2020-04

2019・8・22(木)セイジ・オザワ松本フェスティバル
チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」

    まつもと市民芸術館・主ホール  3時

 メイン行事に相応しい規模のオペラ上演としては、2015年の「ベアトリスとベネディクト」以来、実に4年ぶりのものになる。思えば、往にし日々には、小澤征爾が毎年のように意欲的なレパートリーのオペラを繰り出し、われわれも胸を躍らせて松本に参集したものだった。あの時代のフェスティバルの沸き立つ熱気は、凄いものがあったが・・・・。

 この音楽祭でチャイコフスキーのオペラが取り上げられるのは、2007年の小澤征爾の指揮による「スペードの女王」以来である。もちろんこの「エフゲニー・オネーギン」の方も彼は日本で指揮したことがあったが、それはこの音楽祭でではなく、2008年の「東京のオペラの森」においてだった。

 さて、今回の上演の指揮は、ファビオ・ルイージ。
 徹底して抒情的な表現に重点を置いた演奏であった。この作品がもともと「オペラ」でなく「抒情劇」と題されていたことを思えば、ルイージは、まさに作曲者の意図に忠実だったことになる。とはいえ、やはりそれだけでは、作品の弱味をカバーできなくなるだろう。

 その意味で、今日のルイージの指揮は、劇的な迫力を些か欠いた。
 例えば、第2幕でのオネーギンとレンスキーの口論が激して緊張が高まって行く場面、全曲大詰めでの縋るオネーギンと拒否するタチヤーナの息詰まる場面などがそうだ。このような、ドラマティックな追い込みと昂揚が必要な個所では、ルイージの指揮はあまりにサラリとしていて、緊迫度の欠如が感じられ、ドラマティックな起伏の少なさに不満を残したのである。
 ゲルギエフが指揮したMET上演(DVDでも出ている)の演奏が、主人公たちの感情の高まりを見事に描いて迫力を生んでいたのに比べると、その違いはあまりにも大きい。

 ロバート・カーセンの演出は、そのMET上演のプロダクションと基本的に同じものだが、今回はピーター・マクリントックが再演演出を行なったもので、主役陣の演技の細やかさにおいては、あまり徹底されていないようなところも見られる。むしろ、合唱団の方が細かく演技していたようだ━━第2幕、トリケの気障で長たらしい歌にうんざりする男たち、といったように。
 なお今回は、全曲最後でオネーギンが椅子に沈み込み、タチヤーナにあてた手紙を読み返す様子が挿入され、ドラマの幕開きの「オネーギンの回想」場面に戻るという演出になっていた。これはMETの上演には無かった設定だ。だが、今回の手法の方が、ドラマのコンセプトに一貫したものを感じさせるだろう。

 声楽陣は、オネーギンをレヴァント・バキルチ、タチヤーナをアンナ・ネチャエーヴァ、レンスキーをパオロ・ファナーレ、オリガをリンゼイ・アンマン、グレーミン公爵をアレクサンドル・ヴィノグラドフ、ラーリナ夫人をドリス・ランブレヒト、乳母フィリーピエヴナをラリッサ・ジャジコワ(ディアドコーヴァ)、トリケをキース・ジェイムソン、隊長とザレツキーをデイヴィッド・ソアー。合唱が東京オペラシンガーズ━━といった面々。

 この中で、マリウシュ・クヴィエチェンの代役として急遽来日したオネーギン役のバキルチは、まあ、可もなく不可もなし、というところか。演技と歌唱に、もう少し皮肉めいたニヒルな表情が現れていないと、オネーギンという複雑な青年を本質的に描くのは難しいだろう。
 タチヤーナ役のネチャエーヴァは、歌唱、演技ともに手堅い出来。一方、声の豊かさと滋味から言えば、グレーミン公爵役のヴィノグラドフが傑出していたし、またディアドコーヴァが乳母役で出演していたのにも懐かしさを感じさせた。

 だが総じて、今回の顔ぶれは、地味という印象を免れず、中心にだれか1人でも核となる歌手がいれば、もう少し舞台も盛り上がっただろうが━━その点、クヴィエチェンの来日中止は、やはり痛かった。

 ダンサーは東京シティ・バレエ団のメンバー。
 ピットに入っていたのは、矢部達哉をコンサートマスターとするサイトウ・キネン・オーケストラ。演奏の立派さは昔ながらのものだ。小澤征爾が昔のように指揮してくれることが望めなくなった現在、このSKOこそが、フェスティバルの「かなめ」である。

 休憩は1回で、6時15分終演。
     ☞(別稿) 信濃毎日新聞
     ☞(別稿) モーストリー・クラシック11月号 公演Reviews

コメント

小澤氏はチャイコフスキーの2つのオペラ好きなようでウイ-ンでも指揮していましたね。、私の愛聴はロストロが指揮してヴィシネスカヤが歌ったボリショイ公演でした、1970年。(これはfmのハイライトで聞いたものですが)この時はボリスゴドノフをなまで聞けた。
スペードの女王は1968年偶然、レニングラードに来ていたリガのオペラ団(ワグナーが音楽監督の時もあったという)で初めて聞いたのですが序曲での薄暗い雰囲気にいまだに魅せられます、プーシキンの原作、大阪でロシア文学の読書会で何度も取り上げていますが、d、キーン氏はオペラのみ評価しているようです。文学はストリーだけではないので疑問です。

確かに3幕2場は迫力不足。一番ドラマチックな場面ですが歌い手さんが原因だと思ってました。Met版のフレミングとホロ様は演技も含めてド迫力でしたから。指揮が迫力なかった、というご指摘は勉強になります。あと思い返すと2幕目の口論から激するところもそうですね。事前にみた他の映像(ROH、リセウ?)よりはるかにMet版は口論から決闘に発展する場面に説得力あり。それと比べると松本版はすっきりしていたかと。機会あったらもう一度metのディスク見返してみようと思いました。素晴らしいレビューありがとうございました。

8月22日 エフゲニー・オネーギン

【歌手】
ホロストフスキー亡き後、「誰が一番のオネーギンか?」はロシア・オペラファンとしては興味のあるところ。その意味で、今回の公演はクヴィエチェンがオネーギンを歌うことが最大の関心事であったが降板。怪我、病気、不調などによる歌手の降板は仕方のないこと。しかし、代役はオリジナルキャストと同等かそれ以上を期待したいもの。
バキルチはクヴィエチェンの代役としてはかなり物足りなかった。
「エフゲニー・オネーギン」とのタイトルながら、オネーギンの歌は少なく、存在感そのもの、演技力が大事な役との認識。バキルチは、聴かせどころの歌はそれなりだったが、全体として十分な役作りはできていなかった印象。
20日と24日はカバーキャストの大西宇宙が歌ったということだが、バキルチは22日も実は万全でなかったのかもしれない。タチヤーナが一目惚れし、後に別の人と結婚しても変わらず心を寄せているという人物としては魅力不足。
今回の代役はルイージの推薦とのことだが、オネーギンを振った経験がないルイージがなぜ推薦できるか疑問。
この演出は多くの人がMETライブビューイングやDVDで接しているから、どうしてもホロストフスキーと比べてしまう。言っても仕方のないことながら、改めてホロストフスキー不在の大きさを感じた公演。
大西宇宙は昨年末のニューヨークのコンクールでホロストフスキー特別賞を受賞したという情報があり、彼のオネーギンを聴いてみたかったところ。またの機会に期待。
【演奏】
演奏は秀逸。一期一会のメンバーなのに「うまい!」と改めて感じた。クヴィエチェン降板で公演への興味が薄れていたが、この演奏のために東京から松本まで行く価値はあった。特に木管楽器は心地よく、オーボエなどは終始、音に歌詞がついているかと思うほど歌心があった。この作品を初指揮するルイージは小澤さんが得意な作品であることを意識している様子で、丁寧な指揮が印象的。オーケストラメンバー側にはこの曲に習熟した奏者がいて、指揮者を逆にリードしているかもしれないと感じる場面もあった。二度、三度と聴きたい演奏だった。
【演出】
この音楽祭のオペラには新演出を期待したいものの、過去に成功した名演出なら「再演物でも良し」と感じさせた。
この演出は決闘から続けてペテルブルクのパーティーに至るのが特色。ラーリン家での田舎のパーティーとペテルブルクの洗練されたパーティーとの対比が鮮明(合唱団員の舞台裏での短時間の着替えの苦労は相当なものらしい。これは、〔私自身は落選したが〕8月22日に設定されたバックステージツアー参加者に紹介された情報)。
METライブビューイングで観た時は感じなかったが、生で観ると、ラーリン家のパーティーはルノアール「田舎の踊り」を思い起こさせる。一方のペテルブルクのパーティーは黒が主体の衣装なので、必ずしも同じ画家の「都会の踊り」を思い起こさせる訳ではなかったが。
MET初演時のソリストの演技の細かさは演出家の仕事だったのか、名歌手たちの技術だったのか。個人的には後者だったと思う。(今回の再演演出は十分カッチリと作り上げられていると感じたが)あるいは、演出家本人が参加しない再演物の限界か。
【ホスピタリティ】
この音楽祭に行くのは7年振り4回目。近年はオペラのない年があったり、音楽祭名が変わったり、小澤さんの演奏への関与が減ったりで、かつての熱気が感じられないのはさびしい感じ。
音楽祭なのに、あの特徴的なエスカレーターが使用禁止。ホスピタリティのなさを感じるが、エコ配慮なら英断と言うべきか。
会場で用意していた全体リーフレットや個別公演チラシでは最後までクヴィエチェンが歌うことになっている。作り直すのは大変ながら、情報は間違っているのだから降板情報の張り出しはあっても良かったのではないか。
会場配付の配役表は情報が少ない。カバーキャストも記載するなど新国立劇場で当日配付する配役表が標準になって欲しい。
また、時間割りは会場のどこにもなかったような…。あったとしても見つけられず。分かりやすく表示して欲しい。

ホロストフスキー

ライブビューイング2013年分を家でdvdで見たがネトレプコ、ゲルギエフの指揮さすがの出来で感嘆しました.
ホロストフスキーは2006年のショスタコービチフェスで生での聞くことができましたしbs放映で赤の広場でのネトレプコとのエフゲニーオネーギン終幕の場面の歌唱は何物にも代えがたいものだった。仮面舞踏会が彼の最後の歌唱だったとのこと。彼のロシア民謡の戦争ソングのcdを愛聴しています。改めて惜しい歌手だった

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年8月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」