2021-06

2020・10・7(水)三ツ橋敬子指揮東京フィルハーモニー交響楽団

     松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール) 7時

 松本の島内にある音響の良いホール、ザ・ハーモニーホールの開館35周年を記念した「東京フィルハーモニー交響楽団特別演奏会」を聴きに行く。この30年近くの習慣で、年に1回は信州の空気を吸いたくなるのである。

 この名ホールはシューボックス型で、客席数は約700。入場者数はまだ50%に抑えられていたが、「座っていい列」は全てぎっしりと埋まっていた。今年は恒例名物の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」が中止になっていたので、このような大編成オーケストラの来演は、松本のお客さんには喜ばれたであろう。
 なお着席指定は市松模様でなく、1列おきに空席列を作る、というシステムで、これは私も初めて見た。

 当初はバッティストーニの指揮で予定されていたが、彼が来日不可能となったため、代わって三ツ橋敬子が指揮した。この代役は成功と言えたであろう。
 プログラムは変更なしで、ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲、武満徹の「系図」(語り手は下地尚子、アコーディオンは大田智美)、セシル・シャミナード(1857~1944)の「コンチェルティーノOp.107」(フルート・ソロは神田勇哉)、ベートーヴェンの「交響曲第5番《運命》」。

 今日の東京フィル、ベートーヴェンでは少々リハーサル不足のようにも感じられたものの、演奏自体は極めてノリが良かった。
 なにより三ツ橋敬子の指揮が実によく、東京フィルから活気と張りに満ちた胸のすくような音楽を引き出していたのである。率直で推進性に富み、聴き手を巻き込んでしまう。「ウィリアム・テル」での勢いの良さは目覚ましく、しかもその勢いが上滑りせずにエキサイティングな効果を生み出していたのが好ましい。

 「運命」は、さらに熱烈な演奏になった。両端楽章の提示部を反復せず(当節ではむしろ珍しいが)、速いイン・テンポで先へ先へと突進し、ひたすらこの曲の持つエネルギー性を追い求めるといった指揮である。第4楽章の冒頭とその再現部冒頭の第1主題では活力いっぱいに躍動し、また展開部の頂点で音楽を一度「締め括って」から第3楽章の回想に移るというあたりの設計の見事だったのにも感心した。若さいっぱいの痛快な「運命」である。

 ただしアンコールでのブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」は「運命」の余波が影響したかのように荒っぽく、しかもテンポの動かし方が不自然なので、プログラム本編における率直なエネルギー性やバランスの良いイン・テンポ感が殺がれたような印象になってしまい、これは聴かないほうがよかったな、とさえ思ったほどで━━。

 一方、前半2曲目での「系図」では、武満の甘美な色彩感や旋律美も率直に再現されていて、快い世界が再現されていた。語り手のためにはPAが使われたが、ナレーションが一部オーケストラに消されて聞き取れないところがあった。もっともあのPAの音量はあれ以上に上げるとワンワン響き過ぎるだろうし、難しいところだろう。まつもと市民芸術館を本拠とする劇団「TCアルプ」の女優・下地尚子のナレーションは落ち着いた「おとなの」雰囲気のものである。

 シャミナードの「コンチェルティーノ」は、何度聴いてもあの團伊玖磨の「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」にそっくりで可笑しくなるのだが、三ツ橋指揮の東京フィルの演奏は極めて瑞々しく、武満作品と同様、このホールの規模には最適の響きがつくり出されたと言っていいだろう。神田勇哉(彼も松本市出身だとか)のソロは鮮やか。彼のソロ・アンコールの「シランクス」は速めのテンポで演奏された。

 9時終演。外はかなり激しい雨で、さすが信州の夜、空気はいいが、寒い。主催者側が用意しておいてくれたタクシーで宿泊先のリッチモンド・ホテルへ戻る。

コメント

このあと行われる東京フィル10月定期で、チョン・ミュンフンの代役を務めるのが彼の息子のチョン・ミンです。曲は松本と同じ「運命」。例えば、三ツ橋さんがこのまま定期に出るのは、どうしてダメなんでしょうか。著名指揮者の息子というだけで、わざわざ外国のから無名の若手を呼んでチャンスを与えるのは納得できません。大マエストロに恩を売るために日本の若手のチャンスを奪いますか。

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