2021-06

2021・2・9(火)新国立劇場「フィガロの結婚」2日目

      新国立劇場オペラパレス  4時30分

 白い箱型の舞台で演じられる、アンドレアス・ホモキ演出、フランク・フィリップ・シュレスマン舞台美術によるおなじみのプロダクション。2003年10月にプレミエされて以来、2005年、2007年、2010年、2013年、2017年と上演されて来た。

 今回の指揮は沼尻竜典、キャストは以下の通り━━ヴィート・プリアンテ(アルマヴィーヴァ伯爵)、大隅智加子(伯爵夫人)、ダリオ・ソラーリ(フィガロ)、臼木あい(スザンナ)、脇園彩(ケルビーノ)、妻屋秀和(バルトロ)、竹本節子(マルチェリーナ)、青地英幸(バジリオ)、吉原圭子(バルバリーナ)、糸賀修平(ドン・クルツィオ)、大久保光哉(アントーニオ)。東京交響楽団と新国立劇場合唱団。演奏者は当初の予定から一部変更になっている。

 このプロダクション、プレミエの際に観た時は、本当に魅了されたものだ。私が観たのは10月12日のマチネーだったが、当時はまだこのブログを開設していなかった。その時の日記をここに引用すると━━

 ノヴォラツスキー芸術監督体制の第1弾、注目の公演は大成功。新国立劇場オリジナル制作プロダクションで、かつてこれほど指揮(ウルフ・シルマー)、歌手陣、演出(アンドレアス・ホモキ)、装置、照明、オーケストラ(東フィル)のバランスの整ったものはなかった。スザンナを歌った中島彰子、マルチェリーナの小山由美も外国勢に劣らずすばらしい。どこか外国の、たとえばザルツブルク祝祭小劇場で観ているような錯覚まで起こさせる上演である。それにしても、開場以来6年、この作品が取り上げられるのはこれが初めてというのは、いかにレパートリーが偏っていたかの証拠だろう。

 ━━雑な書き方ながら、とにかくあの時はそう感じたものだ。それ以降に観た日記はこのブログの2005年4月9日2010年10月13日2013年10月29日2017年4月20日の項にある。

 何か再演ごとにだんだん感銘が薄れて来ている様子が窺えるのは、必ずしも私の勝手な好みや主観によるものではないように思われる。演出に鮮度が感じられなくなってきたのは、それが旧いからでなく、再演を重ねるごとに、ドラマとしての演技が緩んで来たからではなかろうか? このホモキ演出のように、微細な演技が綿密に組み合わされた舞台は、再演演出家と出演者たちがよほど理解しあって稽古を重ねないと、その小さな破綻でさえ目立ってしまうだろう。
 今回は、残念ながら、それがいっそう気になった。

 そのほかにも例えばオーケストラの音が明晰さに不足する━━モーツァルトの小編成のオケなら、ピットはもっと欧米の歌劇場のように高くするべきだろう━━とか、ある歌手が「出」を間違えるとか、歌手たちの演技が何となくチグハグで演出のコンセプトに溶け込んでいないとか、いろいろあるけれども、それより何より、全体として、不思議に冷めた雰囲気が、舞台に、併せて演奏にも漂っていたのである。
 一所懸命やっていた人たちには申し訳ない言い方になるが、こんなに燃えない、白々とした感の「フィガロの結婚」に接したのは初めてだ。せめてオーケストラの演奏に活気があれば、まだよかったのだが━━。

 コロナ禍が私たちに強いたソーシャル・ディスタンスが生んだ人間関係のよそよそしさは、この作品のようなヒューマンなオペラの上演においては、普通以上に非情なほどに顕れて来るのかもしれない。

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