2021-06

2020・2・28(金)METライブビューイング「ヴォツェック」

     東劇  6時30分

 新型コロナ・ウィルスの所為で、29日に聴きに行こうと思っていたアルミンク指揮群響のマーラーの「復活」も、1日の神奈川県立音楽堂の「シッラ」も中止。そのあとも、ワシントン・ナショナル響をはじめ、国内各オーケストラの演奏会が軒並み中止。その上、この春これだけはと期待していたびわ湖ホールの「神々の黄昏」も、東京・春・音楽祭のムーティ指揮の「マクベス」も・・・・。
 われわれも落胆の極みだが、何年もかけて懸命に準備して来たであろう主催者たちの苦衷は、察するに余りある。

 そんな中、東劇でのオペラのライブビューイングは予定通りやっているということなので、観に行く。
 これは今年1月11日のMET上演のライヴ映像で、ウィリアム・ケントリッジの演出、ヤニック・ネゼ=セガンの指揮による注目のプロダクションだ。歌手陣はペーター・マッテイ(ヴォツェック)、エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(マリー)、クリストファー・ヴェントリス(鼓手長)、ゲルハルト・ジーゲル(大尉)、クリスチャン・ヴァン・ホーン(医者)他という顔ぶれ。

 このプロダクションに関しては、共同制作だったザルツブルク音楽祭での上演(☞2017年8月8日)の際に書いたので、委細は省略する。
 ここでの本当の主役はヴォツェックよりも、ドローイング・アニメの巨匠ケントリッジの━━それも「演出」というより舞台の景観なのではないか、と私には思われるのだが、「共同演出」としてLuc de Wit、舞台美術としてザビーネ・テウニッセンが名を連ねているので、どこまでが実際にケントリッジの手が及んだ部分なのかは判然としない。

 だがとにかく、このケントリッジの舞台は、どれが装置で、どれが映像なのか区別がつかぬほど混然としていて、それが刻々と変化するあたりのつくりの巧さは格別である。そしてこの混然たる舞台が、荒廃した世相や人物たちの精神を見事に象徴し、貧しい者たちを惨酷なまでに無造作に呑み込んで行く様子を描く。マリーの子供が異形の人形で描かれるところなど、あまりに無情過ぎるという感を抑えきれないが。

 ネゼ=セガンの指揮が素晴らしい。実のところ、彼がドイツの近代オペラを手がけてこれほどの演奏を聴かせてくれるとは予想していなかった。
 それは所謂表現主義的な鋭角的で激烈な音楽づくりではなく、むしろ叙情性を主としたものといっていいかもしれない。例えば、全体が刺激的な演奏ではないので、幕切れ近くヴォツェックが命を絶った後に現われるあの間奏曲が、「ニ短調という調性が突然現われて衝撃を与える」ほどでもなく聞こえる━━のである。このあたりが、もはや「調性」だの「無調」だのが議論された時代から遠く隔たった世代の指揮者の特徴なのかもしれない。

 歌手では、ペーター・マッテイが熱演だ。特に後半では、破滅に向かうヴォツェックに哀れを誘われてしまうほどの表現力を見せてくれる。
 上映時間は2時間弱。なお上映の最後に、「さまよえるオランダ人」で乳母マリーを歌う藤村実穂子が日本のファンに送るメッセージの映像が挿入されていた。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

ブログ内検索

最近の記事

Category

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」