2021-06

2020・11・8(日)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会

       ミューザ川崎シンフォニーホール  5時

 多分無理では━━と一時は思われていたウィーン・フィルが、本当に来日した。
 麒麟が来た、動物園にゾウが来た、などいろいろ面白い比喩を口にしていた人もいる。だがその一方、何故ウィーン・フィルだけが特別扱いなのだ、と激怒している人もいるようだ。何かにつけて怒り出す人が多いようだが、こんなところでマイナス面を取り上げて怒ってみても意味はない。物事は一つ一つ解決して行かねばならないのである。

 満席の大ホールの客席を見るのはいつ以来か。2千近い数の客席がぎっしりと詰まっている━━もちろん所々に一つか二つ、欠席客によるカラの椅子もあったが━━光景は壮観で、久しぶりに見ると、何か気圧されるような感に襲われる。感染症対策を充分に行いつつ、だんだんと通常の状態に復帰して行ければ、それに越したことはないのだが。

 さてそのウィーン・フィル、今回の指揮はワレリー・ゲルギエフ。2004年以来16年ぶりの組み合わせである。
 北九州、大阪に次ぐ今日は3日目の公演で、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」から4曲、同じく「ピアノ協奏曲第2番」(ソリストはデニス・マツーエフ)、後半にチャイコフスキーの「悲愴交響曲」というプログラム。
 アンコールはチャイコフスキーの「眠りの森の美女」からの「パノラマ」。なおマツーエフのソロ・アンコールは、チャイコフスキーの「四季」から「秋の歌」だった。

 オーケストラの曲目はすべてロシアの作品ばかりだったので、ウィーン・フィルの音も総じて野性的な色合いを濃くしていたが、それでも「ピアノ協奏曲」でのオーケストラは豪壮な力感の裡にもあたたか味を感じさせていたし、就中「悲愴交響曲」の第3楽章後半から終楽章にかけてはやはりウィーン・フィルだな、と感じさせるような凄味が、特に弦楽器群には漲っていたように思う。

 とはいえ・・・・今回のこのゲルギエフとウィーン・フィルによる「悲愴」、ダイナミックな勢いこそ充分だったものの、かつて2004年秋にロシアのテロ事件の犠牲者と新潟県中越地震の犠牲者を追悼して彼らが日本で演奏した時の痛切な慟哭にみちた、聴き手に涙させるような「悲愴」には、残念ながら比すべくもないようだ━━まあ、あの時は異常な状況下にあったわけだから、比べるのは野暮というものだが・・・・。

 デニス・マツーエフは、また一回り体躯が大きくなった印象で、演奏もさらに鮮やかだ。長いカデンツァをはじめ、これだけ激しく豪快な演奏を繰り広げながらも、音色が透明で綺麗なのには感心する。最後の最強音を叩きつけた勢いでそのまま立ち上がってしまうのも、以前に変わらない迫力だ。だが、ソロ・アンコールで弾いたチャイコフスキーの「秋の歌」での、ショパンとまがうばかりの叙情美は魅力的であった。

 それにしても、「来日オーケストラ」を聴いたのは、今年1月のサロネン&フィルハーモニア管弦楽団以来だ。月並みな表現だが、久しぶりに聴く外国の超一流オケは━━やはり凄い。
 外国勢が来ない間、私は日本のオーケストラを応援しつつ各地のオケを聴き歩いていた。こういう時にこそ日本のオケは意地を見せるべきだったが、今から思えば、必ずしもその意気を示したオーケストラばかりではなかったし、また、それを感じさせる演奏が多かったとは言い難いのが残念である。・・・・やはり外国からの刺激は不可欠なのだろう。

コメント

大阪で拝聴しました!

ウィーンフィルが!目の前に!もうそれだけで目がウルウルでした。よくぞ来日してくださった!と感謝でいっぱいです。待望の大阪公演は、ダブルソリストでした。いぶし銀の堤剛さんのチェロ、爆発的なデニス・マツーエフさんのピアノ、どちらも素晴らしい演奏でした。「悲愴」も素晴らしかった。最高峰のオケと最高峰の指揮者の融合という芸術は、感動的でした。何より、このコロナ禍でのツアーは、クラシック業界だけでなく、日本だけでなく、世界中の希望の光になると思います。演奏を拝聴して、確信しました。ウィーンフィルはその自覚を持って来日してくださいました。これが突破口になりますように!

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