2020-01

2019・12・2(月)ゲルギエフ&マリインスキー 「マゼッパ」(演奏会形式)

      サントリーホール  6時

 冒頭、11月30日に帰天したマリス・ヤンソンスを偲び、今日の演奏会を彼に捧げることと、全員で黙祷したいというゲルギエフの提案が場内アナウンスにより紹介された。

 チャイコフスキーのオペラ「マゼッパ」は、今回が日本初演か? ほとんど知られていないオペラなのに、しかも舞台上演でなく演奏会形式上演なのに、予想以上に客席が埋まっていた。お客さんの熱心さには、心を打たれる。

 幸いにして私はこれまで、MET、リヨン歌劇場、ベルリン・コーミッシェ・オーパーなどで計3回、舞台上演を観る機会を得た。ゲルギエフやキリル・ペトレンコが指揮していたそれらの公演はいずれも見事なものだったが、しかしチャイコフスキーの音楽そのものに心底から没頭できたのは、今回が初めてである。
 それは何よりも演奏会形式という、表現力豊かな大編成のオーケストラを舞台上に上げての、しかも妙な(?)演出に気を取られることなく音楽に集中できる形で上演されたことのおかげだろうと思う。

 今回の上演では、30分足らずの休憩を1回のみ、第2幕第1場(牢獄の場)の後に入れての演奏となった。これは作品全体のバランスを考えれば、賢明な方法だろう。
 弦14型編成のマリインスキー響は、ステージ上に大規模な山台を置いて配置され、ゲルギエフの劇的で緊迫感に富む指揮のもと、実にたっぷりと豪壮に、しかも切れのいいシャープな響きで鳴り渡る。
 かつてのこのオケが持っていたロシアの装飾品の色彩を思わせる翳りのある音色ではなく、明晰でインターナショナルな音色で響いて来るのは、「スペードの女王」の時と同じである。

 一方、歌手たちはオーケストラの前で非常に詳細な演技を行いつつ、暗譜で歌う。この演技が堂に入っているのは、歌手たちがほぼ全員、すでに最近マリインスキー劇場での舞台上演で演じていたからにほかならない。若い世代の人が多いが、だれもかれも、揃いも揃って声が力強い。

 その歌手陣は次の通り━━ウラディスラフ・スリムスキー(ウクライナの統領マゼッパ)、ミハイル・コレリシヴィリ(その配下オルリク)、スタニスラフ・トロフィモフ(ウクライナの大地主コチュベイ)、アンナ・キクナーゼ(その妻リュボフ)、マリヤ・バヤンキナ(その娘、マゼッパの妻となるマリヤ)、エフゲニー・アキーモフ(マリヤを愛する青年アンドレイ)、アレクサンドル・トロフィモフ(コチュベイの同志イスクラ)、アントン・ハランスキー(泥酔したコサックの男)。

 ゲルギエフはマリインスキー・カンパニーを引き連れて日本公演をやるたびに、あとからあとから、次々と新世代の優秀な歌手たちを連れて来ているが、その歌手の層の厚さにはいつもながら驚くばかりだ。
 もう一つ、合唱の凄さも忘れてはならない。P席中央に配置されたマリインスキー劇場の合唱団は、わずか60人の編成ながら、そのパワーはオーケストラを圧するほどの強靭なものであった。

 総帥ゲルギエフの、音楽上の演出力、持って行き方の巧さは格別だ。このオペラをこれほど纏まりよく、スリリングに、退屈させずに聴かせてくれる指揮者は、彼を措いてそうはいないだろう。
 ゲルギエフは、やはりロシア・オペラを指揮する時が最高だ。

 なおこれは━━批判として言うのではないが、今日は正面オルガンの下のやや下手側に配置されていた金管のバンダの音が、「ポルタワの戦い」で一緒に行進曲を演奏する時に、何分の1秒か遅れて響いて来るのが、えらく気になった。2階席最前列で聴いていてさえこうだから、さらに距離の遠い2階席最後方では、もっとずれて聞えるのではないかしらん。ファンファーレならともかく、細かいリズムでオケ本体と一緒に演奏する際には、この「音の伝達速度」は難しい問題だ。
 以前、東京文化会館でヴェルディの「レクイエム」を演奏した某オケの楽員さんが、5階席てっぺんで演奏している「トゥーバ・ミルム」のラッパがステージ上の自分たちの音とずれて聞えるのでやりにくくって・・・・とぼやいていたのを思い出す。

コメント

やっぱり、そうだったのですね。私も気になりました。私は2階後方席でした。微妙ずれるな、耳が悪いのかなと思っておりました。

マリス.ヤンソンスさん

本当に残念でした。もっともっと拝聴したかったです。ご冥福をお祈りしています。

12月2日「マゼッパ」

東条さんの日記に全く同感です。コンサート形式ながら密度が濃く、帰宅後もずっと頭の中に音楽が鳴り響くようでした。
以下、蛇足ですが…。
〔ヤンソンスに捧げる公演〕
演奏前から「ヤンソンスのために演奏するのだ」と感情が昂るというか…。こうしたこともこの公演の熱気を作ったかと感じました。
〔合唱〕
合唱は「スペードの女王」でもたいへん感動しましたが、それにも増して魅力・迫力がありました。最近は新国立劇場合唱団がうまいので、来日オペラでも合唱に感心することは多くありません。ロシア語という、他国の歌劇場にとって難しい言語であるということを割り引いても、非常に統一感・緊張感のある合唱だったとの印象(先般の新国立劇場「エウゲニ・オネーギン」の合唱も相当良かったですが)。ロシアと言えば低音域の男声に特色がありますが、今回は合唱団のテノールに特に魅力を感じました。
〔終演後の静寂〕
普段馴染みのない作品の月曜日18:00からの3時間半の公演ということで、本当に音楽好きの集まりだったのでしょう。鑑賞中は身動きしない人が多いし、咳などの物音もほとんどなし。終演後は静寂の中、マエストロの腕がゆっくりゆっくり降りるのを待っての拍手だったのは良かったと思います。途中のアリアではマエストロは腕を降ろさないので「ドラマを続けて進めたい」という意図。シェフの料理・味付け(コンセプト)をそのまま味わいたい身にとっては、一部にいちいち拍手したい聴衆がいて音がかき消され、鑑賞の集中力が途切れがちになったのはやや残念。ゲルギエフは交響曲の楽章間の空白も音があるかのごとく扱うことが多く(腕は降ろさず、すぐに次の楽章の指揮ができる構え、奏者も対応して構えている)、それは彼の演奏の特色でもあるとの認識。
〔休憩〕
チラシにある段取りでは2回休憩。全員が着席してからの休憩変更のアナウンスはやや戸惑いましたが、マエストロの意思で直前に変更されたのでしょう。
変更後の休憩箇所は、緊張感あるドラマの流れを作る上で結果としては有効でした。最初から、そのように案内されていれば理想でしたが…。
〔有料プログラム〕
1500円はリーズナブル。B5サイズは持ち運び・保管に便利。ただし、出演歌手の紹介が少な過ぎます。オルリク、イスクラ、酔っぱらいのコサックを好演した歌手の紹介がないのは残念でした。

 この作品、以前から実演で、と思っていて、何度かアンケートなどにも書かせていただいていたのですが、拝聴の望みが叶って、なかなか至福のひと時でした。関係者の方々に感謝です。上述の方々のコメントのように、客層も、後半や終演後は少々しつこい拍手やブラボーも多かったのですが、ここ10年くらいのいつもの客層に比べると、比較的良かったようには思います。(ただ、終演後のカーテンコールも見ていましたが、毎度毎度のことではありますが、拍手やブラボーのうるさい人は、真に理解している人は極小…ではと思いました。)今度は是非、標準的なオペラ形式で…と思いますが、何年先か…楽しみにしていたいと思います。

真に理解していない人が聴くには少々マニアックな演目では?と思います。そういった方はきっと途中で飽きてしまって熱狂する気にはなりませんよ。勿論、限度というものがありますがブラボーや盛大な拍手もその人には良く聞こえてるんだからいいじゃないですか。聞こえ方、感じ方は人それぞれです。座る席も影響します。最近、終わった後の拍手やブラボーに不満を漏らす方が多いですが、そういった方は演奏中に方々から発せられる様々多様な雑音はどの様に感じているのでしょうか?気にしてない?余程迷惑です。いつか館内アナウンスで「演奏後の盛大な拍手、ブラボーはご遠慮下さい」なんて言われる日が来るのでしょうか?演奏にも影響するでしょうね。ただ流すだけの味気ない音楽が好きならね。それも人それぞれです。

 上記の「真に理解していない人が聴くには少々マニアックな演目では、そうした方はきっと途中で飽きてしまって熱狂する気にはならない」とのご意見ですが、実際、終演後のカーテンコールで、近くにいた相当な大声、拍手をしていた4~5人の一団(1F正面入り口に近いところ)の方々からは、終わった後に「15年ぶりくらいに来た」とか「演奏、結構、寝ちゃったけど」など、口々に、あまり普段は演奏会に来ていない旨、基本、その場のノリでやっていた旨を仲間内で言っていました。
 基本、大音量の拍手、ブラボーをしていることと、しているご本人の「芸術理解」は全くの別物のわけですが、割合、軽々しくやってしまっている方々が、時に「聞こえ方、感じ方は人それぞれ」な故に、他の多くの方々の迷惑にもなってしまい、その頻度も増えている訳です。
 最近、いくつかのホールで「周囲のお客様の迷惑になりませぬよう…」というアナウンスが聴かれようになりましたが、これも演奏中のビニールや飴の包み紙などの雑音のことだけでなく、実際に、「拍手やブラボー」に関することも含まれているようです。
 また、オペラなどでは更に、ひたすらブラボーを大きく叫ぶ人もいて、困りものなのですが、せめて個々の歌手の演奏内容に応じて、また、ブラヴィなり、ブラヴァなり、掛け方をわかった上ですることが最低限必要な周囲への人々への礼儀であり、責任であると思います。
 また、失礼ですが、G氏はこの演奏会にご来場でしたでしょうか。また、それ以外の演奏会も含めて、頻度はいかがでしょうか。将来の演奏会がどうあるべきか、実体験を多く持った上で、考えたいところです。

将来の演奏会

お疲れ様です。私は演奏が素晴らしいと感じたらブラヴォーをする事があるので、ブラヴォーした瞬間に係員に摘まみ出されたり、出入り禁止になったりする世の中にはなってほしくはないですね。そこは切にお願いしたいです。

無記名氏の御反論に対して

夜遅くまで御苦労様です。ヤノフスキ/ケルンWDRの頁に引き続き御心労お察し申し上げます。 相当限度を越えたブラボー、拍手だったようですが、これに関しましても私は「勿論限度というものがある」とハッキリ申し上げているので感情に流されずに御解読頂きたかったですね。然し、たとえ限度を越えていたとしても演奏中静かに聴いていたなら(その寝ていた方は大鼾をかいていた?)私なら許せる範囲ですかね。(演奏中の雑音はあまり御不満はないようですね) 15年ぶりに演奏会に来て盛り上がって何か悪いことあるのか私にはわからないですし、私は演奏を聴くためにコンサートに行くので終演後の他の客の反応がどうだったとかなんてどうでもいいことです。なぜ無理をして最後までつき合って、しかもわざわざ御自分から客出し時の客の様子まで観察しておいて、この方はわかってないとか不満を漏らすのか不思議です。ほっといて帰ればいいのに…と思うのですが。 「近くにいた4,5人の一団」とのことですけど「近くにいた」なら、そこまで迷惑に思ったなら、それならヤンワリとでも直接注意したらよかったのではないでしょうか?「逆ギレでもされたらどうするんだ」と怒られそうですが休憩時間もあったわけですからレセプショニストに代わりに注意してもらう、主催に相談して席を変えてもらうとか色々方法があったはずです。何もせず時が経ち出演者、観客の退場までつき合った挙げ句、彼等の会話まで聞き取り、こういったところで大人数に向けて無記名投稿で鬱憤を捲したてるというのは卑怯、無礼ではないかと思うのです。(そこまで非常識な一団なら真上で聴いていた東条氏が先に言及していてもよさそうですが、そこはまぁ)  「ブラヴィ、ブラヴァ掛け方をわかった上で」→確かに女性に対しては「ブラヴァ」が正しいと昔N響機関誌「フィルハーモニー」の記事で読みましたが、この日本であまり浸透していないことをやってもタキシードを着てコンサートに行くのと一緒でかえってイモに見えてしまうという悲しい実情もあるのです。  そして最後の一文についてですが本当に「将来の演奏会がどうあるべきか」を考えるなら根本的なことがズレてやしませんか?「失礼」と前置きをされてはいますが苦笑するしかありませんでした…。聞かれたので応えますが以前は月に20日程コンサートに通ったこともありましたが(ダブルヘッダーも)最近は仕事、家庭の都合もありますのでその3分の1くらいですが、何か? 氏の御言葉を御借りすれば「芸術理解」は演奏会を聴いた回数、頻度、経験年数に比例するものではないし、まして年功序列的な考えで深まるものではないのですよ。感性の鋭い方なら1度でも10理解しますよ。こういった一文も含めて全体的に氏の文章からは“他者をみくびっている“という印象を非常に受けますが…一度原点に帰ってみるというのも。 「実体験を多く」持っていても気に入らないものは排除的な考えでは何も得られるものはないし本質的な境地には達せられませんし、それこそ時間、お金の無駄遣いです。それなら「これは!」と思える演奏会を吟味して聴いた方が余程面白いです。数ばかりこなして文句言っても要するに“良いものを見極める能力がない“のかな?と思われても仕方ないと思います。 御理解頂けるか不安ですが経験値も人それぞれなんです。2000人入れば2000通りもあるんです。それをいちいち「俺はこうだぞ」、「私なんかこうだぞ」などと競い合って何の意味がありますか。くだらないです。若い世代のファンに「俺はカラヤンもC・クライバーも聴いてるんだぞ」なんて言ったところで「生まれてねーし」ですよ。  感性(「芸術理解」も含め)は先ず解放し、受け容れることで育ちます。難癖ばかりつけても御自分でその可能性を狭めるだけです。あまり尊大な態度はとらない方がいいですよ。

本当に東条先生には、この場を何度もお借りしてしまい、恐縮な次第です。
 上記G氏の記事のうち、「「芸術理解」は演奏会を聴いた回数、頻度、経験年数に比例するものではないし、まして年功序列的な考えで深まるものではないのですよ。」とか「経験値も人それぞれなんです。2000人入れば2000通りもあるんです。」とのお言葉については、私もとても賛成です。G氏が「月に20回も演奏会に行かれた」というのにはびっくりですが、私もまた素人ですので、逐次、聴いた演奏会については、できるだけ自分の鑑賞について、常に再考し、自省し、新たな学習に臨んでいる次第です。また、その為に、この東条先生の記事を読ませていただいている次第です。
 一方、G氏ご自身が上記でおっしゃていることを更に考えてゆくと、演奏会には、プロの方、東条先生のような評論家の方々も多くいらっしゃっているわけですが、そうした方々は我々以上に多角的に演奏を見聞し、分析しておられ、皆さん、目の前の演奏に対して、まじめに真剣に演奏をお聞きになっているわけです。それを考えた場合、我々、素人は専門家の方々以上に節度をもって鑑賞すべきで、G氏のおっしゃる「いちいち「俺はこうだぞ」、「私なんかこうだぞ」」という姿勢で、大音量の、周囲の方々の迷惑になるブラボーや、前の人の耳元でバンバン手を叩く拍手などは、こうした意味からも控えるようにしなければならないし、周囲の人の鑑賞を慮って、演奏を拝聴すべきだと思うのです。
 また、「ブラヴィ、ブラヴァ」については、N響の機関紙でなくとも、結構いろいろなところに出ていることですし、そうした掛け方や演奏内容、周囲への配慮も考えながら、責任を持ってお掛けになっている方も、そんなに数は多くないのですが、実際にいらしゃいます。こうした方々のように、演奏会全体に、自身の声が影響することをよく考え、やはり、その他2000人の方々に失礼のないよう、意思表示、行動することが必要でしょう。
 …と、今回もここまでいろいろ書かせてはいただきましたが、その他については、失礼ですが、G氏の一連の記事については、(実際の演奏会で見聞きしていない→やや本題と異なる話に移行もしくは拡大することが多い→自身の想像、憶測したことに断定してしまう→感情的に非難(G氏ご自身の言葉だと難癖、という言葉が該当するのでしょうか)、断定してしまう)という流れが残念ながら多く、上記に書かせていただいた記事についても、また同じ状況になることが予想されます。ああ言えばこう言う…の状態でもう切がありませんし、また、東条先生にもご迷惑を掛けてしまうことも多々、あるかもしれませんので、今回をもちまして、G氏のコメント関係で、私のほうから書かかせていただくことは、終了させていただきます。
 最後に繰り返しになりますが、別記のとおり、この東条先生のサイトでは、我々素人も基本的に、現実に拝聴した演奏、あるいは関連する別プロについて、現実どうだったか、批評という形も含めて自由に書かせていただいている訳ですが、演奏だけでなく、演奏会全体の状況、客の反応についてなどについても、東条先生も現実の演奏会でどうだったかを書いておられ、それに準じて、我々もそうした内容についてかなり自由に書かせていただいているわけです。東条先生と違う意見の場合もありますし、人によっては、東条先生よりも演奏について手厳しい意見も散見されますが、先生もそうした意見について、気嫌わずに、お載せいただいている訳です。
 大音量、あるいは場に合わない迷惑なブラボーや拍手についても、そういう事実が実際にあり、私以外の複数の方々も現実に迷惑に思っている、あるいは鑑賞者が実際に迷惑を訴えている現場も目撃しているからこそ、書かせていただいているわけです。
 加えて、G氏ご自身、2000人いれば2000通りの聴き方があると言っているのに、自身の意見と合わないから、人のブラボーに意見するとは何事だとか、排他的だとか、そうした考えは危険だとか、また、その一方で、演奏にいろいろい言うのは尊大だ、難癖だ、見下している、などと非難するのはナンセンス、といわざるを得ないでしょう。繰り返しになりますが、そうした、現実の演奏会についての自由な批評、感想、コメントの場なのです。コメントした人への否定、非難、攻撃の場ではないのです。
 それでも演奏批評が嫌、加えて、客席の反応などどうでもいいと言うのなら、G氏ご自身の最初のお書きようで言えば、この東条先生のこのサイト自体に「ムリにつきあう必要などない」のではないのでしょうか。そのように改めて思う次第です。

無記名氏の度重なる御批判に対して

“他人様の家“に御邪魔をさせて頂いておりますので節度を持って…と心掛けてはおりますが申し訳ないです。無記名氏もヤノフスキ/ケルンWDRの頁で一応は断り書きのようなことをされてはいますが、なんか他人事みたいな…無機質な単語の羅列といい深刻さの感じられない文章です。  大変恐縮ですが今回はスクロールさせて頂きました。私の話に対してただ“ああ言えばこう言う“というだけの無益で非建設的なことを延々と書き連ねられては読む方だってウンザリしますよ(苦笑)。「憶測」「想像」で書くなと仰いますがヤノフスキ/ケルンWDRでのやり取り、蓄積があれば充分ですし、誰でも容易に想像出来るというもの。氏が思っているほど人はバカではありませんよ。  私は80年代頃の怒濤のようなブラボー、拍手、ブーイングも経験しましたので氏が仰っているような“最近だけ特にうるさい“とは思いません。ブーイングなんてとんと聞かれませんし逆に寂しいくらいです。それはインターネットの普及に伴ってこのような無記名投稿が見えない圧力、攻撃を加えているということも要因の一つとしてあるのです。そして当の御本人は正義と信じて行っているから更に困りものなのですね。 私の拍手はそれ程大きな音は出ませんしブラボーを掛けたのも過去にたった一度だけ(G・ヴァント/NDR)です。無記名氏曰く拍手、ブラボーのうるさい一団も無記名氏も私や他の一般聴衆にしてみればハッキリ言って“どっちもどっち“なんですよねぇ…。コンサートテロリストの無益な戦争に一般聴衆が巻き込まれ犠牲になるのは耐え難いことです。特に演奏中は“お静かに“。又、それ以外でも関係者、一般聴衆を困らせないよう御願い申し上げます。  余計な御世話ですが……、(私はあまり利用しませんが)昨今はネット配信技術も急速に進化しておりますし、勿論生演奏とは比較になりませんがBPOの演奏会も自宅に居ながら鑑賞できる便利な時代です(ライブである以上、拍手もブラボーも入りますよ)。如何でしょう…御自宅でお気楽になさっては……?

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