが「ヴィエルヌのあんな曲なんて、ああいう演奏だから聴けるんだよね」という意味のことを言って面白がっていたのも、宜なるかなと思う。

 ヴァイオリンを弾いている身振りも、劇的というか、敢えて言えば芝居がかっているというか、視覚的にも強烈な人である。
 聴いていると、時にもう勘弁してくれと辟易させられる気持になるかと思えば、次の瞬間には、不思議な魅力ゆえ、もっといろいろな曲、特にベートーヴェンのソナタの演奏を聴いてみたいな、などと真剣に思わされるようになり、そのうち再び、こちらの神経が引掻きまわされるようなこんな演奏にはやはりついて行きかねる、という気持に陥ってしまう━━そういうタイプの演奏なのである。

 とにかく面白い。コロナなど吹き飛ばすような勢いがある。とはいえ、やはり疲れた。メイン・プロだけ聴いて失礼する。
 なお、協演の高橋望が、ベーゼンドルファーのピアノを駆使しての応戦で、これがなかなかいい。

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