2021-06

2021・2・26(金)阪哲朗指揮山形交響楽団

       やまぎん県民ホール  7時

 新日本フィルとのモーツァルトのシンフォニー、びわ湖ホールでの「魔笛」など、最近阪哲朗の指揮を聴いた人たちが、彼の丁寧な仕事ぶりと、音楽の素晴らしさを絶賛している。その両方とも私は聴いていなかったので、ならばと山形まで聴きに行ってみた。
 幸い山形新幹線も復旧しており━━とはいっても間引き運転で、かなり停車駅も多いため、通常よりも30分近く時間が余計にかかる。

 今日のコンサートは「ベートーヴェン生誕250年記念特別公演」で、第1部にニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ヨハン・シュトラウス2世の「アンネン・ポルカ」とワルツ「ウィーン気質」、その間に彼とヨーゼフ・シュトラウス合作の「ピッツィカート・ポルカ」が演奏され、第2部ではベートーヴェンの「英雄交響曲」が演奏された。コンサートマスターは高橋和貴。

 阪哲朗の指揮は、もう20年以上にわたり聴いているが、今日の演奏を聴くと、その本領がいよいよ最良の形で発揮されはじめて来たように思う。
 「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲では、特に序奏の部分をはじめとして、素晴らしいハーモニーの移ろいが繰り返されるが、そこでの阪哲朗の指揮が、何と念入りで美しく、神秘的な雰囲気をよく描き出していること! 

 そしてまた、ウィンナ・ワルツとポルカでの演奏も予想以上の見事さで、特にワルツでの腰をくねらせるような独特の表情と甘い音色は驚くばかり。私は日本のオーケストラが手掛けたウィンナ・ワルツで、これほど艶やかな表情の演奏は聴いたことがない、と言っても決して誇張にはならないだろう。阪が山響をよくここまで仕込んだものだと感心させられるし、また山響もよくここまでやったものだと舌を巻く。
 彼らのいい仕事ぶりを日本の音楽界にもっと知ってもらいたいと願わずにはいられない。今日はCURTAIN CALLによりyou tubeでナマ配信されていたというから、いくらかでも他県の人々にも視てもらえたろうか。

 だがしかし、━━褒めてばかりもいられない。その第1部での演奏にエネルギーを使い果たしたわけでもあるまいが、第2部の「英雄交響曲」では、いくつかの点で息切れを感じさせたところがあったのだ。
 もちろん、阪哲朗のコンセプトと、それに応える山響の演奏の姿勢そのものには確固たる信念が聴き取れたし、音楽づくり全体としても決して悪いものではなかった。ただ、今回は敢えて言わせてもらうが、ホルン群の著しい不調が、折角の熱演の足を引っ張り、演奏の緊張感を失わせる結果を生んでしまったのだ。

 一度や二度のミスなら、人間のやることだからと言って見過すこともできようが、全曲にわたって、のべつ3本ともふらふらしていてはどうしようもない。第3楽章のトリオの個所など、言っちゃなんだが、いまどきプロオーケストラではあり得ないような演奏である。
 何が原因なのだか、私ごときがあれこれ口を出す立場にはないが、もし楽器へのこだわりがあるのなら、それよりも正確で真摯な演奏をして、作曲者及び聴衆への責任を果たすことの方が重要だと思うのだが如何。

 30年近く山響を聴き続けて来た私に言わせてもらいたい。今日の山響の演奏には、今の同楽団のいいところと悪いところとが、両極端の形で顕れていたように思う。山響が踏み出そうとしている新しいステップへの、これは一種の試練と言うべきか。

※you tubeで視聴できるCURTAIN CALLには、阪哲朗指揮山響のベートーヴェンの交響曲のライヴがいくつか載っている。これらはすべて、素晴らしい演奏である。

コメント

シュトラウス一家の曲をコンサートで聞く機会は少ないですが1/21日、ザシンフォニーホール、飯森/日本センチュリ‐響では前半にリゲティ、バルトークヴァイオリン協奏曲2番、後半にシュトラウスのポルカ、ワルツが趣向を凝らして演奏され楽しめた。
演奏はアンサンブル的にはいい出来だったと思うがオケの音色がやや中性的で最後の「美しき青きドナウ」で少しうんざりした。こういう曲、日本のオケの弱点?
たまにはプログラム的に最初に重い曲を入れて後半を軽めにするのもいいのかも。ブロムシュテットがN響でそういうプログラムを組んでいたが。演奏者にも聞きてにも疲れない方向で。

 山響はコロナ禍の中、ブラボータオルなるものを作って、売って、聴衆の一部が演奏後、それを振っている、という話を聞きます。東条先生のお聴きになった、この演奏会ではどうだったのでしょうか。
 最近、首都圏や関西でも、これを真似ているのか、演奏後、ブラボーと書いた紙を掲げる人、もしくはそれをもっていきなり立ち上がる人を見かけます(主に高齢者)。ご本人たちは、サービスや善意と思ってやっているのでしょうし、一部には、嬉しいと思う演奏家の方もおられるのでしょう。
 だが、果たして、野球場やサッカー場、ロックコンサートのような、この行動が本当に良いことなのか。単純に見ても、こうした聴衆が演奏者よりも目立ってしまい、どうも場違いな感じのことが多いようです。
 大阪交響楽団のHPの、団員のスミコフスキーさんのインタビューの記事には「日本のお客様は大好きです。‥でももう少し音楽に厳しくなって欲しい。日本の聴衆は優しいですね。」とあります。
 タオルやパネルを掲げる方々の行動は、スミコフスキーさんや今回の東条先生のコメントの意味する想いとは、かなりかけ離れたもののように思うのです。スミコフスキーさんのおっしゃる「(もう少し)音楽に厳しく」、この言葉の意味することをいかにしっかり捉え、考えるかが今後の日本のクラシックには(もちろん、山響も入りますが。)大切なことだと思います。

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