2020-02

2020・1・8(水)ロイヤル・オペラ・ハウス・シネマ「ドン・ジョヴァンニ」

      TOHOシネマズ・シャンテ  6時15分

 昨年10月8日のロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)上演ライヴ、カスパー・ホルテン演出、ハルトムート・ヘンヒェン指揮によるモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」。

 アーウィン・シュロットが歯切れのいいタイトル・ロールを歌い演じ、その他、ロベルト・タリアヴィーニ(レポレッロ)、マリン・ビストローム(ドンナ・アンナ)、ミルト・パパタナシュ(ドンナ・エルヴィーラ)、ダニエル・ペーレ(ドン・オッターヴィオ)、ルイーズ・オールダー(ツェルリーナ)、レオン・コザヴィッチ(マゼット)、ペトルス・マゴウラス(騎士長)が共演している。

 音楽的な面では、指揮もオーケストラも、歌手陣に関しても異論はない。モーツァルトの音楽の、それも木管の使い方の素晴らしさに今日も堪能することができた。

 演出はカスパー・ホルテンだから、また何か面白い新解釈があるのだろうと期待していたが、案の定、面白い着眼点がいくつか見られた。
 最大のポイントは、ドン・ジョヴァンニが自ら手をつけた女性たち━━特にドンナ・エルヴィーラとドンナ・アンナが不幸な境遇に陥り、苦悩する姿を目の当たり見て深刻な後悔に苛まれるあたりだろう。彼はその2人の各々最後のアリアを聴き、大きな打撃を受ける(アンナのアリアがオッターヴィオ相手にでなく、ジョヴァンニに対して歌われるところも新解釈だ)。

 そして最後の宴会の場面は、騎士長の登場を含め、ドン・ジョヴァンニの幻想として描かれているのが新機軸だ。また、地獄落ちの音楽が終るか終らぬかのうちに、いきなり最後のアンサンブルの後半のプレストの部分「悪者の末路はこの通り」が、あたかも天から響く声のように背景から沸き起こり、それがドン・ジョヴァンニを包み込んで行くのも面白い━━モーツァルトがこのプレスト個所をまずドンナ・アンナとドンナ・エルヴィーラの2人で歌い出すように作曲しているのは、やはり意味があったのだろうと思わせる。

 なお、このフィナーレ・アンサンブルの前半(アレグロおよびラルゲットの部分)をカットする方法には、以前にもどこかの上演で出会ったような記憶がある。その時は腹を立てたのだが、今回のホルテン演出版でもそれが行われていたということは、これは案外「市民権」を得ている方法なのかもしれない。ただ、プラハ版やウィーン版の問題に比べ、明確な根拠を示す資料には、私は未だ接していないのだけれども。

 それともうひとつ、見事だったのは、プロジェクション・マッピングの活用だ。背景だけでなく、人物の衣装までを一瞬のうちに変えてしまい、生身の人間を亡霊のような姿にしてしまう。当節の演出は、全く便利な(?)ものだな、と感心させられる。

 上映時間は20分の休憩を含み3時間50分。ただし最初の15分は、延々と所謂CMばかりだ。時間がもったいないような気がして閉口した 試写室で試写を観る方が、よほど効率がいい。

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