2020-07

2020・3・25(水)上原彩子ピアノ・リサイタル

      東京オペラシティ コンサートホール  7時

 久しぶりに上原彩子のリサイタルを聴く。モーツァルトとチャイコフスキーを組み合わせたプログラムで、かなり力を入れた取り組みだったであろう。あいにくこういう世の中で、お客の入りは必ずしも多くなかったけれど、演奏も力のこもったものだった。

 プログラムは、第1部がモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」に始まり、チャイコフスキーの「主題と変奏Op.19-6」および「四季」からの「ひばりの歌」と「舟歌」、モーツァルトの「ソナタK.332」。第2部がモーツァルトの「ソナタK.282」とチャイコフスキーの「グランド・ソナタ」。

 第1部では、チャイコフスキーの「変奏」のあとで客席の一部から拍手が起こり、第2部でもモーツァルトのあとで拍手が起こったが、彼女の真の狙いは第1部でも第2部でもそれぞれ切れ目なしに演奏するつもりではなかったのかと思うのだが━━拍手の都度立ち上がって答礼していたところからすると、真偽のほどは判らないけれど。

 しかし、「この2人の作曲家の違いを明確にする」(プログラム冊子での彼女のコメント)にせよ、私が感じたような「チャイコフスキーのモーツァルトに対する愛情と畏敬の念が浮き彫りにされる」にせよ、これらは各々切れ目なしに演奏された方が、いっそう効果的になったのではないかと思うのだが━━拍手の雰囲気からすると、お客さんの大多数もそう感じていたのではないだろうか。

 ともあれ、「キラキラ星」からチャイコフスキーに移るところなど、今回のように続けて演奏された場合、まるでいつどこで2人の作曲家が入れ替わったのか判らないくらいの近接性が証明されたようで、大いに面白かった。今更言うまでもないが、チャイコフスキーが「スペードの女王」の夜会の場にモーツァルト風の音楽を取り入れたり、また「モーツァルティアーナ」という曲を作曲したり、如何にこの作曲家を愛していたかは周知のことである。今日のプログラムは、それを改めて証明するに絶好のものだった。

 逆に第2部では、2つの個性の際立った違いが浮き彫りにされて、これはこれで面白い。もし「K.282」から切れ目なしに「グランド・ソナタ」に飛び込んでいたら、凄まじい衝撃を聴き手に与えたかもしれなかった。
 しかも彼女の演奏がこの第2部に入ると「乘って」来たように感じられたし。一般的なイメージなら、モーツァルトの明るさとチャイコフスキーの憂愁との対比━━となるところだろうが、今日の演奏ではモーツァルトの落ち着きに対してチャイコフスキーのそれは愁眉を開いたようなイメージを感じさせて、これまた興味深かった。
 それにしてもこの「K.282」での軽やかだが思索的な表情を滲ませた演奏、「グランド・ソナタ」の豪壮な構築の演奏は見事で、この2曲で彼女の本領が発揮されたと言っていいだろう。

 アンコールではチャイコフスキーの歌曲「なぜ Op.6-5」(彼女自身のピアノ編曲版)、モーツァルトの「トルコ行進曲付きソナタ」の第1楽章(第3楽章ではないところがニクイ)、チャイコフスキーの「悲歌Op.72-14」の3曲。これらも良かった。
 終演は9時半頃になった。

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