2021-06

2019・7・8(月)インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

      すみだトリフォニーホール  7時

 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団とエリアフ・インバルとの、2017年3月に続く来日公演。

 ところが今回、プログラムにそれぞれ組まれたマーラーの2つの交響曲は、2年前と全く同じ「1番」と「5番」だった。まあ、前回聞き逃した人も居られるだろうし、人気の定番曲には違いないけれども、だからと言って、2曲とも同じで、それ以外には無い、というのは、何とも能のない話だ。誰が決めたのかは知らないが(二、三訊いてみたが要領を得ない)、もう少しレパートリーにも新味を出してもらいたいものである。

 それは別として、今日は前半にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」からの「前奏曲と愛の死」、および「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、後半にマーラーの「交響曲第1番《巨人》」というプログラム。

 この「トリスタン」も、前回のこのトリフォニーホールでの公演でやった曲だったのだから、恐れ入る。2017年3月13日の日記を繰ってみると、オーケストラの音の印象、聴いた席から受けるアコースティック効果など、今日の印象と全く同じことが書いてあったので、われながら苦笑した。
 ただ、今日の2曲目の「マイスタージンガー」になると、オケの音色やバランスは変わり、弦の響きもそれほど耳を衝く刺激的なものではなくなり、ワーグナーの精緻な管弦楽法が比較的はっきりと味わえるようになっていたので、このあたりはやはりインバルの巧妙な設計による描き分けだったのだな、と、些かではあるが考えを改めるに至った次第である。

 そして休憩後の「巨人」は、2017年3月21日に東京芸術劇場で聴いた印象と、ほぼ同じであった━━ただ2年前のその演奏よりも多少緊迫度が薄れ、オーケストラの密度にもやや緩みがあったように感じられたのは、インバルの年齢ゆえか、それとも偶発的なケースだったのか?

 インバルの指揮するマーラーは、東京都響との演奏からは非常に峻厳で揺るぎない特徴を感じさせるけれども、欧州のオーケストラとの演奏からは、もう少し自由な雰囲気を感じさせる。これは、東京都響がインバルに対し、いわば直立不動の姿勢で応える━━ということかもしれない。
 これはしかし、東京響がジョナサン・ノットやユベール・スダーンに対し、あるいは日本フィルがアレクサンドル・ラザレフに対して示す演奏姿勢とも共通するものだ。良い指揮者に対しては従順であるという、日本のオーケストラの性格の顕れとも言えよう。

コメント

bsのクラシック番組を録画していて海外や来日演奏の曲目に1番がうんざりするほど多かった。1960年代では5番は珍しい曲目だったのに今では定番である。ビスコンテイの映画から急速に広まったのだが。
マーラーの俗と聖とが入り混じったこれらの曲、やはり生で聞く迫力は無類であり大人数の奏者が必要であっても観客を動員できるということなのでしょう。飽きが来てもまた復活する名曲の由縁ともいえる。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

ブログ内検索

最近の記事

Category

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」