2020-05

2019・10・21(月)ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィル

      サントリーホール  7時

 東京フィルハーモニー交響楽団を、特別客演指揮者ミハイル・プレトニョフが指揮。ビゼーの「交響曲第1番」と、リストの「ファウスト交響曲」をプログラムに乗せた。
 協演は新国立劇場合唱団とイルカー・アルカユーリック(テノール)。コンサートマスターは依田真宣。

 「折角の逸話もあまり長くかかるので聴手が一人減り二人減って、残るは藝術に忠実なる東風君と、長い事にかつて辟易した事のない迷亭先生のみとなる」とは「吾輩は猫である」の、寒月君が「ヷイオリン」の話をする場面の一節だが、「ファウスト交響曲」を聴いている時、何故かそのくだりが頭に浮かんでしまった。
 もちろん、今日の満席に近いサントリーホールでは、誰も途中で帰ったわけではない。だが、━━魅力的な個所はいくつもあるにもかかわらず、やはり長い曲だ、としみじみ感じたのが今日の「ファウスト交響曲」である。

 他の指揮者は大体70分前後で収めるのに、プレトニョフは非常にゆっくりしたテンポを採り、じっくりと間を取って指揮したので、今日の演奏時間は80分になった。それでも、マーラーの「3番」や「6番」などに比べれば、ずっと短い、たかだか(?)80分だ。それがこんなに長く感じられたのは、その演奏の所為もあるだろうが、それよりもむしろ、やはり作曲者の責任━━曲の構造によるところが大きいのではなかろうか。ただし、こういう曲には、得てして、熱烈なファンが付いているものだ。

 演奏は、悪くなかった。いや、見事だった、と言ってもいい。
 最近のプレトニョフならではの、重く深味のある情感、輝きと陰翳がゆっくりと交替しつつ進むような演奏の構築が、この曲のスケールの大きさを感じさせてくれたのも確かである。アンサンブルを過剰に締めつけず、ある程度自由な膨らみのあるサウンドでオーケストラを響かせて行く、その呼吸も巧い。

 ファウストの主題の一つ、トランペットを中心にした「英雄的な性格」も常に輝かしく響いていたし━━これは私も最初にこの曲を聞いた時から好きだった━━、「グレートヒェン」の楽章も弦が美しかった。
 全曲の終結部で、曲の「きっかけ」にピタリと合わせて入場して来た合唱団も、荘厳な歌唱の表情で演奏を引き締めていた。
 この10年来、この曲をナマで聴いたのは、下野竜也指揮読響(2011年1月22日)、小泉和裕指揮東京都響(同6月20日)、ユベール・スダーン指揮東京響(2012年7月21日)に続く4度目になるが、それらとはまた全く個性の違う「ファウスト交響曲」に出合うことができて、大いに興味深かった次第である。

 プログラム前半に演奏されたビゼーの交響曲の方は、・・・・こういう軽妙洒脱な作品の場合、日本のオーケストラの場合、緩やかなアンサンブルはむしろ逆効果では? もしかしたら練習時間の大半をリストのそれに充ててしまっていたのではないか、とも。

コメント

同時期に「ファウスト交響曲」ラッシュがあっつたようで小泉/センチュリ響でも聞きました。どうしても合唱が入るので敬遠されるのかも。その後ティレーマン/ドレスデンの放映分よく聞きました。今回プレトニョフのベートーベン演奏を思い出した。リストにはもう一つ「ダンテ」交響曲も聞いてみたい。抒情のきいた佳曲。今は亡きシノポリのCDで聞いているが。

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