2009-11

12・22(月)ノイエンフェルス演出 モーツァルト:「魔笛」

  ベルリン・コーミッシェ・オーパー

 2年前の11月にプレミエされたこの「魔笛」を観て、カンカンになった知人がいる。
 ノイエンフェルスの演出だし、またザルツブルク音楽祭での「コジ・ファン・トゥッテ」に似た変なことをやったのかな、とその時は思ったが、以前シュトゥットガルトで観た彼の「ドン・ジョヴァンニ」は意外に面白かったので、それなら一つ、とやって来た次第。まあ、カンカンにはならなかったけれど、なるほどこれでは、と思ったのも事実だ。

 要は、シカネーダーの台本のうちのセリフの部分を、ノイエンフェルス自身がほとんど全部書き換えてしまい、マリー・ルイーズ、フランツ、クサーヴァーという3人の人物を新たに狂言回し的役割としてこしらえ、彼らをして登場人物たちに指示させたり助言させたり、時にはそのセリフをそっくり代わって喋らせたり、原作には無い話もさせたりする、といったものなのである。

 このような狂言回し役を追加する手法そのものは、悪いものではない。特に「魔笛」の場合にはオリジナルの筋書におかしな所が山ほどあるから、それを一度突き放して――音楽はそのままにしておいて――再構成してみるという発想は、充分成立し得るだろう。

 たとえば第2幕冒頭でのザラストロと僧たちの会話は、前述の3人により行われる。特にマリー・ルイーズ(エリーザベト・トリッセンナールという人が演じていた)は物語全体を仕切り、その出番は他のいかなる主役よりも多い。どちらかといえばザラストロ寄りの立場で行動し、彼から「わが娘よ」と言われて嬉し涙を流すという場面もある。

 ノイエンフェルスが作ったセリフはプログラムに掲載されているので参考にはなるが、それを以てしても、演技に付加されたあれこれのニュアンスは理解しがたいところも少なくない。
 タミーノが猛獣狩りのハンターで、ザラストロはライオン3頭が付き添う車椅子に乗り・・・・などというのは意外に原作のト書と無関係でもないが、夜の女王は歌いながら自分の乳房をもぎ取ってたたきつけ、歌い終わると必ず失神して倒れ、パパゲーノの右手は皆が気持悪がる異形の手(?)・・・・だとなると、推測の域を出なくなる。

 モノスタトスがパミーナを氷柱にして鑑賞するくだりなどは深層心理の表現として解るが、一方、さほど意味の無いものとしか思えない個所もたくさんあるのだ。
 大詰めではパパゲーナが流産(?)してパパゲーノとともに失意に落込む。ザラストロも多分死んだのだろう。そのあと人々がワインのボトルとバゲット・パンを手にして祝う光景は、仮に宗教的儀式と解釈しても、それまでの物語の帰結として受け取るには、些か考える時間を要する。

 そんなこんなで、――パトリック・ランゲの指揮がまとまっていて、しかもオリジナルを歪めない演奏だったから最後まで我慢できたものの、何か上演がえらく長いものに思えてしまった。実際は7時開演の10時15分終演(休憩30分)であり、決してセリフ部分が長すぎるというほどでもないのだが。

 歌手たちは馴染みのない人ばかりだったが、夜の女王役のBurcu Uyar など極めてしっかりしており(ただし歌いながら変なことをいろいろやるので、こちらはそれに気を取られ、肝心の最高音も何となく聞き過ごしてしまう)、他の主役たちもみんな安定した歌いぶりであった。

 客は半分くらいの入り。家族連れも多い。こちらは拍手も遠慮し、一目散に逃げ出した。

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