2020-04

2020・1・29(水)サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団(終)

      東京芸術劇場 コンサートホール  7時

 サロネンの自作「ジェミニ」と、マーラーの「交響曲第9番」というプログラム。

 当初は「ポルックス」(2018年初演)を演奏すると予告されていたのが、新作「カストール」(2019年初演)を加えた「ジェミニ」として演奏されることに変更された。これでギリシャ神話の「カストールとポルックス」の物語との辻褄が合い、併せて「ジェミニ」(双子)としての形が整ったことになる。
 2曲は「ポルックス」「カストール」の順に、ほとんど切れ目なしに、全部で30分ほどにも及ぶ長大な作品として日本初演された。

 2曲とも大編成の、極めて手の混んだ精緻な管弦楽法による、かなり輝かしい響きを持った作品である。いくつかの個所でシベリウスの遠いエコーのようなものが見え隠れするあたりは、さすがフィンランド人のサロネンならではの作風だろう。彼の作品の中では、随分取り付きやすい感じがしたのは、それだけ曲が俗っぽい、ということになるのか? 
 私はしかし、大いに愉しんだ。隣にプログラム冊子の原稿を書いたほかならぬご本人の岡部真一郎さんが座っていて、それほど熱心に拍手をしていないので、「だめですかね?」と訊いたのだが、「いや、まあ」と言葉少なに答えたのみだったのには拍子抜け。

 プログラム冊子には、欄外に「注」として、「休憩はない」と書かれていたものの、ここで休憩が入ることになった。岡部さんが「なんだ、休憩を入れるのか」と、何となく責任を感じたように呟いたが、この濃密な30分の大曲のあとに、本当に続けてマーラーの「9番」をやられたら、終りまで気力も体力も保たなかっただろう。

 そのマーラーの「第9交響曲」━━予想通り、感情の動きの極端に激しい演奏だ。と言っても、例えばバーンスタインのそれの如く、テンポもデュナミークも激烈に揺れ動く、といったタイプの演奏ではない。ただデュナミークの幅のみが極度に大きい演奏、ということになるだろうか。
 従って堅固な構築の「9番」という感が強くなり、両端楽章においても特に彼岸的とか、諦観とかのイメージは感じられない。むしろ若い活力が未だ残るマーラー、といった印象になるのである。

 それはそれで、悪いものではない。ただ私はあのマリス・ヤンソンスが最後の日本公演で指揮した「9番」の、あまりにも温かい別れを告げるような終結が不思議なほど脳中にこびりついているので、どうしても比較してしまうだけの話だ。

 フィルハーモニア管弦楽団が、今日も素晴らしかった。弦、管、打楽器とも、完璧ともいえるほどの演奏だった。とりわけ第4楽章では、弦楽器群の豊かな厚みのある音が全てを決める。第49小節以降、特に第56~57小節での弦の大波のような量感は見事だった。

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