2021-06

2020・7・25(土)東京響定期 ジョナサン・ノットが映像でリモート指揮

       サントリーホール  7時

 前半には、ストラヴィンスキーの「ハ調の交響曲」が、指揮者なし、コンサートマスターのグレブ・ニキティンの弾き振りで演奏された。
 これは予想以上にまとまりのよい出来。しかも整然と取り澄ましたような無表情な演奏どころか、それなりの闊達さと色彩感を備えたものだったところが嬉しい驚きである。

 休憩後の、ベートーヴェンの「英雄交響曲」━━こちらは、ジョナサン・ノットが映像出演で指揮するというのが話題だった。
 早い話が、ノットの送って来た指揮の録画映像を再生し、それに合わせてオーケストラが演奏するというシステムである。
 8型編成のオーケストラの中に大型のテレビ台を3台、上手側向き、下手側向き、ステージ後方向きに設置。楽員はそこに映し出されているジョナサン・ノットの指揮を見ながら演奏する。テレビ台はもう一つ、客席正面向きにも設置されているが、これは聴衆が彼の指揮を見て楽しむためのもの。 

 優れたオーケストラは、指揮者の棒にぶら下がって演奏するのではなく、指揮者のパーソナリティと、彼が創る音楽のイメージに反応して演奏するものだと言われている。従って東京響も、ノットの姿にインスパイアされ、かつ自発的に音楽をつくって行ったということになるだろう。
 虚心坦懐に聴く限り、例えば第1楽章コーダや、第2楽章中ほどのミノーレでの演奏の昂揚は目覚ましかったし、第4楽章中ほどでノットが猛然とテンポを煽るあたりでの盛り上がりなども、すこぶる聴き応えがあったと思う。

 欲を言えば、正面2階席で聴いた場合、直線上に大きなテレビ台が2基も設置されているためか、私の席(2列17番)からは正面に当るフルートの音がぼやけて聞こえる傾向があって(見えないせいではなかったと思う)、第4楽章の急速なソロなどが曖昧に聞こえたのも事実だが━━もっともこのあたりは、ノットのテンポにも妥協はなかったようである。 

 今回、ノットと東京響がこのシステムを使って演奏会を行なったのは、このステージが4回目であり、「英雄」は3回目に当たるはず。その間、実際の演奏にどのような変化があったかは、私は知らない。だが、たとえ1種類の映像に合わせて演奏したとしても、大勢の集団であるオーケストラなら、たぶん微妙にその都度演奏は異なったものになっていただろう。その点で、これはスタティックな方式だから1回の演奏にしか適用できないものだとかいう見解は当たらないだろうと思う。

 ノットは、指揮をしている間、自分の頭の中で音楽は鳴っていただろうが、その時に、実際の東京響の音は聴いていない。また、現場で東京響の反応に合わせて自分の指揮を調整して行くこともできなかったわけだろう。
 東京響とノットの間には、当然ながら企画段階でその問題が議論されたそうだが、その際にノットは「ベートーヴェンは《第9》初演の時、音楽は聞こえていなくても、指揮できたではないか」と言ったとか。なるほど、道理である。
 だがあえて上げ足を取らせていただくなら、ベートーヴェンには楽員たちの演奏する姿が見えていたはずだ。彼は実際の音は聞こえずとも、弦楽器奏者たちのボウイングなどに依って自分の音楽を「聴く」ことができた、というのがほぼ定説になっているのではなかろうか。

 しかし、いずれにせよ、これは大いなる実験として、興味深い試みではあった。
 演奏が終ると、ノットは画面の中でお辞儀したり、楽員を立たせるジェスチュアをしたり。ニキティンら楽員たちもそれに合わせて立ったり座ったりと、微笑ましくなるようなゲーム的なセレモニーも繰り広げられた。

 遥か昔のことだが、故・岩城宏之氏がベルリンからテレビ回線を利用して東京の合唱団をナマで指揮する、という計画を立てたことがある。それはもちろん電波の伝達速度などの技術的な理由で不可能となったが、彼がドイツ人の知人たちにそれを話したら、「そいつは実に面白いジョークだ」と爆笑されたそうである。
 結局それは、半世紀を過ぎた今日でも、未だにジョーク段階の状況に留まっていることになる。

 だが、いつの日かコンピューターで映像と音声の遠距離伝達の時間のずれが調整され、全く狂いが無くなる時代が来れば、ベルリンの指揮者と東京のオーケストラとがいとも簡単に協演できる、という手法も、技術的には可能になるだろう。ただ、両者の間に息の通った交流ができるかどうか、それを重要視するかどうか、その是非はまた別の問題になるが。

コメント

申し訳ありません。失礼をお許し願います。
7/23 フェスタサマーミューザKAWASKI2020 オープニングコンサートのプレトークにて東京交響楽団事務局長 辻 敏様のお話しの中(TIGETのアーカイブ映像で確認できます。)で、ジョナサン・ノット氏の指揮映像に基づく演奏については、リハーサル毎の音源をノット氏にリモートで聴いていただき、詳細なコメント(辻氏は山の様なダメ出しと呼ばれていたように記憶します)を貰い、演奏に反映していったそうです。辻氏は舞台上でノット氏からのコメントが記されたA4用紙6枚を持っていられました。コメントの内容も「このフレーズの、このスタッカートは、このように演奏して欲しい」等、相当微細・詳細ながらも音楽的に重要な事柄を多量に指摘している事がうかがえます。

肝心の指揮映像も、例えば1小節の各拍の長さが不均等で、1・2拍は3拍目は、いきなり長くなったりする等、指揮者が思い描く音楽を演奏者が理解できないと、映像に演奏を合わせることなど、出来なかった様です。

リモートであっても、指揮者とオーケストラとの間に濃密なコミュニケーションが交わされた様に思われます。

長文になってしまいました。何卒、御容赦願います。

高く評価します!

18日の東京オペラシティシリーズ(ドヴォルザーク8番他)と25日の昼公演(「英雄」他)双方を拝聴しました。

指揮者の録画映像に合わせて演奏するというスタイルについて、生身の指揮者を前に演奏するのとは全く異なる、あるいは、作品に対する冒涜である、といった厳しい批判も聞こえてまいりますが、小生は必ずしもそのような見方に与するものではありません。たとえば、もし今回の演奏が完全に指揮者なしで行われていたなら、どのような評価がなされていたでしょう。あまり否定的な意見はなく、むしろ美談として取り上げられる方が多かったのではないでしょうか(かつてはコレギウム・アウレウム合奏団という指揮者なしの団体が活躍していましたし、2007年には大フィルが大植英次さん急病のためブラームス4番をコンマスのリードのみで演奏したこともありました)。

そもそもプロのオケが演奏する場合、本番で指揮を見ることにかかっりきりということはなく、リハーサルで完成している演奏を、要所要所で指揮を確認する(あとは視界の中に指揮者の姿をとらえている)程度で再現しているのではないでしょうか。今回の2曲はいずれも最近ノット音楽監督が取り上げた曲であり、その解釈はオケの皆さんの記憶の中に明確に残っていたはず(それが今回の公演に向けた濃密なやりとりの中で鮮烈に蘇ったことでしょう)。かつての演奏を指揮者不在で再現する、その際に演奏の一助となるよう(コンマスの負担を軽減し、団員の皆さんがアインザッツを合わせることに過度に神経を使うことなく音楽表現に集中できるよう)指揮者の録画映像を流すというやり方について、(前衛的な現代音楽に精通しているノット音楽監督ならではの発想とはいえ)それを全否定するのはいかがなものかと感じる次第です。

それは、小生が今回の演奏をいつもと同様に(いつも以上に?)楽しむことができたということの裏返しでもあります。小生はドヴォルザークの方により深い感銘を受けたのですが、1~3楽章冒頭の美しさにはため息がでましたし、フィナーレ冒頭のトランペットソロの見事さも印象に残りました。少々失礼な表現をお許しいただくなら、小生はこれまでドヴォルザーク8番の実演に何回も接してきましたが、今回の映像指揮による演奏にとても及ばないレベルの指揮者付き演奏が決して少なくなかったようにも思うのです。

7月に入って、読響、神奈川フィルの公演も拝聴しましたが、個人的には、東響の演奏が一番印象に残っています。指揮映像による演奏、それが音楽監督との名演を忠実に再現するだけではなく、オケの団員の自発性をうまく刺激する結果となり、むしろプラスに転じた面もあったのかもしれません。もちろん、ノット音楽監督が、わりと本番ではオケを煽ったり、即興的な指揮をするタイプなので、そのようなスリリングな面白さを感じるまでには至らなかった点は否定できない。でも、小生としては、今回の(指揮映像による)演奏は高度な芸術表現として十分鑑賞に値するものであり、現在の状況下、なんとかして音楽監督との演奏を届けたいというオケの熱い思いを実現する、素晴らしい取り組みだったと思うのです。

ステージ上に大型ディスプレイが4台配置されたことについては、客席からの視覚・聴覚上の妨げとなった面が否めず、譜面台に小さなディスプレイを付けて各団員が映像を見るようにできないのか、とか、客席に向かう1台はなくてもよいのではないか、などと思いましたが、18日の終演後、ノット音楽監督の生映像が映し出されたところで、ああそういうことだったのか、と納得しました。今回の取り組みについて、あらたな演奏スタイルに果敢に挑戦された点(辻事務局長の「Symphony Lounge」は痛快な名文!)、そして、何よりも素晴らしい演奏を楽しむことができたという点で高く評価したいというのが小生の率直な印象です。浅学非才な身を顧みない僭越な文章かと存じますが、何卒ご容赦ください。

7月18日/7月25日昼 東京交響楽団

東条さんの6月28日付「日記」で、東京交響楽団が7月定期演奏会でノットのリモート指揮による演奏を行うことを教えていただき、7月18日と7月25日昼公演の再販売チケットを購入した。
映像による指揮を観ながらの演奏という実験的な試みに関心を持ったため。
当初は「果たして成立するのだろうか」と思ったが、実際に聴いてみると両公演とも、しっかり成立しており、ノットと東京交響楽団の高い信頼関係のなせる業だと感銘を受けた。
7月18日公演はライブ動画配信があり、一通りのカーテンコールが終わった辺りで、配信を聴いていたノット自身のライブ映像に切り替わり、グッドジョブといった仕草をしたり、聴衆に対して手を振ったりと和やかな雰囲気で終演した。
各公演の1曲目は指揮なし演奏で、それぞれブリテン、ストラヴィンスキーの未知の曲を知る貴重な機会となった。コンサートマスターたちの活躍をよく知ることができたのも良かった。
今回の公演を実現させるための、辻敏事務局長をはじめスタッフの皆さんの努力やノットの熱意が「Symphony」で紹介されており感動しつつ拝読した。どんな催し物も実現するまでには膨大な準備が必要である。そうした準備の積み重ねの上に本番を享受できていることに改めて感謝する気持ちになる一文。東京交響楽団のHPでも紹介されている。
http://tokyosymphony.jp/feature/interview14.html

コロナ禍の下、コンサート、バレエ、演劇、映画、美術展など、それぞれ主催者や会場管理者が政府や地方自治体の方針を踏まえ、関係団体によるガイドラインをもとに、医師の指導と併せるなど、神経質なほどの工夫をしての文化活動の再開を進めている。明るい気持ちになりつつあったところ、4連休最中の7月25日公演は、都知事の「『外出を控えよ』との警告が奏効」し、会場は空席が目立つ。会場定員の半分は入れても良いことになっているが、その上限には程遠い。前日鑑賞した新国立劇場のバレエ公演再開第1弾「竜宮」は親子連れで大盛況だったのに…。
本格的なオペラ公演については8月の藤原歌劇団「カルメン」、9月の二期会「フィデリオ」が再開のトップバッター。これらが順調に、成功裏に上演され、新国立劇場オペラの新シーズン開幕につながっていくことを祈りたい。
【補足】
サントリーホール発行の広報誌「Hibiki」でも「音楽を届ける仕事」という特集で、コンサートという場をつくる際の出演者以外の関係者の尽力を紹介していて興味深い。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/column/detail/hibiki_12.html

低遅延通信

“いつの日かコンピューターで映像と音声の遠距離伝達の時間のずれが調整され、全く狂いが無くなる時代、、、”
通信環境と機器がそれなりによければ、音声だけなら数メートル離れた音の遅延と同じくらいの遅延で数百キロ離れた人と合奏できるアプリがかなり前に開発済みで、最近スマホ版までリリースされたようですから、映像もいつの日かというほど先ではなく実現するように思います。とはいえそれより先にコロナが収束して世界中行き来できるようになってほしいですが。

読者さん達のコメント

たくさんの貴重なコメントを拝読し、とても勉強になりました。有難うございます。

小澤征爾の実験

昔、小澤征爾さんが元気だったころ、第9(合唱付き)のリモート演奏会をやった記憶があります。どういうしかけで同期をとったか、覚えていませんが。

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