2020-08

2020・7・23(木)飯守泰次郎指揮大阪フィルがブルックナーの「6番」

     フェスティバルホール(大阪) 3時

 スコアとパソコンと替えマスクをバッグに入れ、予定通り大阪へ向かう。品川駅までは自分のクルマ使用、新幹線はガラガラ、新大阪から中之島のフェスティバルホールまでは━━梅田の地下街の空気はこれまでの経験からして相性が悪いので━━奮発してタクシーを使用。
 「人にうつさず、うつされず」の策としてはこれが精一杯のところ。

 大阪フィルの7月定期演奏会には、当初予定のユベール・スダーンが来日不可能になったため、飯守泰次郎が登場した。関西フィルの常任指揮者を長く務め、現在はその桂冠名誉指揮者である彼が大フィルに客演するケースは珍しいのだろう。
 プログラムは変更されず、モーツァルトの「交響曲第35番《ハフナー》」と、ブルックナーの「交響曲第6番」のままだったから、これなら飯守を招いた意味も充分にある。

 「ハフナー」は、⒓型弦編成だったが、たっぷりとして厚みのある、悠然たるテンポで繰り広げられた。こういう演奏スタイルを採る指揮者は、最近では稀なる存在となったが、反時代的と言われようと何と言われようと、自らの信じるスタイルを頑として譲らぬ飯守の信念は立派だ。それがこの、「セレナード」から発展した「ハフナー交響曲」の性格に相応しい解釈かどうかは、また別の問題ではあるが。

 休憩後のブルックナーの「6番」は、何と、━━弦16型編成で演奏された。
 ステージ上の楽員の「密」を避けるため、楽器編成を縮小しての演奏会を余儀なくされている昨今のオーケストラ界にあって、このように平常時の如く16型でブルックナーをやることのできるオーケストラは、広いスペースのステージを持つホールを本拠としている大阪フィルくらいなものであろう。楽団側も、どうやらそれを売り物にし、誇示しているようである。

 このような大きな編成で並んだオーケストラを見るのは、実に久しぶりのような気がする。以前の平和な時代には慣れっこになっていたこの景観が、今は何と新鮮に、貴重なものに感じられることか。
 そして、第1楽章第25小節以降、3連音符のリズムに乗って4本のホルン、3本のトランペット、3本のトロンボーンと1本のバス・テューバからなる金管群を含む全管弦楽が最強奏で爆発した瞬間に沸き上がった、「ああ、久しぶりにブルックナーの音!」という、言葉に言い尽くせぬ感慨。

 それらは本当に、不思議なほど新鮮で、「良かった」のである。
 何だか独りで夢中になっているみたいだが、あとで聞いてみると、演奏しているオーケストラの側でも、それはやはり感慨深いものだったそうだ。飢えと渇望は、人間の精神に予想外のご利益をもたらしてくれるものらしい。

 そして、この「6番」は、いかにも飯守泰次郎の指揮ならではの、温かく柔らかい、人間味豊かな演奏で繰り広げられ、閉じられて行った。アンサンブルや細部の仕上げなどに関しては疑問がないわけではないが、それよりも今は、かように懐かしいブルックナーを聴かせてくれた飯守と大阪フィルに礼を言おう。両者の体質の違いにもかなり大きなものがあるようだが、それもこの際、棚上げにしておきたい。
 今日のコンサートマスターは須山暢大。

 なお飯守は、8月7日にも東京シティ・フィルハーモニックを指揮して、ブルックナーの「第4交響曲《ロマンティック》」を取り上げる(ミューザ川崎)。
 ブルックナーの「第6番」までの交響曲の━━響きはともかく楽器編成そのものは、ブラームスやチャイコフスキーの交響曲とそれほど大きく違わないのだから、「密」防止の状況にあっても、そろそろレパートリーに復活してもいいかもしれない。
 ただし驚いたことにそのシティ・フィルは、高関健の指揮で、8月12日にオペラシティで「第8番」を演奏するという。これは3管編成の木管群と8本のホルンを含む大編成の曲なのだから、当今、何ともアグレッシヴの極みだ。

コメント

7月に入って堰を切ったように演奏会再開ですね。飯盛さん2回目。読響も2回目。しかし、何故か小林研一郎さんと読響とのリポートは無し。 やはりご縁がないのでしょうね。

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