2021-06

2021・2・18(木)東京二期会「タンホイザー」2日目

        東京文化会館大ホール  2時

 2日目になると、オーケストラも一層安定して来る。たとえば第2幕のエンディングの音の構築ひとつとっても、厳然として見事なものがあった。ただ、昨日は昨日で一種の緊張感というか、熱気のようなものもあったのだが、今日は全体に落ち着きすぎていたか? 

 しかしいずれにせよ、ワーグナー上演で、この読響が起用されたのは正解であった。編成は縮小されていたにせよ、オーケストラの均衡や響きの安定という点で、その演奏に誠実さが感じられる。
 どの楽団とは言いませんが、新国立劇場のピットに入るオーケストラも、せめていくらかでもこれに近い水準の演奏をしてくれれば、日本のオペラ上演の水準ももっと上がるだろうに、と思う。

 さて、ダブルキャストの今日の歌手陣は、芹澤佳通(タンホイザー)、竹多倫子(エリーザベト)、池田香織(ヴェーヌス)、清水勇磨(ヴォルフラム)、長谷川顯(領主ヘルマン)、高野二郎(ヴァルター)、近藤圭(ビーテロルフ)、高柳圭(ハインリヒ)、金子慧一(ラインマル)、牧野元美(牧童)他の顔ぶれ。

 配役が異なると、同じ演出でもステージの雰囲気がかなり違って来るというのは当然の成り行きである。今回もその例に漏れなかったが、しかしそれ以上に━━ヴェーヌス役の池田香織を除けば、昨日の組より今日の組は、歌唱も演技も何となく地味で、観客に訴えかけて来るものが少々希薄に感じられた印象は否めまい。
 つまり、オーケストラともども、昨日に比べ、やや「熱気の足りない」上演だったようにも感じられたのだ。お客さんの拍手も、それほど熱狂的ではなかったような気も━━。

 題名役の芹澤佳通は、歌い方があまりドイツオペラのヘルデン・テナー的ではないような気もするが、これは今後の精進を待つとしたい。だが、演技にはタンホイザーという人格の複雑さをもっと出すように工夫していただきたいものだ。そうでないと、単なる「声のいい人形」になってしまうだろう。昨日の片寄純也はその点、歌い方には八方破れのものもあるが、ステージ上の雰囲気においては、やはりベテランだったな、と思う。

 一方、エリーザベト役の竹多倫子は、登場歌たる「歌の殿堂」の冒頭でちょっとイタリアオペラ的な身振りを示し、ヒヤリとさせられたが、そのあとはあまり無意味に手を拡げたりしない姿勢に安定したので一安心。声の伸びもいいし、今後の活躍が期待できよう。第2幕で一同を制止する際の演技などは、まだこれからというところか。

 ヴェーヌス役の池田香織は、この演出の範囲ではまず異論のない出来と思われるが、いつもほどの闊達さが感じられず、ちょっと窮屈そうな演技になっていたようにも感じられた。だが、歌唱がしっかりしているので、やはり今日のステージでは最も安定していた人と言えよう。

 清水勇磨のヴォルフラムには、この役が重要なゆえに、些か異議を申し立てたい。この役にはそもそも、エリーザベトへの思慕を抱きながらそれを押し殺し、彼女を親友タンホイザーに譲るという高貴な諦念と苦悩とが織り込まれているはずなのだが━━昨日の大沼徹はそれを巧みに表現していた━━今日のヴォルフラムではその苦悩が全く描かれておらず、特に第2幕の最初の場面など、ただエリーザベトからフラれて怒っているだけの、がさつな男にしか見えなかったのである。これは解釈の全くの誤りである。
 第3幕でタンホイザーを詰問する場面でも、彼を見ずに客席の方(指揮者の方か?)を見ながら歌っていたのも、ワーグナーのオペラのスタイルに反するだろう。こういう脇役の動きが、ステージの緩みの大きな要因となるのだから。

 その他、ヴァルトブルクの騎士たちも、一癖ありそうなツワモノが揃っていた昨日に比べ、今日は何か、不思議におとなしかった。
 ただし脇役でも、牧童役の牧野元美は、出番は少ないけれども、いい演技を見せていた。ヴェーヌスベルクに登場する6人のダンサーたちと、その他一部の助演者たちも、見事にそれぞれの役割を果たしていた。

 なおラストシーン、昨日は音楽に気を取られていてあまりはっきり見なかったのだが、最後にタンホイザーが「救済される」シーンでケージの中を上がって行くと、上から身を逆さまにしたエリーザベトが下がって来るという、少々グロテスクで不気味な光景があった。その前に彼女が縊死している光景を背景に見せていたことと併せ、やはり今の欧州の演出家たちのやりそうなことではある。もっとも、ドイツあたりで行われている演出には、実際はもっと遥かにえげつなく、グロテスクなものが多くて、辟易させられるのだけれど。

コメント

キース・ウォーナー演出二期会タンホイザー

いつも興味深く拝読しております。ところで、今回の演出では、エリーザベトは自死をしたので天国には行けないのではないかと思います。そうすると、最後の場面は、ローマ教皇から救済を得られなかったタンホイザーもろとも地獄への道連れということになるのでしょうか。宗教を持たない者として理解が浅くすみません。

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