2021-06

2021・2・13(土)尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

     フェスティバルホール  3時

 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第24番ハ短調」とブルックナーの「交響曲第9番ニ短調」を組み合わせたプログラム。15日に予定されていた東京公演が流れたので、大阪での定期演奏会(2日目)を聴きに行く。

 「9番」は最近流行りの(?)コールス校訂版での演奏だが、補訂完成版の第4楽章のほうは、賢明にも省かれていた。そもそも、永遠なるものを感じさせるこの第3楽章のあとに、なにが必要だというのだろう。

 弦16型編成で轟くブルックナーのシンフォニーはさすがに壮大無類である。しかも尾高と大フィルが全力を挙げた演奏により、第1楽章の終結部や第2楽章のスケルツォの頂点、第3楽章の昂揚個所などでは、怒涛の如き魔性の世界が形づくられていた。物凄い曲だこれは、と感じさせるナマ演奏は決して多くはないが、今日はその数少ない幸せな60分だったと言って過言ではない。

 ホルンとワーグナーテューバも快調であった。たった1ヵ所、第1楽章コーダに入る少し前(509小節)のトランペットの音の大きさには少々納得の行かぬものを感じたが━━ついでにもうひとつ、第3楽章の終結近くのフルートにはオヤと思わされた所があるのだが、これは私の聴き違いかもしれない。

 この透徹した、恐怖の白夜ともいうべき雰囲気の、ブルックナーがどこか異次元の世界に踏み込んでしまった感さえある「9番」に先立ち、これも白々とした静謐な「ハ短調コンチェルト」を置いた選曲は秀逸であった。この曲での大阪フィルの弦(コンサートマスターは崔文洙)のしっとりした響きも見事だったが、当初予定のアンヌ・ケフェレックに替わり登場した北村朋幹のソロもまた美しい静謐さにあふれ、両者相まってモーツァルトの「叙情の凄味」を描き出した。
 そして何より、この2曲における対称的なもの、あるいは相似形的なものという特徴を巧みに関連づけ、プログラミングの妙を示した尾高の指揮を讃えたい。

コメント

堪能させていただきました。

やむを得ない事情があり、11日から14日にかけて関西に滞在。その機会を利用して、11日にフランチェスコ・メーリ(びわ湖ホール)、13日に大フィル、14日に関西フィル(いずみホール)を拝聴しました(それにしてもメーリは凄かった!)。

というわけで、大フィル定期ですが、前半の北村さんのハ短調は、とても端正な演奏。若いのだから、もっと冒険してほしい(はじけてほしい!?)と少し思いましたが、このあたりは先日ガヴリーロフの実演(ニ短調)に接したことの後遺症かもしれません(笑)。後半のブルックナーでは(今では貴重な)総勢89名の大編成による重厚なオーケストラの響きを堪能させていただきました。

それにしても大フィル東京公演が中止になったのは残念でしたね。大フィル東京公演と言えば、思い出すのは今は亡き朝比奈先生の頃、「東京の音楽市場に殴り込み」的な雰囲気があり(笑)、聴衆も含め一種異様な緊張感・熱さを感じさせるコンサートとなることが通例で、それをまた音楽ファンは楽しみにしていたものです。今でも地方オケの東京公演は熱演となることが多いですが、大フィルもかつてとは少し異なる、さらに完成度の高い名演を聴かせてくれたことでしょう。

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