2021-06

2021・3・7(日)びわ湖ホールの「ローエングリン」2日目

      滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール  2時

 2日目になると、京都市響の音にもいっそうの膨らみ、密度の濃さ、といったものが出て来る。第1幕前奏曲からそれは目覚ましく、その頂点の個所は、昨日の演奏におけるよりも、はるかに輝かしかった。

 だが昨日よりオーケストラの鳴りがよくなっただけ、舞台奥の合唱団(びわ湖ホール声楽アンサンブル)は分が悪くなる。全員がマスクをしている所為もあり、男声合唱の人数も30人そこそこだから、これでザクセン軍とブラバント軍の連合軍を形成するのは少々苦しかろう。最善を尽くしていたことは確かだが、群集の量感という点では如何ともし難いものがあった。
 ただ、女声合唱のパートはもともと抒情的な要素が強いから、たとえば結婚行進曲のような個所では最良の歌を聴かせていた。

 ソロ歌手陣の今日の配役は、小原啓楼(ローエングリン)、木下美穂子(エルザ)、黒田博(フリードリヒ・フォン・テルラムント)、八木寿子(オルトルート)、斉木健司(ドイツ王ハインリヒ)、大西宇宙(布告官)、ほか。
 昨日の組とは歌も演技もかなり異なるので、それがなかなか面白い。

 エルザの木下美穂子は終始伸びのある美しい声で、率直な性格の公女といったエルザを描き出した。オルトルートの八木寿子も、あまり悪女的な雰囲気ではないものの、「2人の女の対決」シーンを含め、ここぞという個所で敵役としての迫力を発揮した。
 フリードリヒの黒田博は力のこもった歌唱と演技で、所謂悪役ではない、それなりの信念を持った告発者、といった感の堂々たる存在感である。
 ハインリヒ役の斉木健司は、声が若々しいので、壮年のドイツ王ともいうべき雰囲気だろう。布告官は昨日と同じ大西宇宙だが、同じ快調な歌唱ながら、今日の方が若干ニュアンスの変化を感じさせたと思われる。

 小原啓楼のローエングリンはかなり風変わりで、音楽の上でも演技の上でも昨日の福井敬とは対極の存在というべく、終始打ち沈んだ雰囲気の、寡黙で内向的な白鳥の騎士━━といったイメージを受ける。粘着的な歌い方に加え、ソットヴォーチェを多用するので、声が聞こえなくなることも屡々であった。これほど昂揚感を否定したようなローエングリン表現は、これまで聴いたことがない。彼は、3年前の東京二期会での上演(→2018年2月25日)の時にはそんな歌い方をしていなかったはずだが…。
 そのため、ドラマとしての緊張感が失われる傾向もあり、これは沼尻竜典の採る遅めの━━いや、総じて遅すぎる印象もあった━━テンポにより、いっそう助長された感がある。

 なお、第2幕最後の個所と、第3幕の場面転換の個所における金管のバンダは、客席最前方の上手側と下手側に配置され、これはステージ上のオーケストラと適切なバランス感を出して、成功していた。

 演技は、明らかに昨日の組の方が細かく、観客にも解り易かった。もともと象徴的なものにとどめられていたから、特にあれこれ言っても始まらないだろうが、せっかくのセミ・ステージゆえに、今日のそれについて少々言わせてもらえば━━
 ハインリヒ王は、ローエングリンとテルラムントとの決闘開始の合図を明確に行なうべきだろう、昨日の妻屋秀和のように。
 ローエングリンは、第3幕でフリードリヒを斃す瞬間には、やはりもっと解り易い身振りをするべきだろう、昨日の福井敬が剣を突き出すジェスチュアをしたように。

 第2幕の最後、「禁問の動機」が轟く個所では、やはりト書きにあるように、オルトルートは威嚇的な身振りをし、エルザも振り向いて慄く表情をするべきではないのか。これは昨日の組にも言えたことで、演出家の問題だ。
 ただ今日は、彼女への威嚇的な身振りをしたのがオルトルートでなく、テルラムントだったのは、黒田さんの自主的なアイディアだろうか。これはワーグナーの初期のアイディアに近い方法なので、ある意味では興味深い。

 終演は6時35分。目出度く完結した今年のびわ湖ホールのワーグナー、祝着である。音楽の面における沼尻竜典・芸術監督の手腕を讃えたい。来年は「パルジファル」だそうである。

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