2021-06

2020・10・9(金)飯守泰次郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団

     サントリーホール  7時

 日本フィルの10月定期。
 予定されていたラザレフの指揮するリムスキー=コルサコフの「金鶏」組曲や「ピアノ協奏曲」、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」という濃密なプログラムが聴けなかったのは痛恨の極みである。代わって飯守泰次郎が代役に迎えられ、シューベルトの「未完成交響曲」と、福間洸太朗のソロ(彼は当初の予定通り)によるブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」とが演奏された。もちろん、これはこれでいい。
 コンサートマスターは扇谷泰朋。

 「未完成」は近年の飯守らしくアクセントの強い、ダイナミックな構築性を前面に押し出したスタイルによる演奏。それは言うまでもなく、この交響曲の解釈として、現代の風潮に沿ったものだ。
 その演奏に心を委ねながら、ずっと昔に初めてこの曲を聴いた頃のロマンティックな嫋々たるスタイルの演奏とは随分変わったものだなあ、などということを何となく思い返していた(この曲には、そういうノスタルジーを感じさせる要素がある)。もちろん私も、この曲の場合は、今日のような毅然たる構築の演奏の方が好きである。
 ただし、それはいいのだが、今日の演奏、オーケストラは少々荒っぽくて、最強音では美しさに不足した。日本フィルの定期の初日は、以前から大抵こういう演奏になる。

 ブラームスのコンチェルトの方は、第1楽章のいくつかの部分でオーケストラの響きの密度の薄さが不満を残したものの、飯守得意のドイツ音楽レパートリーだけあって、表情にも陰影の豊かさが感じられ、ブラームスらしい雰囲気を充分に生み出していたと言えよう。
 だがソリストの演奏のほうは、速いテンポの時にはともかく、沈潜した遅いテンポの個所では、もっと心から湧き出る情感といったものが欲しい。あまりに素っ気なくて、表情に乏しいのである。当初予定のリムスキー=コルサコフのコンチェルトだったら、これでも何とかなっていたかもしれないが。

コメント

私も同じ日に聴きました。東条先生と同じように、私も強奏のときの音の汚さや全体的なアンサンブルの緩さを感じました。日本フィルは存続の危機を訴え、聴衆に募金を呼びかけていますが(私も募金と、中止になった演奏会の払い戻しの辞退に応じていますが)、その聴衆の気持ちに演奏が応えていないような気がしました。何かそんな演奏と聴衆の気持ちとのちぐはぐさを感じました。

同じ日に聴きました。
未完成の一楽章は低弦がすばらしく全体として名演と感じましたが、ホルンがギリギリの強奏は効果を上げていましたが、ファゴットがとても弱く消極的かつピッチが今ひとつなのでハーモニーの変化が曖昧になったのは残念。二楽章は期待したのですが肝心のクラリネット、オーボエの力量が不足しているのか音の出が遅れたり、一本調子だったりの残念な出来で興を削がれました。
ピアノコンチェルトでは、ソリストは頑張って指は回っていましたが曲の格に負けていたと感じました。こんな曲ですから致し方無しとは思いますが。

いつもの1階中央で2日目を聞きましたが、日フィルはそれなりにがんばっていたと思います。もっとも、飯守さんの指揮がどうかという思いはありました。福間君のピアノももっと評価されていいように思います。第3楽章とアンコールの間奏曲はとてもよかったです。
それより、1席おきをやめたのに、半分程度の入で、この先が心配です。

追記と補足です
こんな曲ですから致し方なし という意味は、ピアニスト泣かせのとんでもなく構えの大きな若書きの難曲かつ名曲という意味です。

いろいろ残念なところはあったものの、日フィルは飯守さんの音楽に必死についていこうという意欲は感じ、全体としては良いコンサートでした。未完成の一楽章は本当に感動しました。未完成の木管に力のある若手が配置されていれば良かったのにと悔やまれます。福間さんも曲の格に負けてはいましたが誠実に健闘していて応援しながら聴いていました。

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