2021-06

2021・3・11(木)新国立劇場「ヴァルキューレ」初日

       新国立劇場オペラパレス  4時30分

 ゲッツ・フリードリヒ演出、飯守泰次郎の指揮で制作された新国立劇場の2つめの「ニーベルングの指環」(ヘルシンキ国立歌劇場のプロダクション)からの単独上演。この「ヴァルキューレ」は2016年10月2日にプレミエされたものだ。

 今回の再演でも飯守泰次郎の指揮が予定されていたが、病み上がりのため長時間の指揮が不可能となり降板、またアイン・アンガー、イレーネ・テオリン、エギルス・シリンスら外人勢主役陣もコロナ禍による入国制限のため来日不可となった。
 とはいえ、指揮には新国立劇場オペラ部門芸術監督・大野和士が直々に出馬し(最終回/5日目のみは城谷正博が指揮)、ヴォータン役にはミヒャエル・クプファー=ラデツキーを迎え、ブリュンヒルデには池田香織、ジークリンデには小林厚子を起用して、しかもフリッカ役の藤村実穂子は予定通り━━という布陣で切り抜けられたことは幸いである。

 唯一、ジークムントのみは代役がなかなか決まらず、10日ほど前になって、第1幕が村上敏明、第2幕が秋谷直之という変則的な分担で歌われることになった。これが今回の歌手陣の唯一の問題点だったが、馬力のある福井敬がびわ湖ホールでローエングリンを歌ったばかりだし、日本にはヘルデン・テナーあるいはテノール・ドラマティコが少ないという現状を物語るものとして、当面は仕方がないのかもしれぬ。

 大野和士が指揮するワーグナーを聴く機会はめったにない。全曲上演では新国立劇場での「トリスタン」(→2010年12月25日、東京フィル)、抜粋では「ヴァルキューレ」第1幕を含む名曲もの(→2013年6月27日、九州響)などがその希少な例で、それだけに貴重な機会だったわけだ。
 だが今回の東京交響楽団を指揮した「ヴァルキューレ」は、それらいずれの演奏ともスタイルが異なっていて、驚いた。ティンパニをはじめ、総じて叩きつけるようなフォルティッシモが目立ち、この作品に特有な壮大感と叙情性の融合よりも、むしろデュナーミクの対比の構築に重点を置いたような演奏に思えたのである。

 それを筋肉質の演奏というには、オーケストラの響きがあまりに乾いていて、しかも重量感の皆無な薄い音に過ぎた。「ヴァルキューレの騎行」など、何かオーケストラがやけっぱちに喚いているようで、どうにも騒々しい。最強奏の中で、重要なライト・モティーフが埋もれてしまった例もいくつか聴かれた。
 せめて膨らみと詩情と潤いがあれば、もう少し「ヴァルキューレ」の音楽の美しさを味わえたろうに、と思う。ただ、最大の長所は、全曲にわたって弛緩したところが一つもなかったことだろう。

 歌手陣でいえば、長身で見栄えのするクプファー=ラデツキーは、ヴォータンとしては細身で神経質な神というイメージだが、最善を尽くしていたのだろうし、悪くない。
 藤村実穂子は、短い出番ながら滋味ある歌唱で、かつてバイロイトの常連だったころに比べ声は少し軽くなったかもしれないが、正論を貫く女神フリッカとしての貫禄を充分に発揮してくれた。彼女の存在が、今回の再演の舞台を引き締めていたことは誰しもが認めるところであろう。

 ブリュンヒルデを歌い演じた池田香織は今回も絶好調で、ヴォータンの「愛する娘」としての性格を見事に表現した。今やわが国の貴重なワグネリアン・ソプラノとしての存在になっていることは間違いない。
 ジークリンデの小林厚子は幕を追うに従って調子を上げ、第3幕での悲劇の母としての女性を熱唱した。
 フンディングの長谷川顯は、こういう役はもともと巧い。ただし衣装と演技の所為もあってか、何となく農夫然として見えるのは、この役柄とは些か解釈を異にするのではないか。

 問題のジークムントだが、村上敏明はかなりプロンプター(彼の時だけその声がやたら大きく聞こえた)に助けられていたようだが、肝心の「ヴェルゼ!」で声がぐらついたことを除けば、よく切り抜けたと思う。この一連の公演を通じて、新しいものをつかんで欲しいものである。秋谷直之も同様、最初はイタリア・オペラ的な声と身振りが気になったが、声には張りがあるから、頑張ってもらいたい。

 ヴァルキューレたちは佐藤路子、増田のり子、増田弥生、中島郁子、平井香織、小泉詠子、金子美香、田村由貴枝という顔ぶれだが、こちらはちょっと━━オーケストラの咆哮に煽られたか、かなり慌ただしい(もともとそういう役柄だったとしてもだ)歌と動きのままで終ってしまった印象もある。

 舞台は、前回観た時にはあまり印象に残らなかったのだが、今回の再演をじっくり観てみると、結構よく出来ているではないか、という感がする。第2幕決闘の場面で舞台装置が一回転する趣向、「魔の炎」の中途半端な拡がり方、前回はどうだったっけか? 

 それよりも今回は、演技が結構細かく設定されているな、ということに気がついた。ジークムントが斃れた後にヴォータンが歩み寄って彼を抱き、悲嘆にくれるという演出は、私は気に入っている。ブリュンヒルデの処罰について、ヴァルキューレたちが父ヴォータンに異議を申し立てようとする身振りを盛んに示していた解釈も面白い。
 ただし衣装のうち、第1幕のジークリンデがドイツ料理店のおばさんのよう、ブリュンヒルデの服装が空手の試合着のようで、あまり神話ドラマ的な趣味とは思えなかったことは、前回に同じ。

 休憩時間は40分と35分で、終演は9時50分頃。総計5時間20分の長丁場の上にスナック・カウンターも閉じられているので、「水と非常食」は各自携帯していた方が無難だろう。最初の休憩時間には(チャイコフスキーのバイロイト訪問記での表現を借りれば)「観客は大波のように」劇場外へと流れ出て、コンビニなどそれぞれの場所へ何がしかの調達に向かっていた。当節、こういう長いオペラを観る時には、こちらも装備が必要だ。

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東京交響楽団

最終日を聴いてきました。東京交響楽団が覚醒し金管は常に有機的な温かみと迫力を兼ね備え音程やバランスも文句なく、ここぞというところではまるでオリジナルの8本ホルンやワグチュー入りかと思うような咆哮も聴かせてくれました。ティンパニもうるさくないが迫力十分。オーボエ、コーラングレ、クラリネット、バスクラリネット、ファゴットも心がこもった感動を呼ぶソロ、分厚く聴こえる弦、など、、。ライトモティーフをきっちりと印象づけ、ここぞというところでは、大見得もきる演奏で大満足。新国立劇場のピットからめったに聴くことができない(失礼)充実したオケの音が聴けました。1幕のジークムントは盛り上がったところでのスタミナ不足は否めませんでしたが欲求不満をあまり感じさせないようオケのダイナミクスは絶妙にコントロールされていました。
歌手陣は初日のご批評と同じ印象で素晴らしかったです。ジークリンデは初日から更に化けたかもというくらいの存在感がありました。
とはいえ、最終日のMVPは指揮の城谷正博氏と彼に共感して実力120%を出し切った東京交響楽団でした。

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